第二十六限ー理奈と櫻子後編
「で、解った?」
櫻子は休憩になると理奈達のテーブルに腰をかけるなりそう聞く。隣の家族はもう帰っていた。華波は子供との別れが悲しかったのか、泣きながら宿題をやっている。
「葵くん、周ちゃん~」
泣きながらも約束した手前、文句は言わずに宿題をし続ける。理奈は五月蝿いよ、と華波の頭を撫でながら言う。視線を櫻子に向けると、
「解ったもなにもないよ。とんだ早とちり。離婚なんてどこから出て来た発想なの?」
「……え」
理奈は自分の左手をかざす。
「まず婚約指輪してた。傷ついてはいたけど綺麗に手入れされてたわよ。離婚してたなら、着けてるのも不自然だし、手入れなんかもしないでしょ。
それに虐待とか言ったっけ?葵くんも周ちゃんも今は何も怪我してなかった。大体において、虐待してるなら外で食べないでしょ。家で自分だけ食べるとか。
頭に包帯、同時に奥さんが来なくなった。なら、二人して何かしら事故に巻き込まれたり何かして怪我をしたって考えるのが妥当でしょ」
「……あ」
なんでそんな事に自分は気付かなかったのか。櫻子は呆気に取られる。そして、そのまま羞恥で顔を赤くして下を向く。
「毎週土曜日、お菓子を持ってるのも、ご飯を食べてからお見舞いにでも行ってるんじゃないの?子供はその辺素直だから。
お母さんはいつ帰って来るの、っていうのも、どこにいるか知ってるからの発言じゃない?知らなければどこ行った、いつ帰って来る、っていう風に聞くでしょ。お父さんがデタラメな場所言った可能性もあるけどね」
「……」
指輪に気付いてたら、自分もこんな間違いは……したな。櫻子は自分の観察力の無さを憎む。
「葵くんが頭に包帯を巻くくらいなら多分そろそろ退院するんじゃない?骨折くらいで済んでそうな気はするし。
抱っこしてて階段から落ちたのかしら。轢かれた可能性もあるけど、どちらかといえば前者の方が強いわね」
「なんで?」
櫻子が頭を傾げる。理奈はため息をついて、
「葵くんと周ちゃんは凄く仲が良い双子。二人が違う場所にいる機会は少ないと思う。周ちゃんをお父さんが抱っこしてる状態で、お母さんだけが落ちた。それなら、周ちゃんが怪我してない理由もつくでしょう?」
「……」
よくそこまで推測出来るものだ、櫻子はもう言葉も出ない。なんとも呆気ない。たかだか数分でそこまで見抜くなんて。
「お姉ぇちゃんはやっぱり頼りになる!」
櫻子が理奈に抱き付く。頭を抱えるような抱き付き。
「痛痛痛っ!櫻子っ!ネームプレート!」
「おっと?」
制服の上にパーカーを着ただけの櫻子。そのネームプレートが頬に突き刺さる。
「もう~、痛いじゃない」
理奈がジトッと櫻子を睨む。櫻子は申し訳ないと頭をかく。その顔が、あっ、と何かに気付く。
どうしたの、そう問おうとした瞬間に、理奈は圧迫感に動きを奪われる。
「櫻子ズッル~イ!あたしもお姉ぇちゃん抱っこする~!」
華波の背面ハグ。理奈が如何に暴れようと剥がれない最悪の抱き付きだった。
「あ、華波。ストップ。あたしのバイト先なの忘れないで。あたしの立場が危ないから」
「おっと?櫻子には迷惑かけられねぇ」
「私にはっ!?」
解放された理奈の息はすでに上がっている。周囲の視線が理奈の顔を赤くさせていた。華波はケラケラと笑うと、なに食わぬ顔で再び宿題に戻る。
やがて、櫻子もシフトに戻る頃、華波はようやく宿題を終わらせる。余程堪えたのか、両手足を投げだして、グデーとしてる。
「なんでこんな朝からファミレス行こうって言い出したのかと思ったら、櫻子に頼まれ事されてたんだー」
「うん。なんか利用したみたいでごめんね」
「あたしはお姉ぇちゃんの役に立てたならそれでいいのだー」
急にシャンとすると、グッと親指を立てる。役に立つ、か。
「華波は私をいつも助けてくれてるよ」
華波の隣に移動すると、理奈は華波の肩に頭を預ける。華波はなにも言わずに黙って肩を貸す。ただ、そっと理奈の頭を撫でる。
「お疲れ様、お姉ぇちゃん」
「うん」
甘ったるいコーヒーも良いが、華波の肩も落ち着く。理奈は穏やかな時間をしばし過ごすと、身を離す。
「もういいの?」
「うん、ありがとう」
「櫻子もちょっと元気になったみたい」
華波に言われて視線を櫻子に移すと、先程よりも増してハキハキしていた。
「にしても逞しい想像力だよねぇー、離婚だなんてさ」
「本当よ、全くそんな気配なかったから拍子抜けしちゃったわよ」
二人の視線は、櫻子に向く。当の櫻子は悩み事が吹っ切れたのか、さっぱりした顔で、接客をしている。
「まぁ、それで櫻子がすっきりしたならよかったんじゃない?」
「そうね」
「お姉ぇちゃんさ、面倒事は嫌って言ってる割には今回は乗り気だったよね」
「んー」
華波の言葉に、理奈は宙を仰ぐ。乗り気、とか面倒事とか、今回はそういうのが一切関係なかった。
「友達が悩んでいて、自分に解決出来る可能性がある。それだけよ。櫻子にしても、和乃にしても、悩んでる友達を、放ってはおけない」
「……えへへ。親友なら尚更かな?」
ニヤニヤした顔で華波が問う。理奈は少し呆れた顔をする。その後、しばらくすると何かに気付いたように笑う。
「そうね。華波が困ってたら、人一倍なんとか出来るように頑張るかな、私も」
「本当!?やっぱりもつべきは友だねぇー!」
華波が理奈の腰にしがみつく。理奈は背中に手を回して頭を撫でる。
「本当だよ。……華波、成績に困ってるよね?」
「……お姉ぇ、ちゃん?」
華波は嫌なものを感じ取り、身を起こそうとするが、理奈が上から押さえつけていて起き上がる事が出来ない。
ダラダラと冷や汗が滝のように流れ始める。
「成績、困ってるわよね?」
「……い、いやぁ、あたしは今の成績に満足してるっていうかぁー……痛痛痛!?」
理奈が背中を押さえている方の手の親指で、ツボを刺激する。これは、降伏しないといけない流れ?華波の冷や汗は勢いを増す。
「待って、お姉ぇちゃん本当に待って。無理、無理だから。少しずつ、少しずつ慣らしていこうよ?ねぇ、黙ってないでさ。そうしようよ!?ね!?ね!?」
「華波、ちょっと五月蝿いわよ?」
「痛痛痛!お姉ぇちゃん!?なんか今日ちょっと強引過ぎない!?」
「なんの事かしら?……そうね、予習復習とは別に大学入試の過去問の勉強を一日三時間、なんてどう?」
「無理無理、死んじゃうから!せめて一時間!」
「はい、決定」
パッと理奈が拘束を解く。そこで華波は乗せられた事に気付く。これだけ簡単に解放するという事はそういう事なのだろう。
「むー」
華波が機嫌悪そうに唸る。理奈がその頭を撫でてやる。なんて事はない日常。ここのところ何かと事件続きだったから、殊更平和を痛感させられる。
「櫻子、お会計お願い」
席を立ちながら近くにいた櫻子に言うと、上機嫌な櫻子はいいよー、と手を振る。
「お姉ぇちゃんには解決してもらったし、今日の分はあたしがもつから」
「え、それは悪い」
「本当!?櫻子大好きぃ~」
それを断ろうとした理奈の言葉を遮り、華波が櫻子に抱き付く。人の善意には甘えておこう、理奈はそう考え直して、櫻子にご馳走になる事にした。
帰りの電車内、華波は凄く上機嫌だった。普段節約ライフの櫻子の驕りの申し出が余程嬉しかったらしい。
「お姉ぇちゃん、今度はあたし達で櫻子に何かしてあげようよぉ」
「そうね。スイーツブッフェとか?櫻子行かなそうだし」
「良いね!あたしも食べたいし!甘いものいいよねぇー……。はふっ」
「……ただ、華波口回りとか凄く汚すのよね~」
理奈が白い目を向けるが、華波はまったく意に介していない。まぁ良いか、と理奈は笑う。
「お姉ぇちゃん、コーヒー飲まない?甘いもの想像してたらさ、なんかコーヒーでさっぱりしたくなっちゃって!」
どういう理屈だ。まさか想像だけでスイーツを食べた気でいる訳ではあるまい。
「まぁ、良いかな。なら駅前のあそこかな?」
「あたしあそこ好きだよ!ココアが美味しぃーんだよねぇー」
「うん?待って。華波、コーヒー飲みたいって言わなかった?」
「言ったー。けど美味しいと思うもの優先だよ、お姉ぇちゃん!」
「……」
華波相手に理屈は通じない。その事を改めて痛感させられた。
「あ」
そこで華波が声をあげる。何事だろう、と華波の方を向く。
「お姉ぇちゃん!だったら和乃も誘おう!皆で行った方が楽しいよ!けーもさ!」
「うーん、和乃はともかく、けーはあんまり甘いもの好きそうな感じしないんだけど……。前にもスイパラとかはあんまり得意じゃないって言ってたし」
「あー、辛いものとか焼き肉とかって感じだよねぇ。……けーはその時誘おうか!」
「待って。焼き肉も辛いものも私は好きじゃないの。気分が悪くなっちゃうの」
「むぅ」
そうこう話しているうちに駅前の喫茶店についた。華波が元気よく挨拶しながら扉を開けると、マスターも心地よく返してくれた。
「前途多難だねぇ」
「とりあえずけーはそっとしておこう」
「そうだね」
華波の前にココア、理奈の前に深煎りのグァテマラが運ばれる。
癖の強いストレート。理奈はその独特な癖を楽しむ。苦味の中にふわりと感じる酸味が心地よい。
ブレンドとは違った、まとまりのない味わい。
「さて、どうするのかしらね」
まとまりのない、私達は。
首を傾げる華波を放っておいて、理奈はコーヒーを楽しんだ。




