朝のホームルーム
都内某所にある、緑と住宅街に溢れた、喧騒と静寂の両立する街。 その一画、徒歩数分の場所にある、西条高校。今年で半世紀と数年の少しボロい学校。
その家庭科室で。
ゴリゴリゴリゴリ。
豆を砕く音がした。香ばしい香りが、鼻腔を刺激する。重くもなく、軽くもない、誰が嗅いでも香しいと思うような、香り。
ゴリゴリゴリゴリ。ゴリゴ、カラカラ。
豆がなくなった。挽いた豆を、フィルターに入れてお湯を注いで蒸らしを始める。
サーバーを温めてたお湯を捨てて、抽出を始める。時刻は8時10分。授業の開始は半からだが、まだ学校は静かだ。
そして、温めておいたカップに珈琲を注ぐ。
「あ~、良い香り」
そこに、ミルクと砂糖をドパドパと入れる。もはや、カフェラテではない。牛乳の中にコーヒーが少し混ざってる程度だ。
邪道という者もいる。だが、そんな事はない。嗜好品というものは、本人が楽しむためのものであり、それを批判する方が、よっぽど、無粋である。
それを、三杯。使用した砂糖の量は、スティックシュガー21本。立派な糖尿病予備軍である。
しっかりと三杯目を楽しんでる途中、余ったものを氷の入れた魔法瓶に注いで、これまた大量のミルクとガムシロップを注いでコーヒー牛乳にする。
時刻は20分。そろそろ騒がしく
「お姉ぇちゃんー!!」
なった。それも物凄く。家庭科室のドアをバァンッ!と反響するくらいのボリュームで開け放つと、勢いそのまま走ってくる。ヤマビコが聞こえる。
ヒョイッ、とお姉ぇちゃんと呼ばれた人物は軽やかに回避する。
これまた凄い音がした。壁に激突した人物は動かない。
「大丈夫?」
お姉ぇちゃんこと、森下理奈は、コーヒー牛乳を飲みながら訪ねる。手を貸そうとはしない。
「聞いてよ聞いてよ!」
ガバッ!と猪娘こと、小井戸華波は起き上がると、因縁をつけるが如く突っ掛かる。まるでモデルのような美人だ。小さい顔に大きな目。締まった身体は、男子なら思わず目がいく容姿だ。欠点をあげるならば、馬鹿で男を見る目がないところだ。
「彼氏に浮気されたぁ!」
「そう。残念だったね」
「貫かれるかのようなドライさ!!」
決して理奈がドライな訳ではない。ただ華波の男を見る目がなさ過ぎて呆れ果ててるだけだ。
まだ月の下旬にもなっていない。確か付き合ったのは、今月の上旬も終わりの頃だったハズだ。まだ十日も付き合っていない。
「まだ傷が浅くて良かったじゃない」
「深いよ!浮気されるのは辛いよ!」
泣きそうな勢いだ。だが、理奈はコーヒー牛乳を飲むと、
「フラれたの?」
「フラれたも同然じゃん!まだ十日も経ってないんだから!」
理奈は使った器材を洗い始める。
「けどさ、フラれて悲しいんじゃないんでしょ?」
「……え?」
華波がきょとんとする。
「二股されたのがムカつくだけでしょ?」
「……」
華波は顎に手を当てて考え始める。あれ?と首を傾げる。
「華波は器量が良いから男がホイホイ近寄ってくるでしょ?今回の相手だって、向こうからでしょ?」
「……」
「で、浮気されてくやしいだけ。別にその彼の事なんか華波自身も見ていない。ただ、自分が蔑ろにされて、怒ってるだけ」
違う?理奈が聞くと、華波は難しい顔をして、
「……間違って……ない」
「はい、おしまい」
ちょうど片付け終わった。魔法瓶片手に教室に向かう。華波もその後をついていく。
「けど、お姉ぇちゃんはなんでも解るね」
「華波が解りやすいだけでしょ?」
「……」
馬鹿は自覚している。華波が唇を尖らせて拗ねる。
「ハイハイ、ゴメンね」
華波と比べずとも背の小さい理奈が背伸びをして頭を撫でてやる。その、無防備な背に、
「お姉ぇちゃんー!!」
「ぐえっ」
強烈過ぎるタックル。強襲者と華波の間に挟まれて、理奈は潰される。さながら、道端で車に轢かれるカエルの気分。
「ゴホッ、ゴホッ」
「お姉ぇちゃん!フラれたー!」
「……」
白い目で見た後、理奈は華波の手を握る。指を絡めた、カップル繋ぎで。
「行こうか、華波」
「はい、お姉ぇ様」
「ちょいちょい!急に百合オーラ出さないで!?二人の間に入れない!?」
猪娘その2、増田櫻子。部活には無所属の体育会系だ。帰宅部の理由は家計を支えるためにしているアルバイト。朝と放課後にアルバイトをこなしている。
「もうその話題は飽き飽きしてるの」
「今朝あたしがしちゃったから~☆」
「うわっ、ムカつく!☆が凄くムカつく!!」
そのままぎゃぁぎゃぁと教室に向かう。奇遇な事に、三人とも同じクラスだ。
右に華波。
左に櫻子。
今まさに両手に華!なのだが、理奈はドンドンと疲弊していく。
とにかく、二人は五月蝿い。騒がしいというか、とにかく声がでかい。耳が次第にキーンとしてくるのだ。
「「理奈はどの体位が好き!?」」
「!?」
聴覚が麻痺し始めた頃、二人は朝から猥談を始めていた。
顔を赤くすると、二人をおいて理奈は走り出す。二人とは違うのだ。彼女はまだウブなのである。
そんな理奈を可愛い可愛いと笑う。
今日一日も楽しそうである。