鬼憑きの処遇
医務室に連れていかれて四日。秀樹は討伐を再開していたが、武人はまだベッドから動けないでいた。ようやく意識を取り戻したことを告げられた秀樹は、まだ所々小さな傷の残る体で武人の病室まで走った
「武人!」
武人がドアのほうを向くと、軽く息を切らしている秀樹が立っていた
「はは、お前が息切らすとか珍しいじゃん」
「・・急いできてやったんだよ」
「急ぎすぎだっての」
軽く笑いを浮かべる武人のベッドの近くまで歩き、そばにあった簡易椅子に腰かけた秀樹は表情を暗くしたままだった。それを知ってか知らずか、武人は口を開いた
「命に別状はないってよ。毒素が抜けきるまで・・まぁ、一か月くらいらしいけど、その間は絶対安静だとさ」
「そうか・・・」
「暇だよな~。お前も任務でいないし」
武人がため息交じりに言うと視線を外してしまった秀樹。意を決して武人に向きなおったが、顔の前に突き出された人差し指が秀樹を遮った
「お前のことだから、どうせ今の状況謝ろうとか思ってんだろ?」
図星を突かれたのか、思わず息をのんだ秀樹に向って、武人は小さくため息をついた
「別に怒っちゃねぇし、お前に謝ってほしいとも思ってねぇ。今回は俺の油断が招いた結果だろ」
「それとこれとは、」
「一緒だ馬鹿。それに謝るのは、違うことについてじゃねぇのか?」
からかうような口調とともに紡がれた、いつもの武人の笑顔。それに安心したのか、秀樹の表情がここ数日で初めてゆるんだ
「悪かったな、隠してて」
「仕方ねぇ、今回だけは許してやるよ」
そこにはいつもの、今まで通りの二人がいるだけだった
「にしても傷だらけだな。見てて痛ぇし」
眉をしかめる武人に対して、秀樹はやはり軟らかい表情を浮かべたまま
「どうせこの程度明日にはなくなる。この前のももう治ったしな」
「そのスピード羨ましいな。・・まぁ、俺がいないからって無茶すんなよ」
「お前に言われたくない」
和やかだった雰囲気は、微かに響いているバイブ音にかき消される。慣れた手つきで、しかしどこか気だるそうに受け答えをしていた秀樹は、舌打ちとともに電話を切った
「気が向いたらまた来いよ~」
「・・そのうちな」
武人との軽い挨拶を交わして病室を後にする秀樹。もうその表情には厳しさしか残っていないようだった
鬼憑きによる被害件数や目撃頻度も、討伐隊による討伐件数も急上昇していった。秀樹の怪我も少しずつ酷いものになっていったが、鬼憑きであるという噂が施設内に広がるにつれて次第に遠巻きに扱われるようになっていた。
「次はお前が入院すんじゃねぇのか?」
頭と二の腕に包帯を巻いたまま歩く秀樹は少し足も引きずっているように見える。着替えないまま来たのか、上着は赤黒い汚れが目立っている
「大きなお世話だ」
隣を歩く武人は、まだ治療中の服を着てはいるが明らかに秀樹より足取り軽く、顔色も随分とよくなっている。ゆっくりとした足取りで進んでいく二人以外には、日の陰り始めた中庭に人影はない。時折吹き込んでくる風は幾分か冷たくなってきている
「最近休みないんだろ?体保つのかよ」
「腕一本くらいなら、なくなってもどうにかなる」
「マジかよ・・ってか、んなこと言ってんじゃなくてだな、」
続けようとした武人の言葉は、音になる前に飲み込まれた。赤く照らされた秀樹の横顔は、夕日のせいだけではない憂いを帯びていた
「大丈夫だ、滅多なことで死なない・・・・そういう、生き物だからな」
強くなった風でゆるんだ包帯を軽く押さえる秀樹。来たときには手の甲にあった擦り傷はもう見えなくなっていた。しかし、確かに人ではない証をその体に持ちながらも、武人には秀樹が誰よりも人らしく思えて仕方なかった
「・・・ばぁか」
先に歩きだした武人は笑っているような泣いているような、ひどく複雑な顔をしていた
繰り返しの検査の結果、あれだけ大量に血を浴びていたにも関わらず、武人の身体に何の後遺症も残すことなく毒素は抜けた。入院中にかなり体力や筋力は落ちたものの、さらに一カ月ほどの期間だけで現場復帰という中々な回復力を見せた武人を待っていたのは、これまで以上にきつくなっていた任務と、本部からの信じられない通達だった。
「処刑?!!んだよっそれっ!」
確実に室外まで響くような声で迫られながら、レティの顔が歪んだのは珍しく別の理由だった。
「・・・・言ったとおりだ。先ほど本部から、秀樹の処刑命令が来た」
声のトーンは普段と変わらないままだが告げるレティも苦しそうだった。ただ言われた本人だけが特に何の反応も示そうとしない。
「担当者は、武人か?」
「そうだ。・・少しは反発しろ馬鹿者」
「担当者って・・」
「秀樹の処刑担当として本部から通達がきているのは、No.2である武人だ。処刑理由は、簡単に言えばこれ以上強力になると手に負えなくなる、ということらしい」
信じられない表情を浮かべるカロン。武人も同じだった。
「妥当なところだろ」
あいも変わらず秀樹だけが落ち着き払っている。
「ふざけんなよ!?てめぇの都合だけで、手に負えなくなるから殺すとか、秀樹をなんだと思ってやがんだ!!」
壁伝いに振動がきて部屋が揺れた。武人の怒鳴り声が響きわたる。
「そんな勝手なことさせてたまるか!本部の連中ぶん殴ってでもっ」
低く鈍い音と入れ替わりで武人の声が止まった。崩れ落ちる体を秀樹に支えられて床に横たわった。
「・・レティ、こいつのこと頼まれてくれ」
「お前はどうする気だ」
「どうにかするさ。とりあえずは生き延びる方向でな」
翌日朝早くに、鬼憑き失踪の通達が本部に送られた。
一月経ち二月経ち。手強くなっていく鬼憑き達に対抗できるよう戦闘員の強化が進められるようになった。以前はほぼ貸しきりだったトレーニングルームも、今は必ず五・六人が使っている状態だ。手狭に感じるようになった空間内で、武人は毎日決まった時間にトレーニングに現れていた。現戦闘員ではNo.1の実力を持つ上、任務はすべて一人で当たっているというのは周りから一目おかれるにも、恐怖感を持たれるにも十分すぎるほどだった。あれ以来口数も少なくなった武人には近寄り難い雰囲気も加わり、カロンやレティ等の慣れた者とくらいしか会話していない。
『古野武人。レティ室長がお呼びです。至急応接室まで来てください』
機械的な音声が響く。模擬戦闘を行っていた武人は早々に切り上げて部屋を後にした。武人がいなくなった室内からは、安堵にも似た空気が漏れ出ていた。
普段呼び出される司令室を素通りし、施設の入り口近くに設けられている応接室へと足を進める。到着した武人を迎えたのはおそらく本部のボディーガードと思われる男二人と、扉の脇にいたカロンだった。
「お久しぶりです武人さん。僕も呼ばれたんですよ」
笑顔を浮かべたカロンがノックし、二人は応接室へとはいっていく。レティと向かい合って座っているのは若い女性だった。その後ろに外と同じ格好の男が一人控えている。武人の方を見て頬笑み、一言。
「久しぶりね、古野武人」
途端顔をしかめる武人。
「・・・誰だ」
「あら、プレゼントまでしたのに。手紙読んでくれなかったかしら?」
噛み付かんとする気配は嘘のように引き下がった。難しい表情はそのままに。女性は言いながら立ち上がるとレティと武人に視線を送り、扉へ歩いていく。最後に室内を振り返った。
「良い結果をお待ちしていますよ」
完全に閉まる扉。レティの身体からじわじわと力が抜けていった。息をする音だけが絶えず聞こえてくる。
「・・で、俺らを呼んだ用事は?」
レティから力が抜けたのを見て武人が聞く。レティはそれに返事を返さず、一冊と言っていいほどの厚みを持つ書類の束を差し出した。一通り目を通した武人。
「いつから?」
「決定したら連絡する」
それだけを確認するとカロンに資料を渡して応接室を出ていった。
「ペアってのは似てくるもんだな。良くも、悪くも」
数ヶ月前までの誰かを見ているようだと、カロンもレティも近頃の武人に同じ感想を持っていた。どこか諦めの混ざった視線も、恐ろしいほどの無愛想も、その奥に潜められている強い意志すらも。
「さて、カロン。頼めるか?」
「僕は武人さん専門の医療班員ですよ?僕以外に誰がするって言うんですか」
前々からカロンやレティには伝えられていたことではあった。だからこそこの期に及んで反論することはできないし、覚悟も決めることができた。
「本部のことですから明日くらいには必要な物を届けてくるでしょうね。三日後くらいには始められると思います」
「そうか。頼んだ」
「はい。それじゃ、失礼します」
カロンは比較的ゆっくりとした足取りで部屋をでていった。その動きは落ち着いているようにも、落ち着こうとしているようにも見えた。
まだ早いうちに自室へと戻ったカロンが手にした資料に目を通したのは、それから丸一日経とうかという頃だった。
さらに三日後、武人への人体投薬実験が開始された。