別行動の結果
手を持ったまま引っ張っていく不機嫌な武人に、カロンは為すすべもなく引きずられている。しばらく行ったところで秀樹がその手を捕まえて止めた
「・・いつまで持ってるつもりだ。いい加減、カロンを放してやれ」
ずっと持たれていたカロンの手首あたりは赤くなっている
「あ・・悪ぃ」
「ううん、大丈夫」
カロンに言いながらも武人の視線はカロンをとらえていない。そのまま秀樹に向けた目には、様々な感情がこもっていた
「・・・・言いたいなら言えばいいだろ。遠慮するなんてらしくないな」
「・・別に何でもねぇよ。とりあえず今日はもう休もうぜ」
無理に笑ってるようにしか見えない笑顔に、それでも武人の真意が読みとれなかった秀樹は、小さく頷いた
資料を読みながらも、カロンは武人が気になってしょうがなかった。何をやるにも、違和感があってしょうがない。資料の内容は、いくら読んでも全く入っていってないのがわかった
「・・ン、カロンってば、おい!」
「うわぁっ!」
「大丈夫かよ、かなりボーっとしてたぜ?」
苦笑混じりに武人に言われて、思わず大声を上げてしまったことに顔を真っ赤にしたカロン。それをさらに笑われて、ふくれっ面を浮かべた
「武人さんのせいなんだからね」
「・・俺?なんかしたっけか?」
「だって、昨日からずっとおかしいし・・」
カロンにそう言われ、武人は言葉に詰まった。しばらくの沈黙の後、武人は周りを見回して他に人がいないことを確認すると、ため息と共に机に突っ伏した
「・・・秀樹の奴に、いろいろ言いそびれてさ」
少し拗ねたような、ふてくされたような、いつもより少し低めの声で武人は唸った。今朝早くから出ていたらしい秀樹に昨日別れて以降あうこともなく、結局いろいろなことがいえないままになっていたらしい
「秀樹さん、大丈夫なのかなぁ・・」
「・・・・殺られたりするようなことはないだろ。んなに弱くねぇし。無茶しなきゃいいんだけどな」
一人で鬼憑きとの戦闘任務。鬼憑きが複数で行動し始めたとなると、自殺行為に等しい。秀樹がそれを可能と思えるだけの強さを備えていることが、せめてもの救いだった
「・・さて、と。俺等は俺等の仕事をするか」
うなだれたままだった武人は起き上がり、一度体を伸ばした。浮かべている表情は先ほどより明るい、いつもの表情だった。それを見たカロンも安心したように顔をゆるめる
「うん。早く終わらせないと」
そう言って資料を手に取ろうとして、小さい音がして、カロンは慌てて腹部を押さえた
「・・・先に飯にすっか?」
笑いをこらえながら聞いてくる武人に、視線を逸らしたまま小さく頷くカロンだった
日が暮れてようやく帰ってきた秀樹は、まだ部屋に戻っていないのか、血で塗れたままの服で歩いていた。報告も終わって部屋に戻ろうとしているところ、ちょうど向こうから歩いてきていた武人が走りだした
「秀樹っ!?お前、その血・・!!」
「叫ぶな。俺のじゃないだろ、よく見ろ」
武人が言われてよくよく見てみると、すでに血は乾きかけていた。なにより、秀樹にこれだけの出血をしそうな怪我は見当たらない
「んだよ、驚かすなよな・・。でも、さっさと流さねぇとだろ?」
「まぁ・・・そうだな。その方がいいんだろ」
じゃ、さっさと行け!と、武人は秀樹の背中を軽く叩き、秀樹とは反対向きに歩いていった。武人が見えなくなってから、
「・・・・・響くだろうが、馬鹿・・」
秀樹は誰にともなくぽつりと呟いた。乾いた血の上に、瑞々しい紅が滲んだ
別行動をとるようになって、必然的に秀樹と武人が一緒にいることはほとんどなくなった。武人の側には代わりにカロンがいることが多くなり、秀樹は怪我が目立つようになっていった。
「秀樹さん、消毒道具持ってきました」
「ん、あぁ」
準備をするカロンに、擦り傷だらけの右手を差し出す。その手を受け取ったカロンはてきぱきと消毒をして包帯を巻いていく
「別にそこまでしなくてもいいんだが・・」
「駄目です。化膿でもして酷くなったらどうするんですか?」
「いいじゃねぇか、受けとけよ」
資料の整理をしながら、武人は多少困っているような秀樹に笑顔で言う
「カロンも専属医療係なんだしな。練習練習♪」
「・・・・お前楽しんでるだけだろ」
「お前が怪我の治療なんてそうそうねぇだろ?」
秀樹の台詞に肯定も否定もせずに言う武人は、態度からいくと間違いなく楽しんでいるようだ。カロンから解放された腕をさすりながら、秀樹は軽く息を吐く
「にしても、ほんと最近増えたよな。らしくもない」
「・・お前の事務仕事ほどじゃない」
「うっ・・うっさいな!好きでやってんじゃねぇよ!」
任務を分担されて半月ほど経っているはずなのに、武人の動きは相変わらずぎこちないもので。本人も自覚しているのか顔を真っ赤にし、それ以上の文句は言わなかった
「終わりましたよ、秀樹さん」
二人がちょうど静かになったのを見計らったのか、タイミング良くカロンが秀樹に声をかけて右手を放した。秀樹は包帯を巻かれ消毒液の臭いがする腕を持ち上げ、カロンの頭の上に乗せた。その意味が分かったのか、カロンは嬉しそうに、どういたしまして、と笑った
「で、終わったなら本題入っていいか~?」
多少疲れたような声で武人が呟いたことで、ようやく秀樹が向き直る
「そう言えばそうだったな。調べ終わったか?」
「いんや、まだ終わっちゃねぇよ。・・つーか資料の多さ知ってんだろうがよお前は、イヤミかこの野郎」
さも当然というように聞いてくる秀樹を一睨みしつつも、まぁいいと話を進めた
「とりあえずお前がこないだ言ってたことから調べだしてな。確かに言ったとおりだったよ。・・でも少し足りねぇんだ」
武人の言葉に怪訝な表情を浮かべる秀樹
「鬼憑き同士が影響を与えるっつっても、相手との相性みたいなのもあるらしいぜ。それによっては死に至るほどってのも珍しくないらしいけど、中にはほとんど影響を受けない奴らもいるらしい」
「・・・・・なるほど」
影響のない相性があるのなら、それに鬼憑き達が気づいたのなら、この動きはおかしいものではなくなる。同時に、こちらから見るなら恐ろしいことだった
「これから先、協力しあう鬼憑き達が増える可能性は十分あるな」
「ま、そうだろな。迷惑な話だぜ」
やれやれと、手にしてある資料を振りつつため息をつく武人
「レティに報告は?」
「まだだぜ。後で行こうとは思ってっけど」
秀樹はそう言う武人の手から資料を取り上げると、ちらりと見てから立ち上がった
「どこ行くんですか?」
「報告」
一言だけカロンに返すと、そのまま秀樹は部屋を出ていった
「武人さんは行かなくていいんですか?」
「・・いいんじゃねぇか?たぶん」
半ばどうでもいいように武人は言い放った。すでにいなくなったドアの向こう側を睨むようにして
「さてと、続きでもするかね」
手近にあった本を一冊取り上げて呼んでみるも、おもしろいくらいに武人の頭を素通りしていく。お陰で同じ所を何回も行き来する羽目になり、ほとんど進んでいない。端から見ているカロンにもわかるほど、秒単位で武人の機嫌は悪化していった
「・・・お昼でも、食べに行きませんか?」
「そう、すっか。全っ然集中できねぇや」
「気分転換もしたほうがいいですよ」
ぎこちない笑顔を浮かべつつも、二人とも立ち上がって食堂に向かうべく歩きだした。いつもならほとんど途切れることなく会話をしながら歩く二人だったが、疲れのせいか、珍しく静かなまま進んでいく。結局食堂に着いたところでさして話もなく、食事中も黙り込んだままだった。先に食べ終わった武人がひと伸びして食器を持って立ち上がる
「ちょっと町まで散歩にでも行ってくるわ。なんか欲しいモンでもあるか?」
「特にないですけど、大丈夫なんですか?危険かもって・・」
心配そうなカロンをよそに、武人はしっかりと笑顔を向けた
「なぁに、大丈夫だって。一人二人出てきたところで、そうそう負けねぇよ」
「あ~、確かに言ったな。一人二人出てもって。だからってなぁ・・・これはいじめだろうよ」
武人の目の前にあるのは、ちょうどこの時間なら子供たちがたくさんいるはずの、割と広めの公園。今は子供どころか人の姿がなく、その代りに人と同じ姿をしているモノが三人、入口の石塀の周りに集まっていた。なんとも楽しそうに笑ってはいるが、そこからは明らかな殺意が武人に向けられていた
「何一人でごちゃごちゃ言ってんだよ」
「いいだろ別に。そういう気分なんだよ」
「まぁいいじゃねぇか。どうせこれから死ぬんだからな」
武人の表情がこわばる。唾をひとつ飲み込んだ
(勝ち目ってか・・・・生き延びれるか?これ・・)
すでに変形しているのか爪が異様に鋭く長いのが一人、口内に収まっていない舌と牙を持ち、体のいたる所に鱗が見えるのが一人。もう一人は見える場所に変化はないが、どれも戦闘向きの能力と性格を持ち合わせているとみて間違いなさそうだった
「で、どう楽しむよ?」
「一人だけだからな」
「気にすることないだろ?」
三人目の声だけ、武人の耳元で聞こえた。そのまま武人が後ろに数歩下がると、地面に穴があいた。鱗がついた手を持ち上げ、土を振り払う。
「好きに殺っちゃえばいいんだって」
恐ろしい笑顔とは不釣り合いなほど無邪気にそう言ってのける。武人の顔を嫌な汗が流れ落ちた
「なんか反応よくね?こいつ」
「楽しめそうじゃねぇの」
(マジでやばそうだな・・)
武人はゆっくりと息を吐き、次から来るであろう攻撃に備える覚悟を決めた
「おら、いくぜ!」
武人は振りかざされてくる爪を避けながら残り二人の動きを見る。が、ある程度離れた場所から見ているだけで何も仕掛けてくる気配が無い。不意に武人の肩口を相手の爪がかする。裂けた服の隙間から滲み出す血に軽く舌打ちをする
「おいおい。よそ見してる何ざ、随分と余裕じゃねぇか」
脇からの衝撃に宙に舞う武人の身体。咄嗟のことに受身も取れず、アスファルトにまともに叩きつけられる事になった。一瞬伸びきった武人の身体は次の瞬間には丸まり、激しく咳き込んだ
「何もしないで見てる、なんて言ってないよ?目を離しちゃ駄目じゃないか」
穏やかな表情を浮かべる男は、やはりどこも変化している様子は無かった。ただ両手の周りを、何かもやもやした光が包み込むようにしてそこにあった。鱗に覆われた腕が蹲る武人に伸び、頭を掴み取ると、そのまま武人の身体を持ち上げて宙吊り状態にした。掌には容赦なく力が籠められ、武人の口からは声にならない呻きが漏れた。その時に起きたことは、恐らく起こした張本人以外にはまったく予想外だったろう。武人から一番離れた位置、鱗のある皮膚は、通りざまに鋭い爪に切り付けられて薄く破けた。正確に言うなら、後ろから物凄い勢いで飛んできた彼の爪が当たってしまったのだが。彼らが振り返る先、薄暗くなり始めた道の先にいるのは、驚きで再び地面に落とされた武人しか知らなかったが、痛みを耐えて見たその姿は、どうにも信じがたいものだった
「なんだテメェはっ!」
「秀、き・・・?」
そこに立っているのは間違いなく秀樹のはずだった。見慣れた服装も、その表情も。ただ、身に纏う異様な雰囲気と、右腕を覆っている透明なものは、武人でさえ、それを秀樹と思わせなくするような絶対的なものだった
「なんだって聞いてるじゃん。答えろよ」
秀樹の肩に手を置いた一人が、そのままの形で動かなくなった。秀樹が軽く振り払うと姿勢を変えることなく傾き、地面と触れた衝撃で粉々に砕け散った
「・・覚悟はいいだろうな」
ただ一人立って秀樹と対峙している男の額には汗が浮かび、険しい表情を浮かべていた
「んなもんする時間があったら、こーしてやるぜっ!!」
振り上げた腕は鋭い鱗が刃のように並んでいる。勢いよく振り下ろされるそれに、武人は思わず眼をつぶった。しかし予想していた衝撃はなく、温かいものが顔にあたって視界に収めたものは、上半身を赤く染めた秀樹の姿だった
「秀樹っ!」
素早く動いた秀樹の右腕が男を飛ばし、公園の塀へと叩きつけた。男は悪態をつきながらも起き上がって逃げだし、秀樹の体はその場に崩れ落ちた。少しふらつきながらも体を起こした武人が秀樹に触れようとして、乾いた音と共に振り払われた。秀樹の手を覆っていた透明なものはもうなくなって、苦しそうに浅い息を繰り返すだけで動こうともしない
「触る、な・・」
途切れ途切れの弱々しい声は、どうにか武人の耳まで届いた。たったのその一言は、武人を激怒させるには充分過ぎる言葉だった
「何いってんだよ!さっさと治療しねぇとヤバいだろうが!!」
そう言って再び伸ばされたその手は、またしても秀樹自身に阻まれて届かない。武人が口を開いたそのとき、一歩早く秀樹の苦しげな声が聞こえた
「見た・・だろ。・・・・鬼憑き、だよ・・」
絞り出すような声は、決して怪我だけのせいではないように思える。武人は何か言おうとしていた口を噤んだ。そのまま引きかけていた秀樹の腕を掴みあげると、勢いに任せて体の下へ潜り込んだ。背負われる形になって初めて、思い出したように秀樹が体を捩った
「ばっか、落ちるだろうが!!暴れんな!」
「どっちが馬鹿、だ・・・・」
「いいから動くなっての!」
叫ぶような強さで言うと、武人は半ば強引に歩きだした。未だ止まらない血で滑る秀樹の体を縛り付けるように手をまわし、施設への道を急いでいく武人。だが道半ばくらいまできて次第にペースが落ちていき、施設が見える位置まで来たというのに、背中の秀樹ごとその場に崩れた
「・・っは、ぁ・・・・くそっ!」
武人は悪態をつきながらももう一度立とうとするが、先程のダメージと体に回りだした毒素でうまく力が入らない
「置いて、け・・よ」
微かな呟きの直後、乾いた音が静寂を作った。力一杯振り抜いた右手は宙に浮かせたままで、武人は全身で呼吸をしている。全力だったはずの一撃は、それでも秀樹の頬をほんのりと染めることしかできなかった
「ぜってぇ・・・・連れ、て・・帰るっ!」
血塗れの二人が入り口付近で倒れてるのを発見されたのは、日付も変わろうかという頃だった