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くちづけ

 ――16歳 春


 庭のバラの蕾が色づき始めている。 


 もうすぐバラの季節だ。 


 怖い。


 胸が締め付けられる。


 シャムロックが迎えに来たら、迎えに来てしまったら、私は……


 ☆

 

 最初は一月に一度この村に訪れる程度だったが、半年ほど前、王子からバラが送られてきたときから月に二度になり、先月と先々月は月に三度みたびも訪れた。


「私は、あの人が他の女性ひとと仲良くしている姿を傍で眺めながら、残りの人生を生きなければならないの?」


 何度も青年に言った愚痴だ。青年も聞き飽きただろう。


 王子に面等向かって言う勇気は無いけれど、どろどろした感情を吐き出さないと心が保てない。


 最初は青年に愚痴を聞いてもらえば、お腹の底に溜まった熱を言葉と共に吐き出せていたのに、吐き出しても吐き出しても、熱い涙がこぼれ、頭も激しい怒りの熱で痛くなる。泣き過ぎて息をするのが苦しい。


 昔は、たとえ政略結婚であったとしても、彼と歩いていけるなら、父母のようにはならないと信じていた。


 こんな想いをするくらいなら、父と母のようにお互いに関心が無いほうがましだ。


 最初から好きでなければ、好きな気持ちを消せたら……


 バラの蕾は日ごとに色が濃くなり、大きくなる。


 期限はすぐそこだ。


「結婚しなきゃいい。俺はずっとお前の側にいる」


 耳元でささやかれた言葉に顔を上げる。


「自分が何を言っているか――」


「あの男とは結婚せずに、俺の側にずっといてくれ」


「私……無理に決まっている。何も知らない。何もできない。それにそんなことをしたら、確実に追われる」

 

 青年から聞く農村の生活は侍女などはおらず、掃除や洗濯、料理などの家事はすべて自分でしなければならない。包丁さえ持ったことの無い私にはとても無理だ。

 それに、姫が消えたとなれば、国中虱潰しに捜索されるだろうし。


 現実を考えれば、そんな未来は来ないことはわかっているのに、彼の言葉にすがってしまいそうになる。


「君が必要だ。俺が守る。家のこともこれから覚えればいい。答えを…」


 青年は言い募る。 一つ一つ言葉を区切っているが、焦りのためか少し早口だ。


 その言葉に久々に熱に狂った涙ではなく、温かい涙を流した。

 ああ。 私はずっと青年にそう言って欲しかったのだ。

 側にいてくれる人を欲していた。 永遠の牢獄から連れ出してもらいたかったのだ。


 側でいて、心の側にあってくれる人だったら、誰でもいいのか?


 青年が言い出してくれるのを望んでいた……言い出すように仕向けたのは自分だ。


 罪悪感と不安の中で私は与えられた道とは別の道を選択した。


 ――裏切ったのはシャムロックのほうだ。 


「バラの花が咲く前に、私を連れ出して」


 ふと唇に温かいものが触れた。



 青年は婚約指輪にとシロツメクサで作った指輪を嵌めてくれた。


「この指輪はすぐに色あせてしまうが、君への想いは消えない」


 私も、青年に教えてもらってなんとかシロツメクサの指輪を作ってみるが、どう見ても青年がくれた指輪より不恰好だ。


「――もう一度」


 私は別のシロツメクサに手を伸ばしたが、それをさえぎって青年は私の膝に置かれたままの失敗作の指輪を優しく摘まみ上げ、自分の薬指に嵌めた。


「世界で一番の宝だ」 と言って。


 その笑顔を見て、私は彼にずっと前から惹かれていたのだと思った。

 

 だから、この選択は間違っていないのだと……そう思った。




「他の村にいい家があるか調べてみる。さすがにこの村には住めないからな」


 私が行方不明になったら、この村に真っ先に手がかかるだろう。

 彼に本当にこの村を捨てさせていいのだろうか。   


「そんな顔をするな。家が見つかるまで数日かかると思うから、今日は一旦帰れ」


 青年は私の髪を名残惜しそうに梳く。

 このままでは、日が暮れてしまうことはわかっているのに身体が動かない。


 「じゃあな」


 その言葉でのろのろと馬に乗った。

 かなり進んだところで振り返ると、彼はまだ手を振っていてくれていた。 


 やっとこさ、『お姫様とスケルトン』に追いつきました。

 『お姫様とスケルトン』の時と登場人物の口調が若干違いますが、あっちは『絵本』ということで……。

 

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