幕間
最初、エリエール視点。後半王子様視点です。
エリエールが執務室の扉を開けた時、彼女の主はぼんやりと書類の束をペン先でつついていた。
真面目に仕事をこなす王子にしては非常に珍しい光景だ。
まあ、処理した数の倍の書類が毎日毎日積み上げられたら、王子ならずとも投げ出したくなるだろう。
王子は真面目だが、決して要領がいいほうではない。一枚一枚端から端まで読んで、疑問に思ったことは担当者を呼び出すなり、意見書を添えるなりして処理をする。手の抜きどころを知らない。
それでも、今までは十分裁けていたのだが……至急ボックスの中に『割れた皿の追加購入』が大至急の判子が押された状態で入っているのには傍から見ていても頭が痛くなる。皿なんていくらでもあるだろうに。
きっと担当者に聞いたら、「急いでなくとも『大至急』と書いてなければいつになるかわからない」と言うだろうが。
このところ急に国王の体調が悪くなり、仕事の量が倍増した王子にエリエールは申し訳ないと思いながらも新たな書類を渡す。
☆
「隣国のお妃様から苦情の手紙です。後で大丈夫かと……」
エリエールがシャムロックに手紙を渡す。
シャムロックはその場で一読して、エリエールに手紙を返した。
「叔母様は心配性なんだよ。一ヶ月に一度か二度、城を抜け出して、村に遊びに行くくらいいいじゃないか」
婚約者が14で勝手に城を抜け出した時、隣国の叔母に『森に入らないのなら、多少外で羽を伸ばすことを許してやったらどうか』と手紙に付け足したのだ。もちろん『こっそり護衛をつけた上で』と書くことを忘れなかった。
自分の少年時代は、魔法を持っているとはいえ、ほぼ毎日森に出かけて、変わった薬草が生えてないか探し回っていた。
有用な薬草を栽培することができれば、わざわざ危険な森に出向かなくても済むと考えて。
あの頃はあの頃で貧乏国家をどうにかしたいと思っていた。
ちゃっかり、虫取りにも励んでいたが……。
それに比べ、姫のほうは遊んでくれるはずの兄が病弱な上、両親は必要以上に姫を心配しほとんど外に出さなかったそうだ。
男女や魔法の有無の違いがあるとはいえ、ずいぶん窮屈な少女時代を送っていたのだなと少々同情した。
『通常』処理待ちの束に目を移す。一番上の書類は薬草園の報告書だ。
一種類だけ、商品化できそうな薬があるが……採算が取れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
子どもの頃から地道に栽培を続けて、今現在もなかなか成果が出ないことに思わずため息がこぼれる。
まあ、園長なら笑って
「十年で根をあげてしまっては困りますな。こういうものは五十年後、百年後の国の繁栄を信じて、気長に研究するのですよ」
と言うだろう。
意味も無く、書類の端を摘まみあげてはらりと落とす。
思考がわき道にそれてばかりだ。
そういえば、姫が勝手に城を抜け出して、ここに来たのは去年の今くらいの時期だったか。
「元気ないですね。お姫様に会いにいかれたらどうですか。村なら行き帰り合わせても二時間弱ですし」
思いっきり見透かされている。
「毎日、そこにいるってわかっていたら会いにいけるけれど、一ヶ月に一度じゃあなぁ。城まで行ったら、一日がかりになるし」
最近は、ろくに薬草園にも行けていない。
「こんな仕事に手が付いていない状態じゃ、一日息抜きに会いに行かれたほうがましです」
ほうっとエリエールはため息をつき、隣国の妃の手紙を王子に返す。
「姫様も姫様で困ったものですけれど。もう、遊びまわる年齢じゃないでしょうに」
――この頃、姫の自由時間を増やしたが、それをいいことに護衛を振り切って、村に行ってしまう。それも王子が与えた庶民の服を着て。
王子が乗馬を教えてくれたおかげで、はしたない娘に育ってしまった。昔はあんなにいい子だったのに――
要約するとこんな感じなんだが、麻の服着ている人間は全部はしたないのかと突っ込みたくなる。大体、姫のお転婆は昔からだ。
ちゃんとご飯の時間に家に帰っているんだったら良いじゃないか。一応両国の国境駐在員が常駐しているあの村なら安全だ。
「小さい頃は習い事で、ろくに遊べなかったらしいから、こちらに嫁ぐ前に取り戻したいんだろう。……こっちに来ても、窮屈なのはきっと変わらない」
「結婚したら、時間の合間を見て、お二人でお出かけになればよろしいんですよ」
「馬に乗って?さっき、遊びまわる年じゃないって言って無かったか。それにまた、叔母様に姫にはしたないことをさせてと怒られるな」
シャムロックがほんの少し笑みを浮かべる。
「あっ、遊びまわるのとお出かけは違うんです。きっと姫様も王子様と会えないことをさびしく思って、国境近くまで行かれているんですわ。会いにいけないなら、何かお贈りすればどうですか」
それはいいアイディアだ。
「姫様の好きなものは?」
エリエールの問いに、森の湖で姫に渡した花を思い出した。
「……片栗の花を喜んでくれたことがあったな」
「今は咲いておりません。……ずっと座りっぱなしも身体に悪いですし、外の景色でも眺めながら考えたらいかがですか?」
そう言われて、立ち上がり窓の外の景色をしばらく考えていたが、良い考えが思い当たらず、視線を下に落とすと……
「……バラの花」
ちょうど庭の秋バラが咲き誇っている時期だった。
姫が秋にこの城を訪れたのは一度だけで、すぐに帰ってしまった。
姫は一度もこの庭園の秋バラを見ていない。
「お姫様もきっとお喜びになりますわ」
「姫が、バラが好きだと知っていたな」
エリエールはいたずらが見つかった子どものようにちょろっと舌を出す。
何か贈り物をと提案した時から、王子がバラの花を姫に贈るよう仕向けるつもりだったのだ。
まあ、ほかにいい案が思い浮かぶわけでもない。
王子は仕事の手を止めて、庭に出た。
「王子様、蕾が開きかけているのを上手に選ぶんですよ」
「わかっている。手元が狂う」
「怪我しないでくださいねー」
そんなやり取りをしながら王子は蕾の先がわずかに開いた虫食いが少ないバラを摘んでいく。
小一時間ほどで大体すべての種類を摘み終えた。
「100本ぐらいは摘んだんじゃないですか?」
「まさか。50本もいってないんじゃないかな?」
そう言いながらも、王子は満足そうに笑う。
色とりどりのバラは見栄えよく見えるよう、綺麗に並び替えられ、切りそろえられてとても綺麗な花束になった。
☆
「仕事の書類ならいくらでもかけるんだけれどなぁ」
「先ほどはそれさえ止まってらっしゃいましたのに」
エリエールに言われるばかりで、何も考え付かないのもあれなので、せめて手紙を添えようと書いたのだが……
『親愛なる我が姫。
庭のバラが満開になりました。
共に庭のバラを眺める日を楽しみにしています。
シャムロック・ラハード』
三回くらい書き直しをくらって「やっぱり、最初の文が一番ましです」とエリエールに言われて書いたのが、この文だった。
明日の朝には蕾がもう少し開いた花が姫の下に届くだろう。
姫は喜んでくれるだろうか。
「仕事放り出して何やってんねん」って突っ込みは置いといて……人間気分転換も必要ですよね。
バラの花言葉……『愛・恋・美・幸福』
ピンクのバラ……『美しい少女・温かい心・恋の誓い』
白バラ……『心からの尊敬・無邪気・私はあなたにふさわしい』
小輪の白バラ……『恋をするには若すぎる』
お好きな意味を選んでいただければと(笑)
花束には赤やオレンジなども混ぜています。
王子はフラワーアレンジメント技術までは持ち合わせていませんので、花束作るのは、城の庭師さんにおまかせしました。
王子はその後、三倍頑張りましたとさ。




