森の湖
――翌日
「雪が解けて、春になったら、遊びにおいで。この国で一番綺麗な景色を見せてあげるよ」
自分たちの国へ帰るため玄関を出た私に彼は穏やかな声で言う。
そういえば、話を繋げたくていろいろなことを話し合っていたら、ぽろりと『この国の雪は嫌い』とか言ってしまった。昨日は寒かったから、思わずそんなことを言ってしまったが、今、外に出てみるとうっすら雪の積もった世界は日の光に照らされきらきらと光っている。
「『遊びに来ていただけませんか』でしょ?」
この雪の世界をもっと歩いてみたいが、今日はもう帰らないといけない。
「はいはい。遊びに来ていただけませんか?」
この景色が好きだとちゃんと伝えなければ。そう思ったが、私の口は勝手に意地悪なことを言っていた。
「この国の冬は嫌いだけれど、紅茶はおいしかったわ。次はあなたが淹れなさい」
婚約者へのあまりの物言いにお母様が小さな声で叱り付ける。
「伯母上、大丈夫ですから。お姫様、次のお越しを心よりお待ちしています」
いとこであり婚約者であるシャムロック・ラハードはそう言ってにっこり微笑んだ。
☆
12の春には、約束どおりシャムロックが淹れたお茶を飲み、彼の馬に乗せてもらって彼の国の美しい景色をたくさん見せてもらった。
その当時の私にとってシャムロックは年の離れた兄のような存在だった。実の兄といるよりずっと楽しかったかもしれない。身体の弱い兄はこんな風に馬に乗ってどこかへ連れて行ってくれるということは無かった。
連れて行ってもらったすべての場所が美しくて、どれが一番かなかなか順番をつけられなかったが、一番嬉しかったのは、『本当はここに来たら駄目なんだけれどね』とこっそり連れて行ってくれた森の湖だった。
イーストレペンスとウエストレペンス両国にまたがるその森は狼が出る。
森の奥に分け入るのは危険を承知で入っていく猟師やきこりだけで、普通の人はせいぜい森の入り口近くで木の実拾いをする程度だ。
私も小さい頃から、森には絶対に近づかないようにと、教えられていた。
初めて入る森の湖では、木々の葉ずれの音や遠くから聞こえる動物の声に耳を傾けたり、冷たい湖面に足を浸けたり・・・。
彼は前のことをちゃんと学習していたようで、私が素足でばしゃばしゃと湖面を蹴っている間、後ろを向いていてくれた。
ふっと目を離した隙に、彼の姿が見えなくなった。
こんな森の中に置いていきぼりにするような人じゃないけれど、独り取り残されると不安になる。
辺りをきょろきょろしていると、後ろから声を掛けられた。
「ごめんごめん」
そう言って彼は城の庭では見たことも無い紫がかった薄紅色の花を一輪渡してくれた。
聞けば、私の姿を確認できる位置で、この花を探してくれていたらしい。
風にかすかに揺れる可憐な花を見て、まあ彼が少しの間彼が私の側を離れたことを許してもいいと思ったが・・・
「それの葉は茹でたら食べられるんだよ」
なんでこんなかわいい花を茹でるとか言うの?
「次は、私に断ってから摘みに行って」
「わかったよ。来年またここに来よう」
その花は茹でることなく、自分の城に戻ってから、押し花にした。
☆
13の春、私はシャムロックにねだって、乗馬を教えてもらった。
もちろん滞在期間中のそれも数時間の練習ではうまく操れるはずもなく、ちゃんと先生に教えてもらって練習することと先生がいるところ以外で勝手に乗り回さないことを約束させられた。
「ねえ、ちゃんと練習したら、来年はシャムロックに乗せてもらうんじゃなくて、自分で馬に乗ってここに来れるかしら」
湖面に足を浸けながら、彼に聞く。
「ちゃんと練習したら、ね」
彼は優しい声でそう約束してくれた。
森の湖で私と彼は離れていた一年の間に有った面白い出来事をお互い報告し合い、日が傾くまで笑い合った。
私は自分の城に帰ると本の間から、彼が摘んでくれた花で作った押し花のしおりを取り出し、微笑んだ。
――来年が待ち遠しい。




