エリエールの回顧録10 学者 (トリス先生の日常9の直後)
時間的には、トリス先生の日常のラストの続きになります。
トリス先生たちの日常を読んでいない方は一部ネタバレになります。ご注意下さい。
あれだけぺらぺら、しゃべっていたのに、不意に口ごもったエリエール嬢(幽霊)。
「最初の?」
説明が遅れたけれど、僕は幽霊が見えるという自分の才能を生かして、歴史書や古文書の翻訳などをやっている学者だ。昔の文献もその時代の人に読んでもらえば、らーくらく、げふっげふっ。
10年前、『ゾンビが再び現れて王城を襲った』という噂が王都に流れた。
200年前のあの事件「ゾンビ王子と姫」のことを思い出し、本当にゾンビがいるのかちょっと気になって調べてみたんだが、当時、14歳だった僕の手に負えるわけが無かった。
王都の大学に通うようになって、王立図書館の資料を漁ったが、ごっそり記録が散逸してしまっている。
国の名が変わる前と変わった直後の人事異動の資料を基に、ひとつひとつ墓を当たった。
侍女、数人がまださ迷っていたが「王子様とお姫様は突然消え、跡取りがいなくなった」と証言するのみだった。
当時の城で働いていたもので、王様以外に二人の人物が新しい国の所有物になった城に移らなかった。
一人は滅びた国の王とともに殉職した宰相。墓を見つけたが、霊の気配はなかった。
もう一人が、侍女『エリエール』。僕の目の前に浮かんでいる幽霊だ。
侍女たちの墓を回りなおして、エリエールの消息を聞くと、一人だけ森に行くのを見たという人がいた。
「言ってしまったら、ご飯がまずくなってしまいます。せっかく生きているのですから、ご飯はおいしく食べたいでしょう?」
「狼に生きたまま食べられたくだりで、もう今日は肉を食べられそうに無いけれど」
「それは・・・ごめんなさいね。今日、ご主人様に会えましたからつい嬉しくなって」
なんの目印もないところに供えられているバラとマフィンに目をやる。
今、ご主人と言わなかったか?ゾンビが墓参りに来たのか?
俺は、辺りを見回す。ゾンビにいきなり襲われるようなことは、今のところ無さそうだ。
一応、周りを警戒しながら、今侍女から聞いた話をどうするか考える。
「ゾンビよりも狼の方が遭遇率高いと思いますが?」
エリエールが呆れたような顔をする。
これが明るみに出れば、どうなるか。今の話は最初に彼女が話したように“彼女から見た物語”であって、すべてが語られているわけではない。
まあ言ってしまえば、この国は非常に言葉は悪いが――「他人の手垢の付いた姫?」とエリエール嬢が割って入る。
「わぁ」
「すみません。つぶやき声が聞こえてしまいました。どうぞ、続けてください」
姫に恋人がいたことを姫の国の国王が知っていたかは不明だが、そんな姫を隣国の王子に押し付けといて、跡取りのいなくなった隣国を平然と乗っ取ったのだ。
もし、知っていたとしたら、姫が見つかって本当のことが知れ渡ってしまえば、形勢が悪くなる。
だから姫を探さなかった?この事実を隠すため、真実を利用して虚構で塗り固めたのか?
知らなくとも、王子が行方不明になった隙に、姫を失った責任を王子の国に押し付けて、国を乗っ取ろうとしている真っ最中に、当の姫がひょっこり現れたらどうだろう?
その後の姫の消息は、伝わっていない。伝説では「王子様に食べられた」ことになっているが・・・。
秘密裏に消されたか、王子の復讐を受けたか。
「王子はそんなことをしません」
想像はいくらでも膨らむが、結局、真実は闇の中。ミッシングリングは永遠に繋がらないのだろう・・・。
「久々にたくさんおしゃべりをして喉がカラカラになりました。本当にご主人様は気が利かないですね。マフィンだけではなくお茶も一緒に供えてくださらないと」
「これは本当にゾンビが?」
マフィンを一つ持ってエリエール嬢に問う。
ゾンビがマフィンを作っている光景を浮かべてしまった。
マフィンを作ったことがないから王子がフライパンでマフィンを転がしている様だったが。
「奥様が焼いたそうですよ」
姫もやっぱりゾンビになって、よりを戻したのか?
「ここに来る前、誰からか獣が寄り付かなくなる緑の液体をもらいませんでした?」
「ああ、なんかジャガイモを子どもたちと掘っていた男の人に。子どもたちに「ジャガイモ緑」って怒られていた」
その男は「ジャガの緑の部分はいい薬になるのにな」って言いながら、ジャガを埋めなおしていたが、僕が森の入り口に行くのを見つけて、森に入るなって注意した。
僕が入る気満々なのを見て、お守りだって変な水を結構な値段で売りつけた。
「時々、撒けば安全だから」って。
王子は動物よけの薬を作っていたと言っていたが、まさかこの緑の液体が?
この液体売りつけた男が?
「私のご主人様に直接聞くのはやめてくださいね」
エリエール嬢がいたずらっぽく笑う。
「世間様では、死霊王子などと呼ばれているらしいですけれど、ご主人様には幽霊とお話しするどころか、幽霊を見る力もございませんから、一つ伝えて欲しいことがあるんです」
そういうとわざわざ僕の隣に浮き、耳元に形のよい唇を寄せて囁いた。
声と共に柔らかな息がかかったような気がした。
「信じてくれるかなぁ」
昔、幽霊見たと言ったときも信じてもらえなかったし、あの男にいきなり『君、ゾンビだった?』って確認するわけにもいかないし。もし、エリエール嬢の勘違いだったら、変人扱いされるのは僕だ。
「11歳、大泣き、馬と言ってくだされば信じてもらえますわ」
「それ、なんの合言葉?」
「それは、次にここに来てくださった時にお話しますわ」
エリエール嬢は楽しそうにくすくす笑う。
うっ。幽霊ってわかっててもかわいいなぁ。
「もう一つ、お願いしたいことがあります。私が語ったお話はあの方が生きている間には、公表しないで下さい」
僕とあの男、同じくらいの年じゃなかったか?
あの男が幽霊になるのを待っていたら、僕が幽霊になっている可能性があるじゃないか。
いや、そりゃこの話を世間様に出したら、王子様がいい顔しないのはわかるけれど。
僕が答えを渋っているとエリエール嬢が潤んだ瞳でこちらをじーっと見つめる。
「わかったよ。伝説がただの御伽噺になるまで待つよ」
いい顔しないのがもう一つ。この国だ。
200年前の記録がごっそり抜けているところを見ると、当時のイースト レペンスは事実を隠蔽したかった可能性が高い。
200年も経って、この話を暴露してもいきなり死刑とかにはならないだろうが、10年ほど前に『ゾンビ王子』の被害に遭った(らしい)王族はどんな反応を示すか?
論文として発表した途端、圧力がかかる可能性がある。
「次のお越しをお待ちしていますわ」
エリエール嬢がそう言ったとたん、ここまで来た方向の地面にぽつぽつと緑色の光が点る。
目を瞬かせている僕にエリエール嬢はにっこり微笑む。
「言いましたでしょう?魔法を覚えてなくて悔しい思いをしたって」
☆
歴史学者シリウス・レイスが没して百年後――
一つの本が出版された。
『ある侍女の回顧録』
彼の子孫の手によってこの世に出た本は、歴史学者シリウス・レイスが侍女の幽霊の話を聞いて、『ゾンビ伝説』の真実を知るという内容だった。
迷信が科学に追いやられ始めた時代にこの話は人々にフィクションとして受け取られたが、この本を元にして、王子の、姫の、姫の国の国王、それぞれの立場で書かれた物語が登場し始める。
『ある侍女の回顧録』は王子が人間に戻ったことを匂わせるところで終わっており、人々は王子が人間に戻るまでの話を人間に戻った後の生活をそれぞれに考え、創り上げていった。
『エリエールの回顧録』終了しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
H24/3/10に『トリス先生たちの日常』で『エリエールの回顧録』の別エンディングをUPする予定です。




