椽大の筆③~裁きの条件
時代劇で有名な『大岡越前裁き』に"子争い"というものがある。
目の前にある書生に対する嫉妬は大岡裁きのひとつかもしれない。
弁護士事務所の書生(働き手)としてイガクリ頭の中学生に来てもらう。
弁護士の旦那さんから聞いたのは実に簡単なもの。
「預かる子は片田舎にある浜辺の旅館のお子さんだ」
旅館の息子をなぜ住み込み書生にするの?
「今日から事務所の書生になってもらう。我が家に住み込み一中に通うんだ」
どんな家庭環境にあるのかは一切言わない。
頼むよっ
この挨拶だけでイガクリ頭の書生は弁護士夫婦の"息子"となる。
私はあなたの母親なんです。浜辺からやって来たイガクリ中学生を実際にみてフツフツと情がわいてくる。
キリリっとした顔立ち。
(母親は美貌の持ち主である)
高い身長
(父親の代議士は年齢のわりに高い背丈)
きびきびとした凛々しき行儀と行動。
(旅館の老夫婦の躾)
子供のいない弁護士夫婦は気に入った。
「まあっ立派なお子さんですこと」
生活を共にした中学生は礼儀正しいもの。
さして世話がかからない。
「お食事はたいへん美味しいです」
夕飯後には何気なく褒め言葉である。
「あらっ」
結婚以来三度の食事を旦那さんから褒められたことなど一度もなかった。
「御世辞でも嬉しい」
奥さまは書生の母親代わりとともに女としての喜びを噛みしめるのである。
書生がいるというより若い男性が同居人となると意識してしまう。
奥さまは嬉しくてたまらない。
「私どもに子供がいたら。年頃もこんな感じで喜びなんでしょうね」
女学校の同級生が立派な母親になっていることを辛い面持ちで見ているだけのこと。
喜びの言葉が喉元を抜ける瞬間だった。
「奥さまっ行って参ります」
「ただいま帰りましたっ奥さま」
母親代わりと思うが弁護士の"奥さま"である。
書生に奥さまと呼ばれてなんともいえぬ違和感を覚えている。
本音と建前
身内と他人という区分を考えてみると"育ての母親"は辛かった。
まったく手のかからない素直なイガクリ少年は立派な青年に成長している。
「凛々しいお方ですこと」
書生と奥さまはふたりで近くの街を買い物にいく。
背が高くハンサムな好青年はとにかく目立つのである。
一高の羽織袴を見て女学生が振り向き憧れを抱くのである。
「皆さんご存じかしらっ」
こちらの一高生は私の自慢の息子ですことよ!
奥さん鼻高々となり意気揚々である。
一高生を持った"母親"がいかに幸せかっ。女学生ならずとも嬉し涙が出てしまう。
書生の給料がアップしたお礼に奥さんと銀座に出掛ける。
「こんなに貰ってしまって申し訳ないでございます」
所長や奥さまにお礼がしたい。
「所長にはネクタイをプレゼントします」
女性である奥さまは銀座界隈でお好きな品物をプレゼントしたいのである。
「まあっ私と…銀座でございますか」
若い男からデートに誘われた気分になる。
ギンブラの前に奥さまは入念な化粧を施し"めかしこむ"のである。
「おっおい。少しは歳を考えてくれよ」
母親と息子ぐらい年齢差があるんだぞ
「あらっ銀座でございますからおめかしは当然でございますから」
時代が違えば"ミニスカート"穿いて若いミソラとの逢瀬を楽しみそうである。
「まあっ嬉しいわっ。なにをプレゼントしていただけるのかしら。何も高いものでなくてよろしくてよ」
若い男とふたりっきりの幸せが中年の奥さまである。
我が世の春は書生が運んでくれた。
旦那さんとふたりだけの生活に幸せな風を吹き込んでいたのに
"邪魔者"が来たのである。
紛れもなき産みの母親が現れた。
母親が恋しくてたまらない三歳児を置いてきぼりにして雲隠れした母親。
長い行方不明の末に息子の前に現れたのである。
「あの子は」
か弱い女の被告人は調書から素性がわかっている。
息子がいる
父親は不明となっている
被告人は"産みの母"
ゆえに
息子は長い間会いたい母親に返すべきである。
"自分が母親であれば…そうすることが理の当然である"
それは母と子の幸せである。
"他人の私は母親ではないのである。母親として真の親子に介在してはならないのである"
息子を育てた母親は悩みを抱えてしまい事態を慎重に考える。
育ての母親。それが奥さまであり他人さまからの陰口でもある。
「少し気分が悪くなりましてよ。冷たい空気を吸って来ます」
奥さまは気が沈む。
"(息子)を盗られてしまう"
我が子はスルリっと我が手から盗まれてしまう!
「ハアッ!」
ブルブル頭を振りまくる。
足元はふらつき寝室へ消えていく。
ハンカチを取り出す。
はらはらと悔し涙が出てしまう。
"裕福な弁護士に嫁いだ女が被告人となった女に嫉妬して泣くとは情けないのである"
さらには…
自分は惨めな女である
自己嫌悪に陥りさめざめと泣けてしかたがない。
「勝ち負けの法務の世界にいるというのに」
「大岡越前」の裁き
産みの親と育ての親が「子供」を争い揉め事にある。
大岡は「子の手を持ち引きなさい」
両の手を親はしっかり握りしめ力強く引いてしまう
「ギャアー痛い!痛いよ」
子は泣き叫ぶも我が手に我が子はあると信じひたすら引いてしまう。
「痛いっ!痛いよっ~お母さん」
泣き出した声に"お母さん"と言われ"ハッ"と産みの親は我に返る。
我が子が可哀想だと産みの親は手を離してしまった。
「子は育ての親のものである」