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椽大の筆①~国会議事堂前

料亭事情に詳しい運転手は赤坂にある洒落た小料理屋を思いついた。


「先生いかがですか。赤坂にも新鮮な魚を捌く店がございます」


書生さんも満足だと思います。


車は本郷から赤坂へ発進をする。お抱え運転手には懐かしい赤坂銀座そして神楽坂である。


料理旅館の息子が書生であり今は帝大である。


それなりの海鮮魚介を出す料亭でなければ味覚は満足をしないと思われた。


「先生っ赤坂なんてとんでもないですよ。そんな赤坂の高級料理は(身分不相応です)もったいないです」

お抱え運転手との会話に口を挟む。いや挟みたくなる。


なにも高級料亭の赤坂に行かなくても。


「僕は贅沢ではありません。奥様の手料理が一番好きです。美味しく喜んでいつもいただいています」


あらっ!


奥さん"そんなことはっ"と口を押さえて照れた。


車は神楽坂を通過し高級料亭に到着する。


見渡す限り高級料理店がずらりと並び庶民が足を踏み入れることは場違いだという雰囲気である。


「さあ帝大生くん。赤坂料亭につきましたよ」


車のドアは弁護士が気をきかせ開けてくれた。


帝大生は恐縮してしまう。

高級料亭赤坂の玄関先で3人は女将と仲居に出迎えられた。


もてなしはいかにも高級な料亭というものである。


3人は緊張して奥座敷へ案内される。


「お待ちしておりました先生。お久しぶりでございます」

料亭女将に開口一番


お久しぶりと言われた。


顔が広い職種が弁護士である。


一度も上がったことがない料亭の女将さんにも知り合いだと挨拶されてしまう。

えっ!


「あらっそうでしたか。(僕は)二度目だったかな。歳を取ると物忘れが激しくてね。女将さん困ってしまうアッハハ」


この一言で女将はハッと気がつく。


虚言(うっかり)を吐いてしまったようだ。


「こちらのお客様は初だったかしら」


初老の弁護士さん。


お顔は新聞で見て知ってるわ。


辣腕弁護士さんとか


人情派弁護士だとか。


(無罪の)冤罪事件を幾つも担当して辣腕と呼ばれている。


弁護士の名前で予約をもらった時から有名な方だからと親しみを抱く。


来館したことがあるとつい錯覚してしまった女将である。


ああ勘違いという挨拶であった。だがそこは老練なる女狐だった。


いや女将である。


何もなかったかのように毅然とし奥座敷に海鮮料理を配膳する。


3人のお客様に顔色ひとつ変えることなく高級料亭の女将を演じ切る腹つもりである。


お抱え運転手が紹介した赤坂の高級料亭に庶民の手が暖簾(のれん)を押すことはなかった。


赤坂の場所から"国会議事堂"のお偉方がこぞって利用することで有名な料亭である。


議員のお客様。


衆参問わず


与野党問わず


料亭の宴会は持たれ夜は華やかなものである。


国会議員は夜な夜な足を運び(料亭の奥で)密談を繰り返す。


与野党入り乱れて国会で張り合うライバルたち。


議員は料亭への出入り口(玄関)が別々である。


国会議事堂では顔さえ合わせたら激しくやりあう敵と味方。


密談の席で運悪く鉢合わせしないよう女将が深慮配慮をする。


襖ひとつ隔てて与野党が別々な政策論議を繰り返す料亭の夜だった。


ならば議論や話し合いは税金使う国会でやらずこちらの料亭で始末をつけるのがよいくらい。


女将は口が固い。


職業柄料亭で見聞きしたことは口外しない。


口が裂けても雀のごとき煩いマスコミには見聞する政治家のスキャンダルは流さない。


ましてや対する政党にペラペラ喋るなど言語道断である。


かつては…


密談に相応しいこの赤坂高級料亭によく知った人物が通っていた。


書生の実の"父親"代議士とその妾"母親"が繁く通っていた。


若い時の代議士は料亭の出入りはいかように堂々としたものだった。


他の議員を引き連れても平気で妾同伴。老政治家は若い女を伴い料亭入りをしていたのである。


見合いで一緒になった本妻があろうがなかろうが。


家庭があろうがなかろうが

生活が崩壊しようが


お構いなしの堂々たるものである。


"女遊び"は男の甲斐性であり精力剤。


胸を張っていた。


"父親"の代議士は若い時から赤坂・新橋・神楽坂で気に入った芸者(女)をつかまえては愛人に仕立てた。


だが美貌と人柄のよい"母親"と出逢うと他の芸者との密なる関係はすべて精算してしまう。


この女だけ囲いたい。


老練な代議士のお眼鏡に合ったしだいである。


こちら料亭の女将は国会の偉い先生が来るとそれなりの配慮である。


配慮のなんたるかは先代(母親)から継承をされていた。


密会への充分な配慮があるからこそ赤坂の料亭は存在感や利用価値がある。


女将の配慮。


国会議員に精通しもてなしを受けていた。


"父親"の代議士も"母親"の女も数回ではあるが赤坂料亭で顔を見合わせており懇意にしていた。


しかしそれは昔話である。

予約席の弁護士ら3人の新顔を前に女将は改めて挨拶をする。


「先生どうかこれからも(料亭を)贔屓に願います」

女将が頭を下げていると仲居さんらが忙しく海鮮料理の数々を食卓に並べ始めた。


「お連れさま(お抱え運転手)にもよろしくお伝えください。本日は当店をご利用していただきありがとうございます」

数人の仲居が料理を並べ終わる。


女将は最終チェック品数確認をする。


手際よく飲みものが並べられるのを待つ。


「どうぞごゆっくり」


奥の上座敷に弁護士夫婦が並んで座る。


書生(新帝大生)が恥ずかしながらと下座にいる。


女将は飲みものを注いで回り新しい顧客に改めて挨拶をする。


抜け目なき商売の常道である。


「これからも何卒(なにとぞ)ご贔屓にお願い致します。当店の従業員共々お待ちしております」


女将は営業を済ませると三っ指をついて退座をしようとした。


"その時に"


女将は下座に座る書生を見た。


若いお客様は料亭の常連にはならない。


ゆえに書生などに興味はなかった。


サッとである。


書生を一瞥した。


瞬間に女将はお客の顔を書生の横顔を何気なく記憶する。


女将としての商売(プロ)意識の成せる技であろうか。

「はてっ?」


女将はフッと考えを巡らせる。


「こちらの書生さんは…。どちらかで見たような気がする。少なくとも初顔には思えない」


どこかで見た顔。


いつか見た顔だ。


見たことがあるが…


今は思い出せない。


女将は再度確認がしたくなり会釈を繰り返した。


頭を持ち上げては若い男性の書生の顔をジロッとやる。


女将は疑惑を感じる。


「初対面ではないわ」


どちらかで見たわ。


さて?


誰かしら。


さりとて疑問だからと一見のお客に"あなたは誰でございますか"と女将でも聞けない。


「ごゆっくり」


女将は正体不明の青年の疑念を胸にしまい退座する。

板場に戻ると書生のことは忘れた。


次の座敷のために料理を運ぶ。商売上手な女将は忙しかった。


「鍋料理も煮えたね。それでは戴こうか。赤坂の味覚はうまいそうだ」


弁護士は先ず箸を汁につけお刺身につけた。


「魚は新鮮だね」


祝いの席である。


「浜辺の旅館とは比べないようにするがアッハハ」


嬉しさをあえて隠しはしない。


終始笑顔。


祝いをされる新帝大生は恥ずかしそうに箸を進めた。

「先生には並々ならぬお世話になっております。この御恩は一生涯忘れはいたしません」


正座を崩さずお礼を言う。

「奥様も同様でございます。本当に今日まで育てていただきありがとうございます」


奥さんに書生は丁寧にお礼を言われ目に光るものが見えた。


「帝国大学で本格的に法律を学びます。1日も早く先生のような偉い弁護士になりたいと思います」


言い終わると畳に埋めるように頭を擦りつけた。


心からのお礼。


どれだけの恩をもらったか口では簡単に言えない。


高級赤坂料亭に招待された新帝大生は感謝の気持ちでいっぱいにある。


料理に箸をつけても味覚はあまり感じはしなかった。

だが新帝大生誕生の微笑ましい話はここまでだった。


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