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法務書生~帝国大学法学部

風の便りもなかった母親の存在。


書生は歳月を経て"母親という被告人"と再会する時がやってくる。


浜辺の旅館の忘れ形見が突如蒸発した母親に逢えることを夢に見たことは何度だろうか。


過ごしやすい秋から寒さが厳しい厳しくなり東京に新春の訪れである。


街の桜は咲き乱れ春爛漫な東京である。


弁護士事務所にいる若い書生はこの春から帝国大学法学部法科の学生となった。

桜が咲き乱れた帝国大学の正門。


書生は真新しい絣の着物で入学式に臨んだ。父兄席には親代わりの弁護士と奥さんが出席してくれた。


奥さんは大の男の回りの世話をし忙しくしていた。


旦那さんの弁護士。新しい着物を着せられご立腹をする。


「おまえが用意したこの(かすり)の着物は派手だぞ。ひときわ目立つじゃあないか」


まるで裁判の被告人のようだ。


糊が効きすぎてパリッとしているからゴワゴワ音までしてしまう。


「派手だしやたらみんなにじろじろ見られて恥ずかしいぞ」


職業柄目立つ存在が嬉しいはずだが。今日ばかりは黒子に徹したいかもしれない。


奥さんは弁護士と新帝国大生とはお揃いの着物を用意した。


遠目に親子に間違える揃いである。


真新しい絣を着た新帝大生たち。入学式の開催される講堂に集められる。


新入生の総代として書生は選ばれた。一高から進学で学業優秀の実績から新入生の代表に選ばれていた。


総代として雛壇に現れると父兄席に座る奥さんは目頭が熱くなった。


日頃何かと世話をした子供が帝国大学の総代となって目の前にいるとは。


目頭を押さえるハンカチは涙で濡れていく。


「思えばあの子との出逢いは中学生の時からでしたわ。あんな小さな子供がうちの事務所で文句も言わず書生さんをしてくれたんですもの」


実の息子のように世話をしたあの頃が思い出されていく。


雛壇で挨拶を繰り返した若き書生の晴れ姿は凛々しく逞しかった。


「主人が度々申していました。あの子を私たち夫婦の養子にしたいと今日は本気で思いますわ」

我が儘な旦那の弁護士と些細なことで夫婦喧嘩したことは鼻から忘れていた。


独身で事務所に身を寄せる弁護士の卵・書生さんの身の回りの世話を奥さんは担当する。まるで相撲部屋の女将さんである。


帝大生となった書生も事務所にやってきた時は片田舎の丸坊主頭の中学生だった。


それがあれよあれよという間に青年となり今は帝大生である。奥さんは歳を取るはずだわと思う。


帝国大学の式次第が終わる。新帝大生は弁護士夫婦の席にやってくる。


「先生っ奥様ありがとうございます。僕のことをいろいろと気にかけていただき」


ありがとうございます。


「浜辺の小さな旅館の子供が。まさか帝国大学に進めるなんて夢のようでございます」


新帝大生は新入生の総代で高らかに声を張り上げそのままお礼を言った。


弁護士夫婦に深々と頭をさげた。


"息子"の晴れ姿を感慨深い面持ちで眺めた弁護士夫婦はこんなところで頭をさげられては他人行儀も甚だしい。


「いやあっ頭をあげてくれよ。恥ずかしいじゃあないか。私は何もたいしたことしてないよ」


奥さんも頷く。


ごく当たり前なことをしたまでですわ。


「全ては君の努力さ。帝大進学しから本格的に法律を学んでもらうよ。1日も早く弁護士になるんだ。期待している」

隣で聞く奥さんはハンカチで目を押さえ立派な"息子"に言葉がなかった。


入学式を終え"帝国大学赤門"の前で3人で写真を撮影する。


他の学生も笑顔でカメラに収まっていた。


弁護士も帝国大学出身である。久しぶりに赤門をくぐり感慨深い面持ちである。

「私が帝大を卒業をしたのは何年前かな。いつまでもこの門は赤いやアッハハ。いつまでも変わらないな」

ポンポンと赤門を叩いてどことなく照れた。


赤門で照れた辣腕弁護士に理由があった。


最愛の奥さんとは学生結婚である。恋愛をしていた当時は大学の講義が終わると赤門の前で待ち合わせをした。この場所からデートを楽しんでいた。


赤門で将来の弁護士とその妻は将来を誓う仲になった。


思い出のある場所だった。

「あの頃は女房も可愛いくて綺麗な女だったのにな」

改めて古女房を見てしまう。


弁護士夫妻は公私にわたり事務所にいる書生の面倒を見ていた。言わば親代わりである。子供のいない夫婦にとって書生はそれなりの気持ちがある。


赤門の思い出に耽っていると元恋人の奥さんが小声で話掛けた。


心配な顔になってコッソリと聞いてみた。


「あなた。こんな場所でなんですが」


桜が咲き乱れる帝国大学赤門の横。かつて恋人同士だった二人はヒソヒソと言葉を交わした。

「あの子の…あの子のこと…聞きたいですわ」


奥さんは言葉が詰まる。


「あの子の"母親"はどうなるんですか?」


感無量でハンカチで顔を押さえていた奥さんはやにわに心配顔となる。


お母さん?


旦那さんはいきなり聞かれてハッとする。


夢心地から現実に戻されてしまった感じである。


その子供の"実の母親"が裁判の被告人となって現れてしまった。


赤門をしみじみと眺め帝国大学に進学した頃を懐かしいと思う気持ちはスッ飛んだ。


「うん?母親か。ああっそうだったな」


子供の時から預かる少年は成長をし帝大生となった。

少年の親代わりとして辣腕弁護士は万々歳なことだった。


"母親"は翌週の公判で被疑者として裁判にかけられる立場である。


「ああわかっているよ。例の被告人の話だな」


自分の子供のように接してきた書生である。


その母親が形の上はともかくこうして弁護士夫婦の前に現れた。


「検察の調書からはまず犯罪は間違いない事件だ。だからと言って弁護士は何もしないこともない。いつも最善な努力をしてやるつもりだよ。かわいい息子の"実の母親"だからな。本人がその気ならお母さんのために弁護をさせても構わない」

赤門は満開の桜の下にあった。


赤門と桜で記念写真を撮る人だかりができていた。


嬉しい入学式に裁判の被告人の話題はまずかったようだ。


夫婦は暗い面持ちになっていく。


入学式次第を済ませる。


弁護士夫婦は新帝大生を小料理屋へ招待することにした。


夫婦として"息子のお祝い"の真似事をしたかった。


「(親代わりとして)ご馳走をしたい。入学のささやかなお祝いをしてあげたくてね」


新帝大生はありがとうございますっと喜んだ。


「これからも先生の期待に応えられるように努力していきます」


ふたりは親代わりであって書生は我が子のつもり。


書生は書生と弁護士とは他人であった。



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