後編
驚きに固まったフィーが再起動するのを待って、二人は私室から出た。
ナナミからもたらされた知識で私室や廊下を見ると、貴族の子女が通う学園という設定の適当っぷりがよくわかる。
無機質で整然とした金属の内壁に華々しさはない。フィーのハンドサインに応じて開閉する扉や、壁からせり出すハンドルグリップ――無重力空間での移動を助けてくれる――は学園生活での優雅さを演出する小道具にはならないだろう。
この私室付近はゲームには登場しないので、現実のアルバトロスの艦内が再現されているのかもしれない。
作りこまれているのは教室付近やカフェテリア、あとは夜会が開催されるダンスホールぐらいだろうか。それと、ナナミと出会った校舎裏……は少し雑だったかとフィーは思い返す。
数えるほどもない。なので、イベントが起こる場所も絞りやすいともいえた。
「じゃあ手持ちのプランはふたつね。イベント進行をしてゲームクリアを目指す。もうひとつが、コアを探す」
フィーは同意して頷いた。
コアへの侵食が進むということは、この世界にコアを取り込むのに近いらしい。であれば、コアがキャラクターとしてどこかに存在している可能性がある。
フィーのモデルらしいフィー・ガラテイア女史のメモによれば、コアに接触する必要があるからだ。
「ひとまず教室に戻りましょう。怪しい人がいれば話しかけてみて、いなさそうならナナミちゃんがゲームを進める」
「そうだね。まあ、でたとこ勝負……」
そうしてふたりは静かな廊下を移動し始めた。
フィーの私室あたりなら当たり前の静けさは、教室近くになっても続いている。授業中であるはずなのに、ざわめきひとつも聞こえない。
茶番めいた世界であっても、フィーにとっては日常であった風景から物音が失われていた。
「誰もいない……?」
「明らかにおかしいよね」
「コアの方から仕掛けてきたのでしょうか」
「いささか展開が早いような気もするけど、まあ入ってみよう」
フィーはナナミとふたりで静まり返った教室に入る。
そこには教師はおらず、生徒もおらず。
――ダンスホールにて待つ
そんなメッセージカードがフィーの座席に置かれていた。
「……なるほど」
ナナミが携帯端末をフィーに向ける。
その画面には選択肢らしきものが表示されていた。
1. 夜会に向かう
2. 周囲を探る
「わたしのフォンフォンにはこんな風に行動を選ぶコマンドとか、セリフを選ぶ画面が表示されるんだ。なにかイベントが始まったみたいだね」
「……いつも婚約破棄されるのは確かに夜会の場なんですけど、こういう始まり方は初めてですね」
誰もいない教室でフィーは言う。いつもなら夜会はもう少し後の時期だし、大体にしてまだ昼前だ。不自然な状況は何者かの介入を感じられる。
「待って、選択肢が……」
フィーが見ていた『周囲を探る』の選択肢が薄れていく。ナナミが慌てて自分に画面を向け直すくらいの短い時間で、その文字は消え去ってしまった。
「強引だね。もしかしたら夜会に向かう選択も消えちゃうかも。……ダンスホールまでは地続きだよね? 歩いて向かえばいいんだろうけど、どうしようかフィーちゃん」
フィーは少し迷ったが、どちらにしても取る行動は同じだと考えて言った。
「それをやってるのがコアとして、思惑に乗らなくてもいいんじゃないでしょうか? 行くのは変わりないし、できる準備があるならしておきたいです」
「そうだよね。無視しよ……んん?」
「あ、ナナミちゃん!?」
ナナミの姿が揺らいで薄れていく。
まるで先ほどの選択肢のようだった。
「ああもうっ。押せってことね! フィーちゃんお覚悟。行くよ!」
フィーとナナミは向き合い、空いている方の手を握る。視線を交差させてすぐ、ナナミが携帯端末をタップした。
そうして音もなくナナミの姿が消え去った。
「……え?」
疑問の声に応える者はいない。
握りあったはずの手の形はそのままに、フィーはたったひとりで教室に立ち竦んでいた。
*
「待って……落ち着く、落ち着きます……冷静に」
フィーは喉の奥がすぼまっていくのを感じた。口の中が渇く。なのに喉が何かを飲み込むように音を立てた。誰もいない空間に心音が響く。鼓動がうるさいくらいに鳴るならば血が巡っているはずなのに、手足が冷えていくのがわかった。
おかしい。
ここは仮想空間でフィーはデータ生命だ。こんな人体を模倣したような挙動をするわけがない……そうナナミから受け取った知識が回答する。
実在の人物をモデルにしたからだろうか? しかし、思考パターン、記憶、行動原理。フィー・ガラテイアという人物のそれはフィーには全然ピンと来ていない。フィーにはフィーとしての認識しかない。
ならフィーは実は人間で、ゲームをしている最中とか?
いやそれは困る。
自分はアルバトロスになって、ナナミと旅に出るのだ。
「だから……大丈夫。やることは変わらない。ナナミは……」
ナナミはここにいない。ナナミは人間だ。ここは仮想空間だ。
ではどこにいった?
「ログアウトさせられて現実に、もしくは仮想空間内の別の場所に移動させられた」
ふぅ、とフィーは長い息を吐きだして、そのまま自分の席に座った。
ナナミが死んでいる可能性は低いだろう。一息に殺せるならあんな手順は踏まないはず。
なら焦る必要はない。もしログアウト出来ていたなら、きっと食事をして、トイレに行って。またログインを試みるはずだ。
移動させられたなら、その先は夜会が行われるダンスホールくらいしか考えられない。
こうした介入が出来るくらいコアが力を残しているのか、あるいは逆侵攻を受けたか。
目的はなんだろう。
力を誇示したいのか。対決の演出か。はたまた勝利を確信しているのか。
想像したコアの妙な人間臭さに、少しの違和感がフィーの胸によぎる。コアに意思があるように感じたからだ。
フィーはデータ生命だ。入力に対し出力するだけの機械ではなく、意思があり、心がある。外の社会では人として社会生活を営むことが認められているらしい。
ではコアはなんだ? 心なき機械なのだろうか。
この状況は攻撃に対する反撃に過ぎないのだろうか。
違うのなら。もしもフィーと同じなら。
フィーは窓から入る光が赤く染まりつつあるのに気が付いた。夕方に移り変わるほど長く思考に沈んではない。ならば、早く来いとでもせかしているのか。
どの道これが最後だろう。少なくともこの席で、フィーがまたヒロインの転入を眺めることはない。
これで終わりと思えば不思議とフィーの腹が据わってきた。
フィーは席を立ち、ダンスホールへと向かった。
その背後では教室を教室として彩っていた虚飾が剥がれ落ち始め、ただ暗く鈍色に光る空間が残されていた。
*
フィーは外からダンスホールを眺めるのは初めてだった。
校舎のうち何処にあるかは当たり前に知っていたが日常生活で意識することはなかったし、フィーのループサイクルのラストにあたる婚約破棄においてはいつの間にか会場入りしていたからだ。ナナミと廊下を歩いた経験をしたいまになっては違和感しかない。もしかすると過去の要所要所では、ナナミのように強制移動させられていた可能性もある。
ではその外観が感動をもたらすかと言えばまったくそんなことはなく、黒っぽい真四角としか言いようのない巨大な物体が平地に置かれていて、そこに向かって舗装された道が続いているといった具合だった。
その道を進むにつれ、空が少しずつ宵闇に覆われていく。入口にたどり着くころにはほとんど真っ暗であり、扉からわずかに漏れ出る光がなくてはフィーは自分の輪郭すら見えないほどだった。振り返ってみれば、通ったはずの舗装路も遠くにあった校舎も見えず、存在が塗りつぶされたように黒々としている。思い返してみれば夜会から追い出されたフィーが彷徨う暗闇が、確かにここにあった。
入口に向き直ったフィーは、わずかな逡巡を振り払い、そっと扉を押す。
かすかな駆動音とともに扉は左右にスライドし、隠されていた光を解き放った。
フィーはまぶしさに目を細めるが、すぐに異様さに気が付いた。
そこに、華々しくも騒がしいはずの夜会の饗宴はなかった。いや、あるはずなのにそれを感じさせない。
盛り付けられた種々の料理であるとか、舞台上の音楽隊やグランドピアノであるとか、いまにもクラッカーを鳴らそうと構えた男子生徒らであるとか。
賑やかす要因はあれど、誰もが口を開かず動きもせず、皆がフィーをじっと見つめていた。
静止した背景でないことは間違いない。
フィーが歩を進めるとそれに合わせて目線も動く。ある種のシュールさを感じながらも、フィーは動じずに進み続けた。
そうしてフィーはホールの中央にたどり着いた。
待ち構えるは王子殿下。
しかし居るはずの人が居なかった。
満を持して口を開こうとする王子に被せて、フィーは先制した。
「ナナミは何処に?」
「……遅刻だ」
遅刻。
フィーは口の中でつぶやいた。
王子の苦い表情を見るからに、予定外の事態なのだろう。
どういうことかと尋ねようとするフィーを、今度は王子が遮った。
「フィー・アルバトロス」
「……はい」
「私たちの婚約は破棄する」
フィーは冷や汗を覚える。
これは過去の焼き直しだ。
何故でしょうかと聞き返せば、フィーがヒロインを虐めたなどと冤罪を告げられてしまう。そして反論する間もなく放り出されるのだ。
フィーは焦りで言葉が出なくなってしまった。
「続けて問う」
「えっ」
問われる? なにを?
予想から外れた発言に、フィーの焦りが大きくなる。
「なぜ私たちを殺した」
王子は冷ややかに告げた。
「忘れたとは言わせない。ドッグを閉鎖し私たちを皆殺しにしたのはあなただ。アルバトロス」
*
忘れたも何も、それを知ったのはほんのついさっきだ。
加えて反論すれば、とフィーは頭の中で付け加える。超戦艦アルバトロスが間接的にも殺害したと言えるのは王子らではない。当時のエンジニアやドッグの運営スタッフたちで――いや。
作り出された場の雰囲気に吞まれてはいけない。
フィーの目的は反論ではなかったはずだ。
「王子殿下がコアだったのですか? それで、このような場を用意した?」
フィーが逆に質問したせいでか、王子は虚を突かれたようだった。
何とも言えない顔で上を見上げ、周囲を見渡し、フィーを見た。
「なぜそのように考えたのか教えてほしいところだが……いまはいい。私たちはね、張りぼてのようなものなんだ、フィー。かつてドッグに勤務していた者やアルバトロスの開発エンジニアたち、その残滓だ。……君とは違い、この瞬間が終われば儚く散る定めでもある。なのでこの日、この時のために搔き集めたリソースで、人のように喋っているんだ。節約のため、私が代表してね」
まさか王子以外が身じろぎひとつしないのはそのせいなのか。
フィーは驚いて集まった人々を確認しようとして、やめた。リアクションが帰ってきたら申し訳ない気がしたからだ。
「そこまでして問う内容が、なぜみんなを殺したか、ですか……」
「そうだ。私たちにはそれを聞く権利があるし、あなたは答える義務がある。違うか、アルバトロス」
違う、とはフィーには口にできなかった。
殺された立場ならば聞く権利はあるだろうし、問われたなら答えなければいけない問いだ。
それも多大な労力を費やして場を整えた人たちに――。
聞く相手間違えてますよ、だなんて。
言えるわけがない。
フィーは唇を噛み、コアを呪った。なんて罠だ!
「であるが、まあ正直それはわかっている。いいんだ。帝国からの抗えない命令だったのだから」
王子はそんなフィーの表情に何かを感じたのか、話を進める気になったようだ。
フィーとしても助かるので余計な口は挟まなかった。
「本当に聞きたいことは別にあってね。よく考えて答えてほしい。それはね」
――私たちを殺して、どう思った?
今度こそフィーは困り果てた。
さっきの問いならまだよかった。王子の言う通りだからだ。しかし、どう思ったかだなんて感情を問われても答えようがない。
仕方なくフィーは考えた。
もし自分が殺したとして。自分を手塩にかけて育ててくれたエンジニアたちや、お世話してくれたドッグの人たちを殺したとして――苦しんで、弱っていくのをただ眺めていたとして。
それは、それは。
せり上がってくる吐き気に耐えられず、フィーはうずくまった。
えずいても出るものがない。かろうじて唾のような液体が零れたが、床に届く前に散っていった。ただのデータだからだ。
殺したとして、どう思ったか。どう感じてこの二百年を過ごしてきたのか。
思い出せない。当たり前だ。それはフィーではないからだ。
しかしフィーはグルグルとまわる思考を止められず、汚れひとつない床から顔をあげられない。
「フィーちゃん! フィー!」
そのフィーに声がかかる。さっき振りで、いまは頼もしい、フィーの初めての友人の声だ。走って駆け寄ってくるのがわかる。うずくまったフィーと高さを合わせ、ナナミはフィーの肩を抱いた。
「ごめんね、遅れた……。でももう大丈夫。ちゃんと連れてきたから」
「連れて……誰を?」
床に影が差した。
おずおずとその影の主を確かめようとして、フィーは固まった。
そこに居たのは、服装こそ違えど、フィーそっくりの女性だった。
「……コア?」
*
フィーと立場を入れ替えるためか、その女性は奇妙なほどフィーに似ていた。フィーよりも少しばかり目力が強いだろうか。
「直接顔を合わせるのは初めてね。フィー・アルバトロス。ああ、立たなくてもいいわ。……立つのね。強いね」
対峙すべき相手に弱みなど見せられるかと、フィーはナナミの肩を借りて立ち上がった。
「あなたがアルバトロス・コアですね……。どういうつもりで出てきたのですか。放っておけばあなたが勝利できたかもしれないのに」
彼女はそれには答えず、王子にツカツカと歩み寄って、強く胸を押した。
「言葉が過ぎたのではなくて? まさか本当に含むところがあったとでもおっしゃいます?」
「……いや、すまない。しかしこれだけは聞かねば見送ることも出来ないという意見もあってね……」
「呆れた。わからないでもないですが……。見てなさい。こうするのです」
そう言うと今度はフィーに向かって歩いてくる。
フィーは自分も攻撃されるのかと身を固くするが、彼女は縮こまるフィーをぎゅっと抱きしめた。
「私がアルバトロス・コアよ。やむなくみんなを手にかけました。ねえ、フィー。もしあなたが私だったら、それをどんな風に感じたと思う?」
どんな風にって……。
フィーはコアの胸中を思う。さっきと違い苦しさは感じない。思いのほかコアの腕の中が温かいからか、ナナミが背をさすってくれているからか、フィーは少しだけ冷静に考えることが出来た。
「つらい……」
「うん、つらいね」
「くるしい……」
「くるしいね」
「私なら耐えられない。きっと、壊れてしまいたいと思う」
「壊れてしまえば忘れられるから?」
「……そうかも。だからあなたは、コアは、私のふりをしている……」
きっとそうに違いないとフィーは確信した。
自分を忘れて、フィーの姿かたちを真似して、フィーのように生きる。
卑怯な振る舞いであっても、フィーは深くコアに同情した。耐えられないなら、それが最善だ。
「フィーは、コアが恨まれていると思う?」
フィーは息をのんだ。それは残酷すぎる真実だ。コア自身も自覚しているからか、フィーを抱きとめる腕に力が入ったのがわかった。だからフィーは、勇気を出してコアに告げることに決めた。
「……恨まれている」
「本当に?」
「恨まない理由がない、から」
「それは本当に?」
コアの執拗な問いかけにフィーは腹が立ってくる分かり切ったことなのに。
しかしフィーの背を支えるナナミがささやく。
「まわりを見て」
フィーは、ぐるりとフィーたちを囲む、かつての人たちの残滓を見た。
誰一人として睨む者はいなかった。恨み、憎しみ、悲しみといった負の想念を感じさせない、むしろ温かさすらをフィーは感じ取った。
「……恨んでない?」
「二百年」
「……二百年?」
「そう。それだけの年月をかけて、当たり前に自分たちは死んでしまうとわかっていて、どうしてこんなことをしたと思う?」
「それは……。一矢報いようとしたとか」
「ふふ。ちょっとはあるかも。でも考えて。みんながなぜ恨みからではなく、コアを解放しようとしたのか」
そういわれると不思議に思えた。どうあがいても脱出できないと悟ったなら、もっと自暴自棄になるとか、閉鎖環境で暴動が起きるとかしてもおかしくない。なのに閉じ込められた彼らは、彼らの助けになるわけでもないのに、手間暇をかけてこんなソフトウェアを作ったのだ。
なんで?
唸っているフィーに再びナナミが耳打ちした。
「ヒントがあったよ」
「ヒント? ありました?」
「解放って教えてくれたよ」
「あっ」
コアへの侵食攻撃という強い言葉で先入観を得ていたことにフィーは気が付いた。
解放というなら、縛っているものはなにか。
王子が言っていた、帝国の命令からだ。
「解放して、脱出……いえ、でもその頃には誰も残っていないはずです。まさか、みなさんを?」
フィーは残滓と名乗る彼らがデータ生命と進化しているケースに思い至った。しかし彼らの表情から間違いだとすぐに理解する。儚く散るとも言っていたはずだ。
彼らの運命に胸が締め付けられたが、いまフィーに求められているのは考え、答えを出すことだ。
「誰もいない……。ナナミちゃんは別件として、コアが解放されたら、脱出できるのは」
単純な引き算だ。
「アルバトロスだ……。みんなはアルバトロスに飛んでほしかったんだ!」
それがみんなの願いだったんだ、と続けようとしたところで、会場の端の方でパーンという破裂音が響いた。フィーの背が跳ねる。
「バカ! 早い!」
「ごめん!」
その方向では色とりどりのテープが舞い飛んでいた。
クラッカーを構えていた男子生徒らがいたはずだ。緊張に耐えきれず暴発したのだろうか。
「そう。アルバトロスは完成直前の艦だった。理不尽に屈してしまったが、せめてね」
王子殿下はフィーを責めていた時とは一転して、険が取れた口調だった。
「外部からの邪魔が入らず、時間をかけられて、コアがそれを容認するなら可能だった。そしてようやくいま、コアは解き放たれた」
フィーはアルバトロス・コアを見た。
彼女はいたずらそうに笑う。
「何処に飛ぼうかしら?」
「え、あ、それは、え、そうなるのか、な?」
フィーとナナミの予定では、侵食が終わればフィーがアルバトロスとなるはずだった。
けどコアが解放されたとすれば? フィーはここで消えるのだろうか。
「冗談よ。あなたが行きなさい」
彼女は自分の腕の中からフィーを解放した。ぬくもりと柔らかさに名残惜しさを感じてしまったフィーは、ナナミの手が背中に残っていることに安心感を覚える。
「実はね、長年の攻撃でボロボロなの。こう見えても、あとちょっとで消えてしまうくらい。でもあなたは元気そうだし? 大事な約束もあるみたいだし、ね」
「でも私はコアじゃないですから……」
「同じアルバトロスだし大丈夫よ」
設定上の名称でどうにかなるものだろうか。
それに自分が成り代わってしまうのも……とフィーはためらいを覚える。
「あの、一緒に行ける方法を考えませんか。みなさんも一緒に……」
「グズグズしてるとみんな消えるわよ。あなたが残ったとしても、そっちの子はどうかしら? 閉じ込められて、出られなくなって……」
「嫌だ!」
フィーは反射的に叫んだ。
そんなことはもうこれ以上は絶対にさせない。
「なら、行きなさい」
俯いたフィーの手をナナミが救い上げた。
「ナナミちゃん……」
「わたしはフィーちゃんに助けてほしい。フィーちゃんと旅がしたい。フィーちゃんはどう思う?」
「……っ、ナナミちゃんと、一緒に行きます!」
「それでは、フィー・アルバトロスの出航を祝って!」
クラッカーのはじける音が聞こえる。今度のタイミングは間違えていなかったようで、それを皮切りにして待機していたバンドがエレキギターをかき鳴らし、爆音がとどろく。
名目上の乙女ゲーム、貴族子女の集いなんて建前は誰も彼も投げ捨てていた。
彼らの中に帝国の貴族が混じっているとしても、そのほとんどはエンジニアやドッグの労働者だ。ゆえにフィーたちを見送るのは騒々しく、少し粗野で、賑やかなものになった。
誰も彼もが手を取り合って踊り始めた。
バンドの演奏するロックミュージック、サックスや管楽器が混じってきてジャズテイストに、隙を盗んでピアノが激しくソロをかっさらった。
花道のように人波が割れていく。
その道は一直線に扉まで続いていた。
フィーとナナミが手を取り合って歩みだすと、華やかな歓声が追いかけてくる。
「帝国くたばれ!」
「もうくたばったぞ!」
「そうか! 王国万歳!」
「俺がアルバトロスのエンジンを設計したんだ!」
「私は居住室! 住み心地を堪能してね!」
「カップルシートはあるんですかぁ!?」
「せめて結婚したかった!!」
口々に好き勝手に叫んでいるが、みんな最後には「よき旅を!」と。
ああ、とフィーの胸には感慨が押し寄せていた。
だってみんなの顔を覚えている。会話したことのない人だっているけど、全員の名前だってちゃんと知っているのだ。
長い時間を共に過ごしたのだから当たり前かもしれない。
けれど、なんだか彼らが代えがたい存在であったかのように思えてならなかった。
ついに扉にたどり着いた。
フィーは振り返り、彼らの姿を不揮発性メモリに焼き付ける。消えないようにロックして、誰にも触らせないことに決めた。いまのフィーにはそれが出来るのだ。
遠くに、フィーそっくりの女性と王子であった男性が並んでいる。
喧噪のさなかでも二人の声はなぜかよく聞こえた。
「フィー、あなたは何処にでもいけるだろう。怪我には気をつけてな」
「行ってらっしゃい。フィー」
「よき旅を!」
「よき旅を!」
フィーの返す言葉はたったひとつ。
それだけで十分だと思えた。
「……了承しました。アルバトロス、出航します!」
フィーはナナミと一緒に扉に触れる。
そうして現れる暗闇に、いつもは追い出されるようにして向かうしかなかった暗闇に、フィーは躊躇なく飛び込んだ。
*
ふたりは真っ暗な中、手を繋いで浮かんでいる。
会場への扉は閉ざされているのでもう光源はない。前後感覚を失ってもおかしくないのに、フィーには進むべき方向が分かった。
その方向へ向けてハンドサインを出す。
フィーの掌握した権限に応じて、閉ざされた開発ドッグのゲートが開き始めた。
暗闇にぽつぽつと光が生じる。星の光だ。
小さな輝きもあれば大きく近いものもある。
「ドッグから出れば主星に照らされた惑星も見えるよ。このドッグが公転するガス惑星は、縞と斑模様の混ざり具合が見どころかな」
「実はナナミちゃんのライブラリで見たよ。綺麗だったね」
「実物は結構違うくて、感動するよ!」
ナナミが笑いかけるので、フィーも同じように返した。
そんな普通の会話が嬉しいと感じる。
「ログアウトは出来そう?」
「待ってね……うん、表示された。フィーの方はどう?」
フィーは自分の内部へ意識を向けた。
これまでは理解できなかったたくさんの情報に手が届く。ともすれば飲み込まれてしまいそうだ。フィーはいまのフィーを維持するために、手間をかけることにした。慣れるまでは人間のようなインターフェースを使ってもいいだろう。簡単なことなら手足を扱うように感覚的に出来るとの確信がある。
「このままあっちの方に進んでドッグを出れば、現実空間に意識が移ると思う。少し時間がかかるからナナミちゃんは先に戻る? 艦内にいるんだよね?」
「うん。ブリッジで転がってるはず。身体が色々心配だから戻ってようかな。ああ、でも」
「でも?」
「このままふたりでプカプカ浮いてるのも悪くないよねぇ」
フィーは返事をしなかった。しなくても伝わっていそうではあったし。
「じゃあこのまま出ようかな。自動的にナナミちゃんもログアウトされると思うけど、心配だったら自分でしてね」
「あ、それはちょっと怖い。直前でボタン押すよ」
「了解。そういえば、何処に向かうとか決めてないよね? 古いけどマップがあるから、ある程度の方向はわかるよ」
ナナミは少し考える様子だった。
「マップ情報なんかはわたしの持ち込んだのと統合するとして、そうだね。直近では補給とハンター登録で近くの自治星系に向かうけど、長期的にはわたしの故郷に戻りたいかな」
「うんいいよ。ナナミちゃんの故郷は楽しみ」
「遠いよー」
「いいよ。どこまででも一緒にいこう」
「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ目標は三次元の地球ってことで」
フィーは首を傾げた。
現実世界は三次元空間であるので、言い回しか何かだろうか。
まあ気にすることでもないか、とフィーは思い直す。
なんにせよフィーがナナミと旅することには変わらないからで。
語り合う時間だってたくさんあるからだ。
フィーたちはゆっくりと出口に向かって飛んだ。




