前編
そういえばヒロインが転入してくる時期だったかぁ。
フィー・アルバトロスは教員に紹介されるヒロインを見ながらそう思い、次に自身の末路に思いを馳せた。
数えるのが阿保らしくなるくらい、フィーは時間を繰り返していたからだ。
はじまりはヒロインの転入。
次にヒロインの魅力に惹きつけられた有力な者たちが侍り始める。
やがてはフィーの婚約者である王子殿下をも虜にし、最後にはフィーは殿下に婚約破棄を突き付けられるのだ。
華やかな夜会からひとり追い出されたフィーは暗闇をさまよううちに意識を失い、いつの間にか時間をさかのぼって、学園のこの席に座っている。
そうして教員に紹介されるヒロインを見て思い出すのだ。
そういえばヒロインが転入してくる時期だったかぁ……。
フィーは改めてヒロインを見て、違和感を覚えた。なにか変だった。
顔立ちは整っている。髪が短めなのはこの間まで平民だったからだろう。貴族の視点から言えば立ち姿は美しくないが、これも同様に殊更に糾弾する方が品位に欠ける。ではあの呆けたような目だろうか。貴族であれば表情の管理など当然に身につけているものだから、ごく自然な微笑を浮かべているのが常だ。決してあのように力なき眼は晒さない。
だがそれをもって妙だと断じるのもためらわれた。
ヒロインはもっと……。フィーはそう考えたところで気が付いた。
いつものヒロインの姿かたちが思い浮かばない!
彼女の自己紹介が終わってもフィーはしばらく愕然としていた。
拍手のひとつも起こらない。静まり返った教室が待っていたのはこの場でもっとも位の高いフィーの……侯爵家の一の姫であり王子殿下の婚約者でもあるフィー・アルバトロスの歓迎の意である。けれどもフィーはそれに気付かないままヒロインを茫然と眺めていた。
ヒロインが首から下げた黒い板がわずかに揺れる。ほかの誰も身に着けていない見慣れぬそれは違和感の塊に違いない。しかし同じ装飾を前のヒロインが身に付けていたかどうか、フィーはわからなかった。
*
いくらか時が経ち、学内でも有力な者たちが彼女を囲み始めた。
フィーほどではなくとも高位の貴族の継嗣である宰相の息子。
王家にすら影響力を持つ枢機卿の次子。
平民ながら並の貴族以上の権勢を誇る大商人の嫡男。
そしてフィーの婚約者である王子。
王子さえ混じっていなければフィーが抑えることも叶っただろう。楽ではないが、その役割を求められたなら協力者はいくらでも見つかるはずだ。しかし、王国の権力そのものとも言える王家の人間までもが加わってしまえば何が出来ようか。
それでもとあがくほどフィーに気力は残っていなかった。
この流れは幾度も経験したし、抵抗しても無駄なのは身に染みている。結局はあの暗闇に放り出されるのだからその時まで大人しくしているのが一番楽なのだ。
だが……。
フィーは彼女について考える。何かが違う、しかし何が違うのかわからない彼女。
いつものように男たちを侍らしているのに笑顔一つ見せない彼女。
そういえば今回、彼女とは一言もしゃべっていない気がする。
フィーが彼女を疎んでいるとの見方が広がってしまったがために、フィーは彼女との接触をためらっていた。しかし、機会があれば話しかけてもいいかもしれない。何も変わらないとしても、それを確認できればいくらかすっきりはするだろう。
そんなことを考えながら歩いていたフィーは、ついには奥まった校舎裏にたどり着いた。
ヒロインらの仲が進展し始めると密会所となるこの場所は、攻略の序盤ともいえる現在では人の訪いもないただの休憩所だ。なので先客のあるなしなどなんの考慮もせず、フィーは軽々に踏み込んだ。
「うおお! 来い、アルバトロス!!」
突然の大声にフィーは背を揺らす。
叫んだ者はフィーには背中を向けており、フィーの存在などまるで気が付かない様子で、黒い板を持った手を天に向かって伸ばしていた。
肩幅よりも大きく広げた脚は大地を踏みしめるようで実に雄々しい。
短めのスカートも心なしか風になびいていて、はしたない、といった感想の前に困惑がフィーを襲う。
……え、なんで??
なんでこの子、私の名を叫んでいるの??
女で、中途半端な髪の長さ。
見慣れぬ姿かたちに手にした黒い端末。
それはフィーを悩ませている彼女に見えた。
*
「いや来いは違うか。居るし。応えよアルバトロス? 目覚めよアルバトロス? うーん……」
彼女はいまだ自分に背を向けて何事かをつぶやいているが、所々にフィーの名が混じる。それもなんだか不躾で不遜だ。怒ろうにもなんというか、感情がついてこない。とはいえ何かしらは言わねばとフィーは勇気を出した。
「あの、アルバトロスです」
「……?」
振り向いた彼女は突然現れたフィーに驚くこともなく、真顔だった。
「あの……呼びました、よね? 私を」
「……??」
いや、よく観察してみれば瞳が困惑に揺れていた。もしかするとフィーが誰だかわかっていないのかもしれない。改めてフィーは名乗りを上げた。
「フィー・アルバトロスです。えっと、侯爵家のもので……あの、長女です」
しどろもどろになるのを自覚しながら、フィーは自己紹介をするのは生まれて初めてだと思った。誰もがフィーを知っているのが当たり前で、自分からでは何を話せばいいのかわからなくなってくる。でも用事があるのは向こうだったんじゃないかな、という点に思い至って、彼女が口を開くのを待つことが出来た。
「アルバトロス?」
「は、はい」
「……フィー女史?」
敬称ではあるが、女史と呼ばれるには学生には少し荷が重い気がした。
「女史と言われるほど何かを為しているわけではありませんが、はい。フィーです」
「あー、ね、侯爵家って言ったよね。それは王国の? 帝国の?」
「帝国? いえここは王国ですから、その、えーっと、無礼では?」
少しムッとしてしまい、フィーは抗議した。
この王国以外にどんな国があるというのだろうか。
「なるほどね。王国のアルバトロス侯爵家のフィーちゃんか。だいたいわかったよ。うーんと」
フィー、ちゃん?
聞きなれない呼称にフィーは固まった。
「そうだね。わたしはまず、フィーちゃんと友達になりたいんだけど、どうかな?」
「おっ」
「お?」
ちゃん付けで呼ばれるのも初めてなら面と向かって交際を申し込まれるのも初めてだ。
混乱に飲み込まれそうになるのを耐えて、フィーは必要な手順を口にする。
「お名前、なんですか……」
「ああ! 確かに名乗ってないね。ナナミって言います。ナナミでいいよ。呼んでみて」
「はい、あの……ナナミ、ちゃん」
「うん!」
彼女は……ナナミは無表情な人だと認識していたが、いまは親し気な微笑を浮かべていた。フィーはそれが自分との出会いによるものならと考え、なんとなく気持ちが華やいできた。
「あの、ナナミちゃんは……」
「まあまあ、座って話そうよ。あそこのガゼボでも東屋でもない、質実剛健とした謎の金属の椅子にでも座ってさ!」
謎の金属と言われてフィーは内心で首を傾げた。確かに一般には出回ることない素材だけど、この区画であればありふれたものだ。
「ほら座ろううわなんだこれ生暖かい」
「あんまり身近じゃなかったのですか? ううん馬鹿にしてるわけじゃなくて、えっと、まあ色々便利なんです。その、肌に対して刺激の少ない温度に自動的に調整して快適に過ごせるように配慮しています」
「……そっかー。さっきまでは普通に金属質感だったよ」
ナナミはしみじみとつぶやいた。
「わたし全然詳しくないんだあ。フィーちゃん色々教えてくれる?」
そう言ってすぐにフィーに向かって前のめりになり、懇願するように手を合わせた。
動作がいちいち大きくて派手だ。ころころと変わる表情に、フィーは絆されたような気分になってきた。
「あの、私でよければ……。どんなことが知りたいの、ですか?」
「うーん、フィーちゃんがここでどんな風に暮らしてるか聞いてみたい。参考にしたいからね」
なるほど、とフィーは頷いた。
フィーとしてもナナミの世界の話を聞いてみたい。婚約破棄されて追放されたあと、もし時間が戻らないとしたら、その知識はきっと自分の力になるはずだ。
フィーは自分の知識からナナミに有用そうな内容をピックアップしながら語った。
所違えば常識も変わるようで、ナナミは楽しんで聞いてくれた。しかし彼女を囲む王子らの話になってもさほどテンションは変わらない。
これまでの様子からわかってはいたが、彼女は王子殿下や言い寄る男たち……どころか女子生徒にすら関心を向けていないようだ。もしかすると周囲の雰囲気を感じ取っていたからかもしれないので、これはフィーと仲良くなったことを見せれば改善が図れるだろう。
そう、仲良くなったのだ。初めてのお友達なのだ。
フィーは浮かれた。浮かれてしまった。
そのせいでナナミの真意には気づかない。
もう少しですべてが変わってしまうことにも。
*
フィーとナナミは学園のカフェテリアに居た。
もちろん昼食をとるためだ。
天井は高く、贅沢に空間を使った広いホールは、建前上は階級の区別なく座ることが出来た。
もちろん不文律は存在し、位の低いものではとても近づけないエリアがある。フィーはそのエリアの中でも限られた者しか座れない特別なテーブルにナナミを招待した。
少し間を開けて座るのは高位の女子生徒たち。
こちらもフィーにそれとなく誘導されてその席にいる。
フィーとナナミの〝和解〟を目撃してもらいたいからだ。
ふたりは気負わずに会話に興じ、周囲はそれに聞き耳を立てながらさざめいている。関心と感心。おおむねフィーの想定通りに事が進んでいたが、優雅に近づいてくる闖入者を発見して、好ましくない事態になりそうだとフィーは内心でため息をついた。
「やあ、楽しそうだね。フィー。それにナナミ」
「王子殿下……。それに皆様も」
彼らがフィーたちのテーブルに寄ることを止められる者はいない。
本来この席は彼とフィーが座るのにふさわしいとされるものだったからだ。
「ご一緒しても? 他に席がないんだ」
紳士的なお願いのようで、しかし彼の手はナナミの座る席の背もたれに置かれている。その彼に取り巻きのように付き従う男たちは薄笑いを浮かべていた。
フィーの答えは決まっている。
ちょうどいい機会かもと考えたからだ。
「お断りします。女子の語らいに混じりたいなんて、ちょっと不埒なんじゃないですか。殿下?」
王子の表情は変わらなかった。少しして理解が追いついたのか、「なっ」などと意味のない言葉が漏れる。フィーは少しばかり胸のすくような気持ちでそれを見ていると、宰相の息子を筆頭にして背後の男たちがしゃしゃり出てきた。
「不埒などと、殿下に向かってあまりに不遜。いかに殿下の婚約者とはいえ、上位の御方のお心を重んじることなく傲慢さを見せるのであれば、今後の関係がどのようになってしまうか、心配になってしまいますねぇ」
「えっと……。私はあなたより上位の者のはずですが。その言い方は不遜に当たらないのですか?」
「ぐっ」
フィーにとってはあくまで確認のつもりだったが、宰相の息子はそれきり口を閉じてしまい、そのまま後ろに下がっていった。
次に前に出てきたのは枢機卿の次子。聖職をアピールしたいのか、大げさに聖印を結びながらフィーの糾弾を始めた。
「神は貴女の行いを見ておられます……。その振る舞い、清廉とはいいがたく。悔い改めるべきでしょう」
「清廉も何も」
あきれた物言いにフィーは少しだけびっくりする。
「友人と食事をしているだけで神が裁きを下すのでしょうか? そんな教えでしたっけ?」
「い、いえ……。しかし友人として仲良くしたいのは私たちも同じで……」
「仲良く、ねぇ……?」
フィーはねっとりと、いまだナナミの席を掴んでいる殿下の手を見据えた。
枢機卿の次子は後ろに下がった。
フィーは最後に控えた大商人の嫡男を見た。
「え、僕も何かいう流れ……? ええっと、うちは学園に出資しており、いえその、侯爵家ほどではありませんので……」
うなだれる嫡男。フィーはちょっと可哀そうなことをしたかなと思いつつ、固まりが解けつつある王子に向き直った。
「殿下。席がないと言いましたけど、私の見る限り……」
フィーはぐるっとホールを見渡す。
昼時なので当たり前に混雑はしているが、それでも空席はある。
「私がこの席を使ったのは友達とゆっくりと語り合いたかっただけで、他意はありません。必要であれば代わります。……私たちはどこへでも行けますので」
王子は顔を上げた。
「どこへでも、と言ったか?」
「え? はい。あっちの席にでも……」
「……いや、いや。いまはいい。邪魔したようだ。語らいに戻るといい。食事代は詫びとして私が出そう。皆の分もだ。存分に楽しんでくれ。さらばだ」
一息で言い切って、王子は男たちを引き連れてホールを後にした。
困惑が残されてしまった。
「ねえ。カフェの食事って無料だったんじゃないの?」
その通りだった。ナナミの質問に首肯して、フィーは息を吐く。
妙な流れだったがなんとかやり過ごせたようだ。
周囲からの視線は柔らかく、気のせいでなければ賞賛も含まれているように感じる。女子の大半は男どもの振る舞いを忌々しく思っていたのだ。これでナナミもいくらか過ごしやすくなるだろう……。
「けど、ちょっと困っちゃったな」
そのナナミが言うのでフィーは先を促した。
「わたしは彼らと仲良くしたいんだよね」
「……は? え、なんで?」
「彼らにちょっと興味でてきたよ。フィー女史は周囲に恵まれてたよね」
フィーにはヒロインが何を言っているかわからなかった。
*
それからナナミは積極的に男たちと話すようになった。
とはいえいかにも男女の仲を見せつけるような行いではなく、積極的に侍ろうとする男たちにナナミがいくらかの言葉を返す……その程度のものであったが関係が変化したのは事実だ。
フィーがナナミを取り込むのに失敗した。そう目されても不思議ではないというのに、フィーとナナミは断絶していない。教室では挨拶もすればお喋りもするし、ナナミは男たちの誘いを蹴ってフィーと昼食を共にする方が多い。
いつもの繰り返しの中であれば、この頃にはフィーはすっかり立場を無くしている時期だ。
現状はそれほどでもない。されど王子殿下の天秤は傾いており、破綻が目前であることは衆目の一致するところであった。
「どうされるおつもりで?」
フィーへの直言を許される格を持つものはごくわずかだ。その少ない者の中でも特に事情のある――宰相の息子の婚約者である彼女が、代表してフィーの真意を問うた。彼女の冷徹な眼差しは少しの曖昧さを許さないように、フィーをじっと見澄ましている。
なんとかしろ、ということだ。
「話をしてみます」
嘘ではないが誠実でもない返答は彼女の期待したものではなかったようだが、一旦は引いてくれる程度には効果があった。どの道フィーに求められるのは言葉ではなく行動と結果だからだ。
ただ、彼女らとフィーの思惑は異なっている。
フィーにとって婚約など、王子殿下などどうでも良いのだ。なにせ放っておけば消えてなくなるのだから。フィーが知りたいのはナナミの行動理由ともうひとつ。
もし王子との婚約が続行したならば、時間を戻される現象はなくなるのか。
かつてのフィーが追い求めたその解は一度として得られなかった。しかしナナミが協力してくれるなら、形だけでも婚約は継続したまま夜会を越えられるかもしれないのだ。
しかしそのためにはフィーの抱える不可解な事情を話さなければならない。
信じてもらえる材料もないのだから、フィーがためらいを覚えるのも無理はなかった。
「おはよう、おはよう。フィーちゃんも、おはよう」
ナナミが手刀を切りながら教室に入ってくる。
わずかな逡巡を経て、フィーはナナミに向き合った。
「おはよう、ナナミちゃん。少し話があるのだけど、いいですか?」
「ん? いいよ。ここでする? 移動する?」
「移動しましょう。授業は……欠席になるけど」
うんうんと頷くナナミを連れて、フィーは教室を出た。
その二人の背を見つめる彼ら彼女らの視線の意味には気が付かぬままに。
*
「校舎裏に行くかと思ったんだけど、こういう部屋もあるんだね」
「あまり人に聞かれたくない話だから……。突然ごめんね、ナナミちゃん」
フィーは取り繕わずに話すため、学園内に用意した私室にナナミを案内した。ナナミが言うところの謎の金属もふんだんに使用されている特別な部屋だ。
ここではすべての録音・録画が禁止されており、入場者が何かしらの機器を持ち込んでも強制的に停止させることも可能になっている。内緒話には打って付けの部屋だった。
ふたりが腰を落ち着け、フィーのハンドサインを解した配膳ドローンが音もたてずに紅茶と軽食を卓上に並べた。茶の香気で気分を落ち着けたフィーは、意を決してナナミに打ち明け――ようとしたところで、ナナミが先に口を開いた。
「それで、何の話をする? フィーのモデルになったフィー・ガラテイア女史の話でも、外から見たアルバトロス・コアへの侵食状況の話でもいいし、無茶な閉鎖プログラムを押し付けてきた帝国のその後が知りたければデータを送るよ。外とは通信できないけど持ち込んだものなら、ほら」
そういってナナミは手にした黒い板を振った。
くすぐったいような感覚がフィーのポートを撫で、頭の中ではコネクションプロトコルが明滅している。
――コネクション確立。端末名 ナナミのフォンフォン からの転送を受け入れますか?
「えっ、えっ?」
「うーんすごいなデータ生命って。仮想空間内とはいえ実体ぽいアバターと持ち込み端末で通信できるとは。まあハードウェアの演算能力でゴリ押ししてるからだろうけど。……ん? フィーちゃん、OK押してよ」
「OKってなに……うわなんかはいってきた」
フィーの脳内――情報格納領域の"D:\とりあえずフォルダ" に新しいフォルダ、"帝国関連" が作成された。フルパスは"D:\とりあえずフォルダ\帝国関連" である。量子空間上に展開されるニューラルネットワークを読み取るのはヒトには難しいため、技術の発展した現在でもわかりやすいインターフェースが実装されているのだ。
もちろん本来のフィーであればインターフェースなど必要ないが、このフィーではとても及ばないため、自動的に人間基準のインターフェースが採用された旨が通知エリアにポップアップする。おおむね優秀な補助システムと言えた。
「まあ読むのはあとにしてよ。イベント進行を中断してるとはいえ、時間は惜しいからね。でもできたら教えてほしいんだけどフィー女史のルックスってフィーまんまなの? さすがに美化してるよね? 女史の画像までは入手できなくてさぁ。ファンなんだよわたし」
「ナ、ナナミちゃん……!」
「お、おぉ。どうしたフィーちゃん」
「私、人間じゃないんですか!?」
「えっ、そこから!?」
そこからもなにも、フィーはなにもわかってないのである。
*
ナナミのかいつまんだ説明によれば、フィーは超戦艦アルバトロス……というバカっぽい名前の軍事兵器をハックして掌握するために作成されたデータ生命とのことだ。
フィーにはまるでその自覚はないが。
ナナミから得た情報の裏付けをナナミに求めるというのもおかしな話だったが、とにかくなんでもいいから知りたかったフィーは、ナナミに頼んで出来るだけ多くの情報を端末から転送してもらった。おかげでフィーの情報格納領域は様々なフォルダやファイルでとっ散らかってしまったが、読み取った内容と自分の状況を照らし合わせることで、多少はナナミに近い視点を理解できるようになった。
フィーの世界は、仮想空間上に展開された、出来の悪い乙女ゲームだ。
王子様がいる。
ヒロインと出会う。
王子様とヒロインがくっつくと、王子様は前の婚約者を追放する。
たったこれだけの筋書きを延々と繰り返している。それだけの世界だった。
繋いだナナミの手の温かさにフィーは泣きたくなってくる。
正確には泣き出してしまって慰められている格好だ。
頭まで撫でられている。
しかしこのぬくもりでさえ仮初に過ぎないと知ってしまえば、泣き笑いすら起こらない。
「いやもう外ではデータ生命にも人権が認められているからね? 仮想空間でのふれあいとか普通だし。落ち込まないで、ほら。次に行こう!」
「つぎってぇ、なぁにぃ……」
「……わたしは元の世界に帰りたいからね。超戦艦アルバトロスを奪取して脱出、それ以前にこのゲームからログアウト出来なきゃ現実世界でわたしは餓死。フィーちゃんは助けてくれる?」
冗談めかした口調ながらナナミの態度は真剣だった。
ナナミが語るところによると、彼女は宇宙を駆けるソロハンターだ。
かつて銀河系に存在した超文明の遺物を求めて疾駆する――と言えば聞こえはいいが、実際は輸送・配達であったり傭兵の真似事で糊口をしのぐような、そういう仕事だと語った。
ただナナミとしては冒険に重きを置いているようで、少し程度の怪しい話なら首を突っ込んでいく。
そして少しどころではない怪しい話が超戦艦アルバトロスの所在だった。
ナナミがファンだというフィー・ガラテイア女史が絡んでいなければ歯牙にもかけなかったという。
曰く、天才。
曰く、凄腕エンジニア。
曰く、データ生命開発の祖のひとり。
当人は写真ひとつ残っていないほどの隠者だったが、業績はいまも息づいているという女史。その彼女が途絶えた痕跡と、旧帝国の失われし超戦艦アルバトロスの所在とが一致した。とある辺境にあるガス惑星の小衛星に偽装された研究開発ドッグだ。
情報を精査し、できうる限りの準備をして突入したナナミを待ち受けていたのは、ピカピカのアルバトロスと数多の死体だった。
残されたメモや復旧した端末から読み取るところによれば、末期帝国の過激派が、研究開発ドッグごと物理的に閉じ込める閉鎖プログラムを実行させたらしい。
入れはするが決して出られない。
それも、上位権限を使ってアルバトロスの性能をフル活用させたヤバ目のプログラムだ。
機密を知るエンジニアを飢え死にさせ。
何も知らず補給や納品なりしをにきた者も飢え死にさせ。
どんな理由であれ侵入を試みた者は中に閉じ込めて飢え死にさせた。
なぜそうしたのか理由は明かされないまま帝国は瓦解し、そもそもアルバトロス計画は秘密裏に行われていたので、忘れ去られてはや二百年。
それはフィーがこの単調な乙女ゲームに囚われている期間と合致していた。
「でももうすぐコアへの侵食が完了するんでしょう? そうしたら普通に出られるのでは?」
フィーの過ごしていた仮想世界は欺瞞に満ちていた。
何の害もないただの乙女ゲームに見せかけて、その裏ではアルバトロスの心臓たるコアを攻撃し続ける、ウィルスにも似たソフトウェアだったからだ。
フィー・ガラテイア女史を含むエンジニアたちが死を迎えるまで総力を挙げて作り上げた対コア侵食攻撃乙女ゲーム。
アルバトロスは誰一人としてドッグから出さないことを徹底したが、エンジニアがゲームを遊ぶことは禁止しなかった。そんな命令は受けていなかったからだ。なのでそのゲームがアルバトロスのシステム上で動いても、二百年遊び続けていても、止めることはなかった。
結果として侵食は完了間近だという。
いまさらフィーがナナミのために何かできるとは思えなかった。
「正直わかんないんだよね。それよりも直近の問題は、現実の自分のモニターが出来ないから栄養状態とか、あー、下半身の状態、とかが気になってる」
「下半身?」
「……トイレね!」
「トイレ……」
経験のないフィーには分からない感覚だった。
施設自体が学園に存在しないのではないだろうか。
「フィー女史のメモもよくわかんないんだよね……。ゲームへのログイン方法とメッセージがあって、背中を押してあげてください、てね。でもまさかログアウト出来ないとは思わないじゃん?」
「それで攻略を進めていたんですね」
「クリアしたら終了するかなーって。あるいはゲーム内で何かのイベントを起こすか。でもね、あまりのガバガバ貴族設定だわ、ゲーム進行は会話や行動じゃなくてフォンフォンに表示される選択肢を選ぶ形だわで戸惑ってるところにフィー・アルバトロスからの接触! おっ、これかこれかぁって様子見しつつカマかけてみたらまさかの箱入り娘とは恐れ入ったんよぉ!」
「な、なんかごめんなさい……」
恐縮してみせるフィーにナナミは笑いかけた。
「いいよ。手伝ってくれるんでしょ? 奪取と脱出」
「……構わないんですが、うーん。二百年前の戦艦なんて役に立つんですか?」
「あー、なんかね、コアや動力源は別の宇宙とか次元から飛来してきたなんて話があってね。それもあってどうしても手に入れたかったんだ」
「?? 性能が高いとか?」
「そんな感じ。どうかな。フィーちゃん」
フィーにとって断る理由はない。
「……そうですね。手伝います。でも……」
「でも?」
「ううん。ナナミちゃんが行っちゃうと寂しくなるなって」
フィーの役目はもうすぐ終わる。
ナナミがログアウトし、コアの侵食が完了したら、この単調な世界を残す理由もないだろう。
しかしナナミは驚いたように目を見開いた。
「何言ってるの。一緒に行くんだよ。だって、フィーちゃんがアルバトロスになるんだから」




