第六十八話 支配する裁定者、支配される反逆者
戦場が歪む。
《黒茨の館》の壁がねじれ、床が黒い鏡のように変わっていく。天井には空など存在せず、ただドナードの意志を映す巨大な赤い瞳が静かに瞬きを繰り返していた。
「……ここから先は、私の領域です」
ドナードの足元に、幾何学的な光の紋が広がる。
その瞬間——
《支配領域》展開。
美怜たちの体が、見えない圧力に縛られたかのように、ぐっと硬直する。
「これは……!?」
カイルが眉をひそめる。
「今、この場にいる全ての者に、《三つの掟》を告げましょう」
ドナードが冷ややかに手を掲げると、空間に“ルール”が刻まれていく。赤黒い光の文字が浮かび、音もなく読み上げられるような重圧が四人にのしかかる。
《掟其ノ一:二手以内の連携は禁止》
《掟其ノ二:回復は一度限り》
《掟其ノ三:感情の発露は処罰対象とする》
「っ……!? 感情の発露って、どういう……!?」
ティナの声が震えると同時に、彼女の足元から黒い茨が這い上がり、脚を締めつけた。
「言葉一つにも、“秩序”は宿るのです。感情を乱せば、世界もまた乱れる」
ドナードは一歩、前へ出た。
その歩みすら、まるで儀式のように無駄なく、美しかった。
「この空間では、私が“法”であり、“裁判官”であり、“処刑人”です」
ツカサが刀を抜こうとする——が、その手が重く、動きが鈍い。
「……ちっ、なんだこれ……!」
「貴方の“衝動”を、制御したまでのこと。剣とは殺意の象徴……無秩序な刃は、ここでは鈍るのですよ」
「ふざけんなよ……!」
剣を抜くと同時に、ツカサの足元に無数の鎖が絡みつく。
「感情の爆発、二つ目。処罰対象」
「やってられっかにゃ!!」
ティナが跳躍し、ドナードへ拳を叩き込もうとする——が、空中で軌道が強制的に捻じ曲げられ、彼の横を逸れた。
「二手以内の連携、破り。処罰対象」
バチィン、と雷のような痛みがティナの体を打つ。
「ぐっ……にゃあっ……!」
「まずは、学んでいただきましょう。この空間では、激情も、衝動も、連帯も……全て、私の許可なく行ってはならぬと」
カイルが歯を食いしばる。
「……なるほど。これは、“戦い”じゃない。これは、“裁き”だ」
「理解が早くて助かります。僧侶殿、貴方には期待しておりますよ。理性という名の鎖こそ、最も強きものですから」
ドナードが、手をひらりと振る。
その合図で、空間が一段階、深く“閉じた”。
《支配領域》が完全発動。制約の強度がさらに増加した。
美怜の体が、細かく震えている。
舞の構えをとろうとした瞬間、彼女の膝ががくりと落ちた。
「この空間では、あなたの舞は“意味”を失う。なぜならそれは、心の揺らぎの具現。……秩序の中に、踊りは要らぬのです」
「……っ!」
それでも、美怜は倒れかけた体を支え、指先だけでリズムを刻み始めた。
「なら……無意味でも、踊る。心がある限り、私は……止まらない」
そのリズムに、微かに光が乗る。
カイルが、目を細めた。
「こっちも、法に従ってばかりじゃないってこと、教えてやるよ」
彼が詠唱するのは、《聖律展開》。神聖魔法の上位結界。ドナードの支配領域に、一点、聖域の“例外”を穿つための魔法だった。
「お前が秩序の番人なら、俺たちは……不揃いな反逆者だ」
ツカサが、再び刀を握る。
「でもな……心があるから、何度でも立ち上がれるんだ……」
美怜の舞が、カイルの詠唱が、ツカサの剣が、ティナの拳が——
ひとつの“鼓動”として、再び揃い始める。
支配と反抗。
秩序と心。
それぞれが、それぞれの信念を掲げて交差する。
《支配領域》の中、真なる戦いが、今——始まった。




