第六十七話 苦しいなら心はいらない?
「……確かに、心なんて捨てちゃえば楽だ」
かすれた声が幻の中で響いた。
それは、ツカサのものだった。
影のように膝を抱えて座り込んでいた彼が、ポロポロと涙を零しながらゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、まだ深い迷いと自己否定の残滓が渦巻いていたが——
それでも、揺れていた。
「誰にも期待されず、誰にも届かず、ただ空気のように消えていける。……そんな風になりたいと思ったこと、何度もある」
彼は震える手で、自分の胸を押さえる。
「でも、本当は諦めたくないんだ。認められたい。必要とされたい。自分を肯定したい。自信が欲しい。でも、暗い時は頭がぼぅとして足がすくんで前に進めない。」
「そんな……そんな俺にさ、“一緒に来よう”って言ってくれたやつがいた。ここに……今も、そばにいる」
ティナが、思わず目を見開く。
「ツカサ……」
「こんな俺がさ、立ち上がろうとしてる理由はたったひとつ……。他の誰でもない、自分の心が、“それでも生きろ”って叫んでるからだ」
ツカサの足元が輝き出す。
幻影が、崩れ始めた。
その光は、他の仲間たちにも伝播していく。
ティナが、無表情の仮面を振り払うように叫んだ。
「笑うのをやめるなんて、やっぱりあたしじゃないにゃ!」
カイルが拳を握り締める。
「計算で動くだけの俺なら、そもそもここに来てない」
そして、美怜が胸に手を当て、静かに目を閉じる。
「踊る理由はもう分からない。でも……あなたたちと一緒に戦いたいって気持ちは、今も確かにある」
幻影が、音を立てて砕けた。
空間が収束し、現実の《黒茨の館》が、再びその輪郭を取り戻す。
「——愚かだ」
ドナードが立ち上がっていた。
その目は、今や完全な“処刑者”のそれだった。
「心など、ただの不安定因子。選ばぬ愚か者に、制裁を」
彼の背後に、巨大な闇の羽根が広がる。
床から無数の鎖が湧き上がり、四人を縛らんと襲いかかる。
「来るぞ!」
カイルが神気をまとった防御魔法で鎖を受け止める。
「なら、答えは一つにゃ!」
ティナが拳を握る。
「立ち止まってる暇なんて、ないんだ……!」
ツカサが背中を伸ばし、日本刀に手をかける。
美怜が舞の構えを取る。
「アルを取り戻す。それが、私たちの目的なんだから!」
ドナードは微笑みを消し、静かに告げた。
「ならば、私は“執行者”として、貴方たちの心を——消し去りましょう」
《微笑の執行者》ドナード・ルクス
——戦闘、開始。




