第六十六話 闇の四天王
中央都市から西へ、三日。
美怜たちは、かつて魔王の支配下にあった都市国家へと足を踏み入れた。
そこは闇の霧に包まれ、陽光すら沈む灰色の空の下、かつての栄華を保ちながらもどこか歪んだ気配を漂わせていた。
通りには笑顔を浮かべる人々。店も市も賑わっている……にも関わらず、街は静かだった。
誰もが囁き声で話し、目を合わせず、どこかに“監視”の視線を感じている。
「ここ……息が詰まるにゃ……」
ティナがそっと呟いた。
「支配が行き届きすぎてるな……秩序じゃなくて“服従”だ、これは」
カイルが神気を練りながら警戒を強めていた。
「うっ……しんどい……」
ツカサは瘴気に当てられたのか、自前の鬱が出たのか、口元を手で抑えてよろよろと歩いていた。
ティナはツカサの背をそっとさすった。
その時——
広場の噴水の前に、ひときわ異彩を放つ人物が立っていた。
漆黒のロングコートに赤の裏地。胸元には深紅の薔薇。
銀灰の髪をオールバックに撫でつけた、壮年の男。
その姿が目に入った瞬間、美怜の背筋にぞっと冷たいものが走る。
「——お待ちしておりました、《旅人たち》」
その声はまるで、低音の楽器のように柔らかく、同時に、抑えようのない威圧感を持って響いた。
「ご足労いただき、感謝いたします。私はドナード・ルクス。この街の“当主”にして、魔王陛下の忠実なる“執行者”です」
男は一歩踏み出し、広場の中心で静かに礼をした。
「どうぞ、ご安心を。罠でも、襲撃でもございません。私どもは常に《秩序》を尊びます。敵意なき訪問者には、礼を以って応じるのみ」
だが、その微笑には一切の隙がなかった。
「……あなたが、最後の四天王ってわけね」
美怜が声を張ると、ドナードは口元を綻ばせた。
「ええ、正確には《最後に残された柱》。……さて、“家族”を失った孤児たちが、何を求めて我が家を訪ねてきたのか——話を伺いましょうか」
その言葉に、美怜の表情が引き締まる。
ドナードの言葉は、常に“丁寧”だった。
彼らはドナードの私邸《黒茨の館》に通される。
内装はまるで劇場のような優雅さで満ちていたが、どこか不気味なほど整いすぎている。
召使いたちは皆、まるで人形のように無言で働いていた。
豪奢なソファに腰を下ろしたドナードは、静かに語る。
「……“アル”という名。魔王陛下の中に芽生えた《異物》。私にとって、それは病原であり、家族を壊した《裏切り》そのもの」
「魔王は変わった。でも、私たちは——その“心”こそが、本当の……」
美怜が言いかけると、ドナードの視線がふっと冷たくなった。
「変わるとは、進むことではない。壊すことだ。私は、魔王陛下をあの日のまま——《純粋なる支配者》に戻したいと願っている。……だからこそ、私は《契約》を交わしましょう」
「契約……?」
ドナードは指を鳴らすと、一枚の黒い紙を空間から出現させた。
「この“契約書”に署名をいただければ、私はあなた方に“アル”に関する情報を差し上げましょう。ただし——代償は、あなた方の中から誰かひとり、《心》を差し出すことです」
空気が、音を失った。
「心……を?」
「ええ。心とは選択です。恐れ、憎しみ、希望、後悔、愛情……そういった《揺らぎ》を、誰かひとりから“消して”いただきます。代わりに、完全なる秩序が得られる」
「いっそ心が無くなったら楽だろうね」
ツカサが力なく笑う。
「そんなの、生きてる意味ないにゃ!」
ティナが否定する。
「そうでしょうか? 私は——その心が、魔王陛下を壊したと信じております」
その言葉と同時に、館の空気が変わる。
視界がぼやけ、空間そのものが歪む——。
「……!」
美怜が気づいたときには、彼女たちは“幻影”の中にいた。
そこは、《もし、誰かが心を失ったら》という“可能性の世界”。
ティナが何も感じず、笑わなくなった。
カイルが仲間を助ける事をやめ、合理性だけで動いていた。
ツカサが鬱のまま、立ち上がることすらしなかった。
美怜が踊る理由を忘れていた。
「これは……」
「はい。これは、選択の果てです。“あなた方は本当に、《心》を信じているのか”。私の問いは、それだけ」
ドナードの声が、どこからか響いた。
「さあ、選びなさい。契約するか。あるいは、戦うか。どちらにしても、終わりは——近い」




