第六十五話 武帝が語る魔王
紅蓮の気流が広間を吹き抜ける中、ヴァルグラドは静かに双剣を振り下ろした。
その刀身から、炎がふっと収まる。
「……剣を納めよ、ツカサ」
静かな声が、戦場の空気を変えた。
ツカサは、構えたまま動かなかった。
だが、その目にあるのは戦意ではない。
それは、武士としての礼だった。
「……もういいのか?」
「ああ。お前たちの“覚悟”……確かに見届けた。誇りある戦いだった」
ヴァルグラドはゆっくりと双剣《紅蓮刃》を背に収め、甲冑の隙間から覗く胸元に指を当てた。 そこには、先ほどのツカサの一撃が残した深い斬痕がある。
「炎を断つ剣……ふむ、面白い。あれほどの剣気を放てる者が、まだ人の世に残っていようとはな」
「へへ。褒められると照れるな……じゃねぇ、死ぬかと思った……」
ツカサはふらりと膝をつき、肩で大きく息を吐いた。
ティナがすぐに駆け寄って「にゃあー!無茶しすぎにゃあ!」と文句を言いながら肩を貸し、カイルがそっと回復の祈りを送った。
美怜は深く一礼して、言葉を紡ぐ。
「……では、約束を。アルのこと……教えてもらえますか?」
ヴァルグラドは、ほんの一瞬、言葉を探すように目を閉じた。
そして、低く語り出す。
「アル……その名が主の中にできはじめたのは十六年ほど前だ」
「そんなに……?」
「ああ。我ら四天王が、まだ魔王の名のもとに集っていた頃……魔王はある孤児を気まぐれで拾った」
「その孤児を育てた。その時間が——魔王に、“心”を芽生えさせたのだ」
「……」
「我らは皆、それを感じ取った。だが……誰も言葉にはしなかった。魔王に心など、必要ない。そう、信じたかった。だが、あの御方は変わってしまった」
言葉は静かだったが、その中にある葛藤は深かった。
「ある日、魔王は告げられた。『自分の中に、もう一つの“声”がある』と。……名は“アル”。幼い少年の人格。怒りも、悲しみも、理解しようとする心だった」
カイルが目を見開く。
「それって……もしかして、魔王が生み出した……?」
「否。“芽吹いた”のだ。我が王の魂の奥底に。いつから存在していたのかは分からぬ。だが、それは確かに、我が王の一部だった」
ヴァルグラドは、炎の紋章の前に歩み寄り、そこで振り返る。
「だが、それを俺たちは理解できなかった。我が王は、我らに別れを告げ、姿を消された」
「……!」
美怜の胸に、冷たい痛みが走る。
ヴァルグラドは、拳を握りしめたまま言った。
「我が王がどこにいるのか、今は分からぬ。だが、ひとつだけ確かに伝えておこう」
彼は深く息を吐くと、まっすぐ美怜たちを見る。
「“アル”は今も——完全には消えていない。我が王の奥深くで、揺れている存在だ。だがそれは、今や“守られて”いる」
「……守られている?」
「ああ。我が王自身が、心の最奥にその人格を封じ、守っているのだ。まるで、それが宝物のように……な」
言葉に、誰もが息を呑んだ。
それはつまり——魔王自身が、アルを“失いたくない”と願っていることを意味していた。
「……ありがとう、ヴァルグラド」
美怜は頭を下げた。
「私たち、きっと彼に辿り着く。その時は——きっと、心から笑えるようにしたい」
ヴァルグラドは頷き、ゆっくりと広間の奥に歩き出す。
「次に会うとき……その剣が、何を守るか。その答えを俺に見せろ、ツカサ」
「へいへい……その時も“明るい俺”だったらいいけどな」
ふっと笑ったツカサに、武帝はわずかに笑みを返した。
熱き闘将は、再び静寂の中に身を沈める。
——そして、美怜たちは。
新たな真実と希望を胸に、次の地へと向かって歩き出すのだった。




