第五十四話 アルの軌跡を辿って
旅の初日、美怜たちは山を越え、谷を抜け、北東へと進んでいた。
目的地は、アルが語っていた“生まれ育った村”——レーヴェン村。
「このあたりだ。アルがよく話してた、小さな農村。花畑と古い鐘楼があるって……」
カイルが小道の脇に立つ古びた標識を指差す。
「ほら、『レーヴェン村まであと2キロ』だってにゃ!」
ティナが耳をぴくりと動かしながら、勢いよく前を歩く。
やがて、丘を越えた先に、小さな集落が姿を現した。
白い壁に赤い屋根の家々。のどかで静かな田園の中に、まるで時間が止まったような平穏が広がっている。
でも——
「なんか……変じゃない?」
村に足を踏み入れた瞬間、美怜は違和感を覚えた。
すれ違う村人は、皆似たような格好をしていて。どこかよそよそしい。声をかけても、ぎこちなく笑って、すぐに視線をそらす。
「すみません、アルという少年を知っていますか?この村に昔——」
「……いえ、知らないです」
美怜の問いに、老女はそっけなく首を振った。
次に話しかけた若い農夫も、旅籠の女将も、口をそろえてこう言った。
「そんな子、聞いたこともないねぇ」
「おかしいにゃ。アルはこの村の鐘の塔によく登っていたとか、花畑が好きだったとかすごく具体的な話してたにゃ」
ティナがしっぽをぱたぱた揺らしながら、顔をしかめる。
「本当に、この村だったよな……?」
カイルが思案する。
誰もがアルのことを“知らない”という。 村には確かに鐘楼もあり、アルが話していた花畑もあった。
けれど、記憶にあった“アルの居場所”は、どこにもなかった。
「まさか……」
カイルがふと呟く。
「アルの記憶自体が……魔王が“捏造したもの”なんじゃ……?」
沈黙が落ちた。
その晩、一行は村の唯一の宿に身を寄せることにした。
「お客さんなんて滅多に来ないからねぇ。ゆっくりしていっておくれな」
旅籠の女将は柔らかい笑みを浮かべていたが、どこか、それは張りついた仮面のようにも見えた。
囲炉裏の火に照らされながら、美怜たちは簡素な夕食をとった。素朴な野菜の煮込みに、焼いたパンと温かいスープ。空腹にはちょうどよかった。
「……なんか眠くなってきたにゃ……」
ティナが欠伸をしながらふらつく。
「急に……おかしいな、疲れが……」
カイルも額を押さえて膝をつく。
「まさか……!」
美怜が身を起こそうとするが、視界が歪み、意識が深く沈んでいった。
冷たい石の床の感触で、美怜は目を覚ました。
薄暗い牢屋。鉄格子の向こうから漏れるかすかな灯りが、三人の影をぼんやりと照らす。
「……ティナ、カイル……!」
「にゃあ……頭がぐるぐるするにゃ……」
「くそっ……やられたか……」
床に横たわっていた二人も、ゆっくりと身を起こす。
ガシャン、と音を立てて牢の扉が開き、一人の男が姿を現した。
年老いた村長だった。白髪混じりの髪に、茶色の外套。目の奥に、警戒心と覚悟が同居していた。
「……なぜ、“魔王様”のことを知っている?」
村長は無駄な挨拶もせず、単刀直入に問いかけてきた。
「あなたたちは何者だ。どうして、あの方の名前を出した?」
美怜は鋭く睨み返す。
「アル……あの子が、ここで暮らしていたと話していたから。それだけよ」
「アル……。ふむ……」
村長はしばし沈黙した。唇を噛み、葛藤を噛みしめるように。
「じゃあ、今度はこっちが聞く番」
美怜の声に怒気が混じる。
「なぜアルが——“魔王”が、この村にいたの? どうして彼はこの場所を“故郷”だと思っていたの?」
しばらくの沈黙のあと、村長はゆっくりと腰を下ろし、ため息をついた。
「……これ以上、隠しても意味はないな。すまなかった。だが、お前たちが“敵”か“信徒”か分からず、確認せずにはいられなかった」
村長は重々しく語り始めた。
「この村はかつて、“イェル・セイン教団”の隠れ里だった。表向きは平凡な農村を装いながら、代々“魔王様”を崇め、信仰していた」
「魔王様は、我らにとっては“再誕の導き手”であり、“正しき世界の調律者”だった」
ティナが息を呑む。
「つまり……カルト村、だったってことかにゃ……」
「そう呼ばれても仕方あるまい」
村長は頷く。
「十数年前、魔王様が“逃れるように”この村に姿を現したことがあった。我々は狂喜し、身をもってお支えした。そして、魔王様はしばらくの間、仮の姿でこの地に留まられた」
「その時……?」
美怜が息を呑む。
「そうだ。恐らくは、その時の記憶が“アル”としての人格に根付いたのだろう。村での暮らしはほんの一時期の出来事にすぎん。それを魔王様は、人格を分けた後でも“故郷の記憶”として保持していたのだ」
「でも……なんで、村の人たちはアルのことを“知らない”って?」
カイルが眉をひそめる。
「魔王様の痕跡は、すべて消すよう彼女に命じられた。我らはその掟に従い、彼の存在を“なかったこと”にした。記録も記憶も——封印したのだ」
牢屋の中に、重苦しい沈黙が落ちる。
「……アルが、自分を“人間”だと思い込んで生きてきたのは……」
美怜の声は、震えていた。
「この村での一時の平穏が……そのまま、彼の“心の核”になっていたからなんだね……」
「哀れなことだ。だが……それでも、あの方は“我々の主”であることに変わりはない」
村長は静かに立ち上がる。
「お前たちの目的は、魔王様を“人間にすること”か?」
美怜は、まっすぐにうなずいた。
「……私は、アルを取り戻す。それが“魔王”だとしても、私は彼の中の“心”を信じてる」
村長は目を細め、しばし美怜を見つめた。
「……“アル”という存在が、魔王様の中に生まれた奇跡だとするなら……」
「それを理解し、救おうとするお前達は、もう“ただの旅人”ではないのかもしれんな」
彼はゆっくりと背を向け、牢の外を見つめる。
「だが、忘れるな。あの方は、決して“人間ではない”」
「どれほど心を通わせようと、その本質は変わらん」
美怜は拳を強く握りしめた。
「……それでもいい。私は知りたい」
「“魔王”がどんな存在なのか……アルという“心”が、どんなふうに生まれたのか……」
ティナが耳をぴんと立ててうなずく。
「にゃ。だって、アルはあたしたちの大事な仲間だったにゃ」
「魔王だからって、見捨てられないにゃ」
カイルも立ち上がり、鋭い目で村長を見た。
「もし“魔王”を本当に理解したいなら——どうすればいい?」
村長はしばし沈黙し、そして重く口を開いた。
「……“四天王”だ」
「魔王様の側に最も近しく仕えた魔族たち。あの方が何を想い、何を失い、何を望んでいたか——知る者は、彼らしかおらぬ」
「四天王……!」
美怜たちは顔を見合わせた。
「すでに各地に散ったと聞いている。だが、彼らの足跡を辿れば、いずれ“魔王様の真実”にたどり着けるだろう」
村長はゆっくりと鍵を取り出し、牢の扉を開いた。
「……正直に言えば、私はお前たちが恐ろしい。だが、それ以上に——お前たちのような者が、魔王様の魂に触れられるのなら……と、どこかで願っていたのかもしれん」
「ありがとう、村長さん」
美怜は軽く頭を下げた。
「東の森林地帯に、“毒の四天王セリオ・ヴェリエ”がアジトを構えていると聞いたことがある」
「卑劣で陰険だが、魔王様に一番近しいとされる四天王だ……」
「そいつから行こう」
カイルが頭をかく。
「話が通じる相手ならいいが……」
「通じなくても、あたしたちが通すにゃ!」
ティナがにかっと笑い、背伸びをした。
「魔王を知るために——アルを、救い出すために」
美怜の瞳が、真っ直ぐに輝いていた。
こうして、一行の新たな目的が定まった。
“魔王”という存在を知るため、四天王を巡る旅へと——
それはやがて、かつて誰も踏み入れることのなかった“魔王の心”の深層へと繋がっていくのだった。




