第四十三話 リュミナの過去
岩壁が完全に開かれたその奥に広がっていたのは、厳かな沈黙の世界だった。
ひんやりとした空気。石造りの広い回廊。天井には淡い光を放つ浮遊石が、星々のように灯っている。
「ここが……“記録庫”……」
ティナがぽつりと呟いた。
広間の中央には、円形の水盤があり、淡い光を帯びた霧がゆっくりと立ちのぼっている。そのまわりを囲むように、台座と椅子が円形に並び、いかにも「祈り」の場であることを感じさせた。
セリスが水盤の前まで進む。
「この水盤に、祈り子たちの“記憶の結晶”が沈んでいる。触れれば、視ることができるわ……リュミナが、最後に残した祈りも」
美怜が小さく息を呑む。
「本当に見れるの……?」
「ええ。ただし——覚悟して」
セリスは振り返り、まっすぐ美怜を見た。
「祈りの記憶は、視る者の魂を揺さぶる。もし、心が折れれば……戻ってこれないかもしれない」
カイルが低く唸るように言った。
「精神を試すってことか……“祈り”の真意を、こちらが受け入れられるかどうか」
「それでも、やるよ」
美怜が一歩踏み出す。
「私は、彼女たちを取り戻すと決めた。そのためなら、彼女が何を願って、何を捨てたのか——全部、知りたい」
セリスが静かに頷く。
「……わかった。では、案内するわ。リュミナの記憶へ」
セリスが水盤に手をかざすと、霧が渦を巻き、中央に一つの光の柱が立ち上がった。
美怜が手を伸ばす。
その瞬間、景色が、世界が、音もなく切り替わった。
——そこは、神殿のような石の大広間だった。
だが、美怜はすぐに気づく。
これは、“記憶”の中。
色彩がわずかに淡く、空気は澄みすぎている。
その中心に——
ひとりの少女が立っていた。
赤毛の髪、金の刺繍をあしらった白衣。まだあどけなさの残る表情には、祈り子特有の厳粛さと、どこか影を落とした迷いがあった。
「リュミナ……」
それは、確かにリュミナだった。
ただし、美怜の知る毒舌だけど優しいリュミナではない。
なにかを、祈ることすら恐れているような——凍りついた少女。
“お願いです……あの子を……その子を、殺さないでください……”
声が聞こえた。リュミナの記憶の中の声。
神からの命令——それは、「災いを生む子を断て」というものだった。
それが、まだ罪もない幼い命だとしても。
リュミナは祈った。命を奪う代わりに、どうか別の救いをと。
けれど——神は沈黙した。
祈り子としての資格は、その日を境に、彼女から消えていった。
「……だから、彼女は……」
美怜の中で、点と点が繋がり始める。
祈り子として舞うことを捨てた彼女。その選択は、ただの挫折ではなかった。
リュミナは、神の命令より、自分の良心を選んだのだ。
誰かを救うために、祈り子の道を降りた。
それは、美怜自身の今の姿にも重なるものだった。
——記憶の中のリュミナが、ふいに美怜の方を見た気がした。
「あなたは……誰を救おうとしているの?」
問いかけのような視線だった。
「……私は、あなただよ。あなたと、ライアスと、ガイアを……!」
美怜が言葉を放つと、光景が急速にほどけていった。
記録庫の水盤の前——現実に、美怜は戻っていた。
ティナが肩を抱え、カイルとアルが心配そうに見つめている。
セリスだけが、静かに頷いていた。
「……あなたなら、彼女を本当に理解できるかもしれない」
美怜は、震える手で胸を押さえる。
「……リュミナは、命を奪う祈りに、背いた。神に従うより、人を救うことを選んだんだ」
「その代償として、彼女は“神の声”を聞けなくなった」
セリスが告げる。
「だから、私が代わりに祈り続けたの。でも、私は……彼女のようにはなれなかった」
「違うよ」
美怜は、セリスをまっすぐ見た。
「あなたが祈りを続けてくれたから、今、こうして真実に辿り着けた。だから次は、私が祈る。私の舞で、彼女たちの魂を——もう一度、呼び戻す」
セリスは、驚いたように目を見開き——そして、ふっと小さく笑った。
「……なら、やるしかないわね。次の“魂の器”を定着させる儀式に」
「うん。私は、踊るよ。どれだけ痛くても、仲間の記憶を……想いを、取り戻すために」
その決意の炎は、かつて誰よりも“純粋だった祈り子”の心に、確かに届いていた。




