第四十一話 祈り子との邂逅
霧は音を呑み込んでいた。
鳥のさえずりも、風の唸りも、己の足音さえも、すべてが白い靄に溶けて消えていく。
「——うそ、方向感覚が……」
ティナが眉をひそめる。
数歩進んだだけなのに、道がねじれたように感じられた。
空と地面の境界も曖昧になり、前後左右の感覚すら頼りにならない。
「……これは、ただの霧じゃないな」
カイルが慎重に足元を探りながら言う。
「空間そのものが歪んでる。結界っていうより、もはや精神干渉の領域だ……」
「ミレイ、大丈夫……?」
アルが後ろから美怜に声をかけた。
美怜は、ふらつきながらも歩みを止めていなかった。
足元はまだ赤く濡れ、ザハルの所での舞の痛みが消えたわけではない。それでも、美怜はただ一点を見据えるように前へ進み続けていた。
「……聞こえるの」
「え?」
「誰かの声が、私を呼んでる。遠くて、懐かしくて、……でも、少し悲しそうな声」
誰も声など聞こえなかった。
けれどそのとき、霧の奥に——灯りが見えた。
ぼんやりと灯る、青白い光の柱。
それは地面からまっすぐに立ち上り、霧をゆっくりと割っていく。
「なんだろう……?」
アルがぽつりと呟く。
「……これは、試練かもな」
カイルが低く言った。
「でも……行くしかないにゃ」
ティナが、ぎゅっと拳を握る。
美怜はうなずき、静かに足を踏み出した。
光の柱へと近づくにつれて、空気が変わる。
冷たいはずの霧が、どこかぬくもりを帯び、まるで誰かの手に頬を撫でられているような——そんな不思議な感触に包まれる。
やがて、光の柱の中に、映像のような何かが浮かび上がった。
それは、まだ少女だったリュミナの姿だった。
雪の中、一人で舞う白衣の少女。
祈りの舞。
誰にも見せることのない、孤独な祈り。
「……リュミナ……」
美怜は思わず、手を伸ばした。
けれど、その映像は霧とともに崩れ、ふわりと消えていく。
そして、代わりに現れたのは——
「……久しぶりね、リュミナの継承者」
白い衣をまとった女性の姿だった。
その声を、美怜は忘れていなかった。
鋭く、それでいてどこか澄んだ声。
正しく在ろうとし続けた、あの冷たい背中の声。
「——セリス……!」
霧の中、彼女はただ静かに佇んでいた。
「私を探しに来たの?」
「……リュミナの記憶を辿りたくて。あなたが何かを知ってると思った」
「そう。……でも、私は過去を渡すためにここにいるんじゃない。あなたが“祈り子の地”を踏む資格があるのかどうか、それを見極めるためにいるのよ」
セリスの瞳には、情がなかった。
けれど、それは突き放すものではなく、祈り子としての“務め”をまっとうしようとする意志の色だった。
「なら、証明する。私はここに来た意味を見つけたい。リュミナの……仲間として」
「——見せて」
セリスが言った。
「その足で、どこまで祈りに辿りつけるか。舞って。……今の、あなたの“魂”を見せて」
再び、足の呪印が疼く。
けれど、美怜は——頷いた。
静かに、両腕を広げ、痛みに耐えながら、霧の中でひとり舞い始める。
その祈りが、誰かの記憶を揺り起こす。
リュミナの過去。
祈り子という名の宿命。
そして、セリスが"祈り"を捨てて“杖”を手にした理由——
すべては、霧の奥で静かに眠っている。
やがて、彼女の舞が届いたとき。
聖域フィル=セリオンの扉が、真に開かれる。




