第四十話 聖域へ
旅立ちは、夜明けとともに始まった。
ザハルのアジトを後にした美怜たちは、東の山脈地帯を目指して歩を進めていた。
《聖域フィル=セリオン》——祈り子たちが修行を積んだとされる、霧と祈りの地。
そこには、リュミナの過去。そして祈り子としての“役目”が残されているかもしれない。
山の麓の町で得た情報によれば、聖域へ通じる道は存在するが、道中には結界のような自然障壁があり、部外者を拒むようになっているらしい。
「まるで、神さまの領域って感じにゃ」
ティナがぽつりと呟く。
「神域……って言葉、比喩じゃなかったのか」
カイルが、険しい山道を登りながらぼやく。
「フィル=セリオン。元は“霧の塔”と呼ばれていた場所で、自然にできた柱状の岩の谷に、神殿のような遺跡が点在してるって話だね」
アルが地図を見ながら答える。
「“元は”って……今は何か違うのか?」
カイルはアルに問う。
「ん……たぶん、昔とは地形が変わったか、あるいは人の手で封じられたのかも……しれない」
美怜は会話を聞きながら、静かに前を見据えていた。
リュミナのこと。セリスのこと。
彼女の頭の中には、山の奥に佇む、あの無表情な祈り子の姿が浮かんでいた。
——「彼女は“踊り”を捨てた。杖を取り、魔法を学び、“神の声”を断ち切った。……だから、私は代わりに祈り続けた。あの人の代わりに」
かつて聞いたセリスの言葉が、ふいに脳裏をよぎる。
セリス・フィレーネ。彼女は今、どこにいる?
「……ミレイ、無理してない?」
ティナの声に、美怜は小さく笑って首を振った。
「大丈夫。痛みは……まだ残ってるけど、踊れなくはない」
痛み。あの呪印の痛みは、今も美怜の脚に残っていた。動かすたびに、神経を焼かれるような激痛が走る。
だがそれでも、彼女は前へ進む。
それは、もう自分一人の物語ではなくなっていたから。
そして——
その時、風がざわりと揺れた。
霧が濃くなった気がした。山の斜面に沿って、風とは逆方向から流れ落ちるように霧が集まってくる。
「……結界か」
カイルが立ち止まり、印を切るように指先を動かす。
「祈りの地に近づく者を、霧が選別する……そういう仕組みらしい」
カイルがお手上げとばかりに手を上げる。
「どうすれば……」
美怜の問いに、アルが肩をすくめる。
「それがわからない。けど……ザハルさんは、たしか“この場所に近づくことは、記憶と魂を試されること”って言ってた」
「記憶と魂……」
美怜の胸が、じわりと痛んだ。
リュミナの記憶。仲間たちの記憶。そして——今の自分に残された痛み。
「私が……選ばれる者かどうか、行ってみなきゃわからないってことね」
そう呟いた時だった。
霧の奥、遥か先。
白い衣をまとった何者かの姿が、ちらりと見えた。
一瞬——それは、セリスに見えた。
けれど、美怜が目を凝らした時には、もうそこには誰もいなかった。
「……行こう」
美怜は小さく息を吸い、霧の中へと一歩を踏み出した。
《聖域フィル=セリオン》——その深奥で、失われた祈りと記憶が、彼女たちを待っていた。




