第二十三話 嵐の前の静寂
呪いの森——
そこは、誰もが恐れる未帰還者の墓場。
魔王と遭遇したリュミナたちの最期の地でもある。
あの場所へ向かうと決めたとき、空気が変わった。
「……無茶だとは思わないけど、相応の覚悟は必要だにゃ」
ティナの声が、珍しく真剣だった。
アークルゼンには冒険者向けの準備区域がある。
高名な魔導具師や薬師、そして呪術師たちが軒を連ねる一画で、私たちは準備に取りかかった。
「まずは、呪いや幻覚対策……とにかくこれに尽きるね」
ミレイは広げた地図の上に、呪いの森にまつわる資料を並べていく。
腐敗の霧、視界を奪う魔瘴気、意思を狂わせる幻覚。
「ここまで危険な場所、粗末な装備じゃ足も踏み入れられないにゃ」
ティナが言うと、アルが神妙な顔で口を開いた。
「ごめんなさい……僕……呪いへの耐性、あまり高くないかもしれません。昔、一度、呪いの森に近づいたことがあるんです。まだ僕が一人で旅してたとき……あのとき、強い寒気と吐き気で、立っていられなかった……」
「そうか。じゃあ余計に、魔除けや結界道具は必須だな」
カイルは手元のメモを眺めながら、道具屋を何軒も渡り歩いていた。
彼の目は真剣だった。
この旅が、妹のための旅だけでなく、“仲間”を守るための旅にもなっているのが、今の彼の背中から分かる。
「これは……呪性排斥符の最新版……さすが高い……」
ミレイが思わず値札に目を細める。
「大丈夫。金なら……まあ、何とかなる」
カイルが軽く笑って袋金貨を置いた。
「最近、ちゃんとした依頼もこなして稼いでるからな。さすがに命の値段はケチれねえ」
その言葉に、ティナが「ふん」と笑った。
「昔のカイルなら“敵のパンツ剥げば、アイテム買う金の足しになるかも”とか言ってたにゃ」
「誰がパンツ商人だ!こちとら今は“仲間思いのナイスガイ”って路線で売ってんだよ!」
笑いが弾ける。
けれどその笑いの中にも、緊張があるのを、皆わかっていた。
「……ミレイさん」
夜。宿に戻る途中で、アルがぽつりと話しかけてきた。
「呪いの森に、もし……魔王がいたら」
「うん」
「ごめんなさい……僕、ちゃんと……立ち向かえるかなって。震えてしまうかもしれない。怖いです、正直」
私は彼の横顔を見つめる。
その瞳は赤く、髪は雪のように白い。
その外見だけで疎まれてきたというアルの言葉が、脳裏に蘇った。
「怖くていいんだよ」
私は言った。
「怖くないって言う方が、嘘だよ。……でも、アルは今、怖くてもここにいる。仲間のために、踏みとどまってる」
「ありがとうございます……僕、もっと強くなりたいです」
アルの声は小さく、それでも揺るがない決意に満ちていた。
翌朝。
全員の装備は整い、魔瘴耐性の薬、幻覚除去の香草、簡易結界石、夜目用の魔晶灯——できる限りの準備は揃っていた。
「じゃあ、行くか」
カイルがナイフをくるりと回して腰に収める。
「呪いの森。あの人らが立ち止まった場所の、先へ」
「うん」
私は、腰の鈴を軽く鳴らした。
今度は、誰も置いていかない。
私も、誰にも置いていかれない。
そう誓いながら、私たちは次なる地、《呪いの森》へと足を踏み出した。