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お手伝いをしてくれる学校一の美少女に歪んだ愛情を向けられていました

作者: 菜乃音

(……ほんとうに、別人みたいだよな)


 愛生(あいせ)求夢(もとむ)は高校生になってから出会った彼女――一江(いちえ)萌花(ほのか)を自分の机から眺めた。

 萌花は一言で言ってしまえば、住む世界が違う学校一の美少女だ。


 艶めきのあるキューティクルが引き締まった、手入れの行き届いた黒いストレートヘアー。

 整った目鼻立ちに、お化粧をしているのかと錯覚する薄っすらと赤い頬に、夜空よりも溶け澄んだ黒い瞳。

 制服の袖から見える、肌荒れを知らない赤子のような柔くもっちりとした潤いを持った肌。

 容姿だけにとどまらずに勉強もできて、運動もできて、それでいて謙虚な彼女を慕う人は後を絶たない。


 おとなしいながら周りと少々かけ離れた萌花は、誰もが息を呑み、絶賛する程の美少女だ。


(あの時までは……関わりは無かったはずなんだけど)

「求夢くん、今日もいつもの時間に行きますね」

「いつの間に来てた?」

「冷えないように、いつでも傍に居ますよ」

「小声であっても、学校ではやめてくれ」


 萌花が話しかけてきたのもあって、周りの男子諸君からは羨ましい……蔑んだようで憎むような視線が求夢に飛んできている。

 萌花から求夢に対しての「くん」呼びは浸透したはずなのだが、それでも忌み嫌い妬むものは後を絶たないのだ。


 萌花と比べれば求夢は立場が違うので、気にくわないと思う者が居るのは仕方ないと割り切っている。


(……いつもの時間、か)


 学校では普通の美少女である彼女の秘密を、求夢は知っている。

 求夢が両親を亡くし、彼女がお手伝いとして来てくれるようになってから――。



 学校が終わり、求夢が帰宅した数分後に彼女はやってくる。


「求夢くん、こんにちは。今日は何がいい?」


 と来た早々に萌花は聞きながら、じりじりと距離を詰めてくる。

 距離が詰められれば、手には感触が一つ。

 ひんやりとしているのに、温かい。ほっそりとした手の感触が、撫でるように求夢の手を取っている。

 澄んだ黒い瞳は静かにへにゃりとし、口角は静かにあがっていた。


「君のさせたいようにしたいけど、私はオススメを選ばせたいな」

「……」


 触れる手が、離さないと言わんばかりにぎゅっと握られる。


 始まりは理解できない。ただ始まるのは彼女に向けられるものである。

 正しいだけじゃなくとも、失う前には沈黙させられてしまう。

 困惑した求夢は少し黙ってから、味見をひとつまみした。


「オススメで」

「騙さないから、私の事を嫌いになってもいいから、受け入れてもいいから……痛みに変えてもいいから」


 言葉とは裏腹に優しい声色は、鼓動の速さを受け入れさせてくる。

 萌花が瞳を細めた時、求夢は息を呑み込んだ。息だけだったら、きっと笑っていただろう。

 柔らかな感触が息を、言葉を、熱をひっそりと支配する。

 更に詰められた距離は、お互いの唇を重ねさせてきた。


 萌花の唇は何度も味わった。嫌いになるほど、好きになるほど、受け入れた。

 求夢は欠けてしまった感情を、ただ足りないと勘違いしてしまう。

 この感情を渡してしまえば、きっと楽になれただろう。

 答えられないから、重すぎたのだ。


 目を閉じても重なったままの、チクっと痛みを伝えてくる唇。だが、手は解放されているからこそ、押して突き放すことはできるだろう。

 求夢は突き放せなかった。他の人に渡したくないと、心のどこかで思うようになっていたからなのかもしれない。


 息ができた時、求夢は固まったままに驚いた顔をした。

 くすくすと笑みを浮かべ、萌花が撫でるように頬に手のひらを当ててくる。


「その驚いた顔は私だけの」

「……知ってる」

「……学校だと無理だけどね、二人きりになりたかったんだよ。君のためなら全て要らないし、怖くもないから」


 萌花は学校だと普通の美少女だが、求夢と居るこの時間は歪んだ愛情を向けてくるのだ。

 その愛情を向けられた頃は困ったものの、気づけば受け入れられるように求夢はなっていた。


 とはいえ、萌花はお手伝いとして本来は家に来ているので、ご飯を食べればバイバイの時間になってしまう。

 お手伝いと言っても、求夢の事情を気にかけた学校の仕業だ。

 だからこそ、萌花は求夢のお手伝いをする義理は無い。だが……今では学校の命ではなく、求夢に対しての想いを動力源に自身の気持ちで動いているのだとか。


 萌花の愛がどうしてここまで異常になったのかは、誰も理解できないだろう。

 それでも求夢はその愛を受け止めつつも、素敵すぎてヤバいことであることだけは理解しているのだ。


 萌花を心配させないように、逃げないでいるだけだと最初は思っていたほどに。


「求夢くんを味わったから、オススメを作るね」

「よろしく」

「ねえ、もっと求めてくれてもいいんだよ?」

「十分だ」

「二人っきりだと、寂しくないね」


 会話のキャッチボールは、求めるだけ無駄だと求夢は重々承知している。

 萌花はエプロンを翻し、さっと身に着けていた。

 身に着けている時ですらこちらを見ているのは、もはや執念とすら勘違いさせそうだ。

 勘違いしたところで、空振りは想いを交差させてくる。


 恋焦がれないようにしつつ、求夢はリビングの方から萌花を見ておいた。


 夜の帳が落ちかけようとしていた時、テーブルには料理の盛られたお皿が並んでいる。

 ご飯にお味噌汁、だし巻き卵にサラダ、焼き鮭が食卓の彩りを鮮やかにしていた。

 萌花は歪んだ料理、ダークマターを食べさせるのではなく、純粋に食欲そそる綺麗な料理を作るのだ。


 出される手料理の全てが手の込んだ出来だが、求夢は少々申し訳なさがある。

 食べるために席に着けば、萌花が求夢の隣に腰をかける。

 ダイニングテーブルは二人が限度な小ささなのもあって、萌花が隣に座ると腕はキスをしていた。


 溢れ出る雰囲気に、萌花の分が無いのはいつも通りだが、困惑でしかなかった。


「いただきます」

「召し上がってください」

「……すごく食べづらいんだけど?」

「触れられないようにしましょうか? それとも冷えていますか?」

「萌花の分は?」

「酸素が美味しいです」

「……」

「それとも、私を愛し(たべ)ますか?」

「堂々の告白宣言はやめろ」


 求夢は散々見逃していたが、直球な愛情表現は丁重にお断りしている。

 毒を吐いてしまったとしても、萌花との距離は少しある方が混乱しないのだから。

 ぎゅっと締め付けられた心臓は、額に汗を垂らしそうになる。


 求夢は箸を持ち、焼き鮭を口に運ぶ。

 あっさりとした味付けの塩梅に、ついつい頬を緩めてしまう。

 実際、萌花は料理のセンスも高いので、彼女の手料理を食べられるだけでも求夢は幸せ者だと実感している。


「美味しい」

「よかったです。では、もっと美味しくしましょうか」

「は?」

「借りますね」

「いいえ」

「嘘は駄目ですよ」


 持っていた箸はあっさりと、萌花の手によって剥奪されている。

 溢れ出した良心があるのなら、仕方ないと割り切るしかないだろう。

 考えたところで、萌花の考えていることに偽物も本物も甲乙つけがたいのだから。


 萌花は箸で器用にだし巻き卵を食べやすいサイズに切り、ゆっくりと求夢の口へと運んでくる。

 また体ごと向けてくるので、萌花の確かにある存在が当たっていた。

 高校生にしては余すことのない体型なのもあって、当てられている求夢からすれば精神修行そのものだ。

 実際、理想と言える大きさなので求夢は黙っている。


 変に刺激しようものなら、求めることは更に増えかねないのだから。


「あーん、して。私が美味しく食べさせてあげる」

「ありがぁあああ……?!」

「美味しそうですね。想いを入れるには、あーんが一番」


 わざとらしく自身の口許に指を当てる萌花は、歪んだ愛情を躊躇なく見せている。

 求夢としては、愛は重ければ重いほどいい。だが、萌花に関しては好きが極端なので、目が離せないのも事実である。


 話している際に口にだし巻き卵を入れられたが、満足のいく味わいだ。

 強引にされても嫌でないのは、萌花に毒されたからなのか、それとも求夢が萌花で変わっているのか。

 本来であればされて嬉しいであろうあーんも、叶わないことが萌花の前だと無いらしい。


 ふと気づけば、萌花は求夢の箸を使い、多めに作られていたおかずを食べていた。


「そんなに食べたいなら、自分の分も作ればよかったんじゃ? ……いや、食べきれない分を作ったのはそういうことか」

「私は欲しがります。残り物でも、君の酸素でも、美味しいですから」

「せめて間接キスは避けて」

「キスをした後は全て間接になります」

「勘違いも藻掻きたくなるよ?」


 そんないつもの歪んだ日常会話をしているのに、溢れる好きは知っていた。

 触れたら消えてしまいそうで、触れられない、その好きを。

 萌花との今が終わらないでほしい……求夢は正直、願ってしまう。

 エゴだと、甘い蜜だと知っていながら。




 あくる日、雨が降っていた。

 学校が終わったら家にやってくる萌花の姿が、今日に限っては見当たらない。

 部屋を歩いても、リビングを覗いても、聞こえるのは雨音だけで萌花の来る気配はなかった。


 鼓動は静かに、壊れるように音を立てていく。


(……萌花)


 気持ちを何度も薄めようとした、何度も無くそうとした。

 悪い形(ひきょう)だと気づいていながらも、求夢は萌花を探すため、傘を持たずに家を飛び出ていた。


 走れば口から漏れ出てしまう息。呼吸は分け与えてもらった時よりも痛く、吐き出しても胸が締め付けられる。


 萌花がお手伝いを急にやめてしまったのかもしれない。そんなことが脳裏をよぎったが、求夢は信じ切れなかった。


 これでおしまいにしたくないと、求夢自身が確かに思っているから。


 かしこで水の跳ねる音が聞こえ、踏む地は水しぶきが反響して音を立てている。

 町中を少し走った時、求夢は痛む胸を抑えて足を止めた。


(……やっと、見つけた。ここに居たんだ)


 視界が雨で濡れ続ける中、確かに萌花を見つけた。

 萌花は求夢の家から数分歩いたところにある、公園で佇んでいたのだ。

 傘を持っていない制服姿の萌花に、雨は容赦なく降り注いでいる。

 雨に濡れているが、その澄んだ黒い瞳は確かに水をこぼしていた。


 求夢は足を進めて、呼吸を止めてゆっくりと萌花に近づく。

 萌花が傷ついているのか、逃げたくなったのか、今の求夢に理解できるほどの体力は残っていなかった。

 前髪から垂れる水は受け止められない。

 歪んでいても、もう一度欠けてはならない形を萌花で埋められると、受け止められる気持ちは知っていた。


「萌花」

「……求夢くん、どうして、ここに?」

「どうしてだ?」


 萌花は見つけてもらえると思っていなかったようで、驚いた表情をしていた。

 驚いたところで、視界を遮る無数の白線が止まることは無い。

 仄暗いだけの求夢の視界に、萌花は何よりも輝いて見えていた。


 近づけば、腕は強張っている。

 萌花の雨に濡れた冷たい手が、腕をぎゅっと握ってきていたのだ。

 公園に人気は無く、萌花は本当に一人で錆びつきかけていたのだろう。


「ねえ……嘘でもいいから、好きって言ってほしい」

「……」

「私は私を傷つけてもいいから、好きって、求夢くんから言われたいの」


 歪んだ愛情は、本音をこぼしている。

 求夢は何度も何度も、萌花から好きを表現されていた。それでも、求夢自身の口から好きを出したことはない。


 雨音は強く反響し始めた。

 視界が陰るように、汚れていく。

 焦点はあっていても、見える萌花が歪みだしているように、会いたいと思って走った想いが信じさせなかった。


 死にたい鼓動が、求夢を殺し始める。

 好きと言わなかったのは、変わってしまうのが怖かったのだ。

 離されてしまう、離さないでいられる、白と黒の残響が求夢を別の意味で蝕んでいたのだから。


 きっと答えは出ていた。だからこそ、求夢は今を壊すように、握られたままの腕に力を入れるのだ。


「――大好き」

「……えっ……」

「大好きだよ。……ずっと一緒にいたい。手を見れば、すぐにわかるよ」


 求夢自身、この手が汚れているのは知っている。

 この手の汚れが、萌花を好きになって汚れたことだと、誰よりも理解していた。

 分からなくなっていた、知らない感情に浸りたかった、そんな騙していた自分とバイバイするように。


 何度も求められたのなら、そこからもう一度始めるのだ。


 痛くて閉じていたわがままは、きっとエゴのままにある。


 萌花に握られていた腕は更に、ぎゅっと強く握られていた。

 痛くない、もう離れないと言わんばかりに、嫉妬の無い、ただ穢れた騙し合いに終止符を打つようだ。


「冷めています。温めてほしい」

「温めても終わらないよ」


 萌花のほっそりとした体に、求夢は自然と腕を回していた。

 ぎゅっと寄せるように抱きしめて、自分だけのものにしたいと間接的に想いを伝えている。

 温めるのは体ではなく、ポツリと空いてしまった想いだ。

 雨に濡れて冷えた体は、自分で埋める(温める)ためにあったのだと、今なら理解出来る。


 雨に濡れても流れ落ちない、彼女の甘い香りが求夢は好きだった。

 萌花は萌花だけだから、求夢はずっと二人で居たいと何度も願ってしまうのだ。


「気づいたよ」

「エゴですか」

「……萌花の愛情を受けて、避けたい気持ちが、いつの間にか()けて、()れてしまっていたんだって」


 歪んだとは言えなかった。

 その萌花から貰った愛情が、何度でも変わっていなかったから。


「信じてくれて、ありがとう、求夢くん」

「感謝をするなら、自分のものになって」


 強引なのは百も承知の上で、求夢は言葉をあげていた。

 言葉は餌付けではなく、萌花だけに渡す求夢なりの愛情だ。

 愛が足りないなら相手から奪えばいい、増やせばいい……求夢は誰のものになりたかったのかもしれない。


 気づけば、痛いくらい抱きしめていた。

 萌花が痛くないようにぎゅっとする腕は、萌花の体温を分け与えてもらっている。

 雨の音に紛れて、唇は重なって、酸素を分かち合う。


 キスは痛い筈なのに、その痛みがまた心地よさを感じさせる。

 冷めてしまった息が、今では温かいのだ。


「萌花……萌花は萌花らしく、生きてくれてれば、それ以上を望まないから」

「初めて、好きな人ができました」


 きっとその笑みは、誰かのものではない、求夢にくれる笑みなのだろう。

 思うように愛することが出来なかったとしても、その愛が痛いほど、幸せを吸えると知っているから。


 求夢は萌花の濡れた制服の上に、自分が着てきたパーカーを被せた。


「一緒に帰ろう。ずっと、愛が破れても、大好きだから」


 こんな言葉を惜しみなく言うのは、きっと萌花に毒されたのだろう。


「……ズルくてごめんね」


 萌花の手を引いて帰路を辿ろうとした時、萌花が呟くように口にした。


「こんなズルい手は今後は使わない。でも、愛することはやめないよ」


 全ては萌花が愛を知るために、試しに来ていたようだ。

 雨が降っている中、傷つける妄想に想いを寄せる萌花には困ったものだろう。

 消えない程の痛みを求夢が負いかけたというのに、笑みを浮かべる萌花はじっとしてくれなかった。


 求夢自身、終わったことに多く言う事はない。


「――謝らないで……嫌っても、好きでいてくれればいいから」


 最初から歪んだ愛情に、生きたくても死にたくても、時間制限は救えないほどになかったのだから。

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