第89話 おやすみ、アリア
夕方、帰還した彼らは真っ先にグラディスにパトラクトラの件と、ロイの事を話した。
フィスファーナを部屋に下がらせ、グラディスとヴェイル、リューク、アウドラの4人で王墓に向かう。
そこに静かに安置されている祖父、祖母、伯母、そしてロイの墓を開けに行ったのだ。
棺の蓋をわずかに開けると、6年の月日を閉じ込めていた冷気が、頬を撫でて過ぎた。
中には深紅の衣に包まれた骨が静かに横たわり、まだ王家の威を守っているかのようだった。
母の変わり果てた姿を確かめたアウドラが涙を流す。
しかし……やはりロイの棺の中だけは空だった。
代わりにそこにあったのは、数枚の枯れた薔薇の花びらと、核が無くなった何かの魔石だったのだ。
王墓を日常的に管理する『陵墓守部』の1人が謝罪をした。
「我ら陵墓守部は交代で巡回しておりますが、侵入の痕跡は封印の魔法ごと消し去られていました。これほどの者が相手とは……誠に申し訳ございません」
「……仕方あるまい」
グラディスが返す。
見つかった魔石には小さな文字が刻まれているのが読み取れた。
「古代エルフ語ではないな。ラキシャ語?」
ヴェイルは呟き、その花びらと魔石を手にした。
そして——かつてルガリエルの王、シュダークを欺く為に行った自分の国葬時に安置したヴェイルの棺に、開けられた跡があった。
中には空であった事に立腹したのか、底に何かを書いた小さな羊皮紙を貫いた短剣が突き刺さっていた。
「シュダークも言っていたが、俺を殺せと言った奴が、俺が死んだと思って死体を持ち去ろうとしたのか……」
ヴェイルの背筋にゾクリと悪寒が走った。
持ち帰った魔石と羊皮紙と短剣を、タイカーシアの最高位魔術院に回し、解析してもらう。
『花びらは一般的にあるただの薔薇でした。魔石の方は、恐らく古代遺跡から持ち出された物と思われます。短剣は製作場所が分からない程のかなりの年代物でした。
文字の方はラキシャ語ではある様ですが、私共には資料がなく、解読出来ませんでした』
魔術院からこのような回答が届いた。
「最終的に古代遺跡に繋がって行くな……しかし文字が読める者がいないと意味がない」
報告書を見て、ヴェイルは呟いた。
母から貰った資料だけでは、書いてある文字は解らなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後の夜の事……
ヴェイルの部屋に、誰かがノックする音が響いた。
見ると、アリアの肩を抱えた彼女の侍女がそこにいた。
「魔王陛下、アリア様が……」
侍女の見上げた瞳から、涙が溢れている。
あの日、タイカーシアから戻って以降、アリアは急速にフィスファーナに入れ替わる時間が増えて行った。
『時空の魔女』である彼女の魂が、アリアの魂を自然と押し退ける形になってしまっていたのだ。
「アリア……君はアリアなのか?」
ヴェイルの声に、時々意識が飛びそうになっている彼女が頷く。
「ああ……どうして……ほら、おいで」
もう只事ではなくなった事を悟った彼は、侍女からアリアを受け取り、抱き上げて部屋に入った。
そのまま静かにソファーに座る。
腕の中のアリアが薄目を開け、小さな声で言った。
「ヴェイル……ごめんね。私、もう、私ではいられないの……」
「……嫌だ……行かないでくれ……」
「私の中の……心が、まるでパズルが一片ずつ欠け落ちていく様に無くなって行ったわ……毎日、毎日……今は最後の一片みたい。
それももうすぐ欠け落ちるの……」
「そんな……」
どうしたら良いか分からなくなったヴェイルが、腕の中で見上げるアリアの頬を撫でる。
「私は……私の中に深く沈んでしまうけれど……あなたが助けてくれるよね、きっと……」
気を失うまいと懸命に、途切れ途切れに話す。
「俺が……でも、どうすればいいんだ」
「分からないけど、いつも助けてくれたから……小さい時、兄様って呼んでた頃から、いつも……いつも……」
ふと碧い瞳に、涙が浮かぶ。
「……ヴェイル……私、怖い……」
彼女の瞬きに合わせて、雫が頬を伝った。
ヴェイルは胸が張り裂けそうになった。
怖がるアリアが不憫だった。
けれども自分に今出来ることはない。
彼は全身全霊を込めて優しく抱き締めた。
そして暫くの後身体を戻し、誓いを込めて言った。
「分かった。必ず助けるから……待ってて」
「……うん」
彼女の瞼に、慰めるように、約束の証のように……ふわりと唇を当てる。
「ヴェイル……」
「ん……」
唇でそのまま鼻筋を優しく……何度か確かめるように撫でて行く。
「愛してるわ……」
最後に精一杯、声を絞り出す様にしてアリアが言った。
「俺も愛してるよ……」
ヴェイルも返す。
2人の唇が——そっと重なった。
——彼は顔を上げた。
もう意識を失くしてしまった彼女の、閉じられた瞳から涙が最後に頬を伝い、襟を濡らした。
その顔を見つめるヴェイルの瞳からも涙が溢れて来た。
それは瞳に留まる量を超え、アリアの頬に瞬きの度に光を散らして落ちて行く……
「……おやすみ……」
届かぬ言葉を呟き、堪らずもう一度抱き締め、首元に顔を埋めてしまう。
「アリ……ア……」
声にならない声を上げ、彼は肩を震わせ泣いた……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フィスファーナは、暗いヴェイルの部屋のソファーで目を覚ました。
身体には毛布が掛けてある。
辺りを見回すと、腰窓に彼が座っているのが見えた。
膝を抱え、じっとしている。
「ヴェイル……」
フィスファーナが声を掛けた。
「君は……フィスファーナなんだね」
ヴェイルはそのまま動かずに言った。
「ええ……そうよ……」
彼女が申し訳なさそうに答える。
それまでよりも意識が清明で、身体との違和感はもうなかった。
これは……アリアを完全に押し除けてしまったのだと彼女は悟り、ハッとしてもう一度彼を見た。
ヴェイルは既にその事を知っている様子で、蹲ったまま黙っている。
しかし暫くして静かに言った。
「——君が辛い思いをしている事を俺は知っている。好きでこんな状況になった訳ではない事も理解している。
……だけど、俺は君に……一度だけ酷い事を言う……」
夜の静寂に、水面を揺らす様な彼の言葉が響く。
「アリアを……返してくれ……」
そして瞳に一度光を反射させると、膝に回した腕の中に顔を沈めた。
——フィスファーナの視界が、涙でぼやけて行った……




