第83話 魔王陛下のお部屋訪問
明日のパトラクトラの捜索に向け、その日の業務を早めに終えたヴェイルは、自室の浴室で広々とした浴槽に浸かっていた。
湯の表面が、もたれて座る彼の呼吸に合わせて微かに揺れる。
唯一身に付けている長めのピアスから、滴る雫が傾げた白く長い首筋に落ち、筋を残して胸元へと伝う。
梟が気に入ってつついていた仕草を思い出し、湯から引き上げた細い指でピアスを摘むと、ほのかに笑った。
湯気を纏う長い睫毛が、伏せ気味の瞳を僅かに陰らせる。
やがて少し動いて中程に行くと、湯の中で一度深く息を吐き、身体を首元まで沈めて呟いた。
「伝書梟が居場所が分からないとなると……タイカーシアでもましてやナザガランでもない。母上は鬼族の地の何処かから戻れなくなっているということか……」
勿論その問いに応えてくれる者はいない。
常に湧き出す掛け流しの湯が、穏やかな湯音を立てているだけであった……
暫くして浴槽から上がると、顔を覆うように両手を添え、肩にかからない程度の長さの髪をかき上げて雫を落とした。
形の美しい指が揃った裸足の爪先が、ゆっくりと歩いて床に小さな湯の跡を付ける。
脱衣室に入り、畳んで置いてあったバスローブを羽織る。
髪を乾かすと、背から滑らせるようにそれを脱ぎ、白く艶めく肌に気に入りの衣を纏った。
その後、彼は自室の一角にある書斎へと入って行った。
母からもらった資料を開いてみる。
鬼族の地に入るならば彼らの言葉、ラキシャ語が必要になるかも知れないと思ったからだ。
「失礼します。陛下、まだお勉強をなさるのですか……」
ヴェイルの執事の1人、グラバラドが声を掛けた。
「ああ……少し気になる事があって」
「明日は遠出になられるのでしょう?お身体をお厭いくださいませ。浴室のお掃除、済ませておきますね」
「ありがとう」
執事は先程彼が使用した浴室を丁寧に掃除し、必要な物がないか確かめてから出て行った。
それから半刻ほど後の事だった。
ヴェイルの部屋の扉をノックする者がいたのだ。
「今頃誰だろう……」
静かに勉強していた彼が不審がる。
「はい」
それでも返事をし、扉を開けてみると、そこにはリュークとアウドラ、アリアがいた。
「こんばんはヴェイル。私達、遊びに来ちゃいました!」
アウドラが元気よく言う。
「え?遊びに?」
突然の事に彼が驚く。
アリアが少し赤くなって下を向いている。
「姉上がさ、パトラクトラ様の件でヴェイルが辛くて寂しそうだから、皆んなで励ましついでに遊びに行こうって……オレは止めたんだがな」
リュークが目を逸らせて言う。
「そうよ!天下の魔王陛下のお部屋で、なんなら夜通し遊ぶわよ」
「待って、なんで俺の部屋で?」
ヴェイルが慌てる。
「なんでって……どさくさに紛れてお部屋探索したいからに決まってるじゃない。どんな素敵なお部屋なんだろうって。
アリアですらあんまり詳しく知らないって言うし。アリアもよく見たいよね、ヴェイルのお部屋」
「え。あの、私はヴェイルに会えたらそれだけで……いえ、ええ、そうですね」
アリアが照れながら途切れ途切れに言う。
「リューク……」
彼が困った様にリュークを見た。
「正直、オレもちょっと面白そうかなって……」
リュークが肩を窄めて言った。
「別に特に面白い物なんて何もないけど……まあいいか。さ、どうぞ」
ヴェイルが扉を大きく開けて3人を招き入れた。
「ありがとう。お邪魔しまーす。わ、凄い調度品。広っ」
アウドラが入ってすぐに歓声を上げる。
「お。オレの部屋にはない陶磁器陳列棚……年代物のティーセットがある。あ、祖父上様がご愛用だったブレイドだ。ここに飾ってあったのか……」
リュークも入って来て言う。
ヴェイルが執事数人を呼んで軽食とスイーツ、ティーセットを用意するように頼んだ。
「夜だから皆んなハーブティーでいいかな?」
「いいわよ」
アウドラがご機嫌で言う。
執事達に指示を出して引かせると、彼はアリアを見て言った。
「アリア、確かめる様な事言ってごめんね。今日は……アリア本人かな?」
「うん」
彼女がニッコリした。
「私はアリアよ。大丈夫」
「アリア!来て来て!すっごい素敵なソファーがあるよ。流石魔王陛下のお部屋ね」
アウドラが声を掛けた。
「……実はオレの部屋も仕様は同じなんだ」
リュークが座りながら言う。
「えっ?そうなの?あんた達どれだけ優遇されてるの……」
「そりゃあオレだって一応、ヴェイルに子供が出来ない間は王位継承権第一位だからな……」
「子供……」
何気ない彼の言葉に、ヴェイルとアリアが頬を染めた。




