第53話 夜空を駆ける翼
恒星が沈んで辺りが暗くなった頃。
ダークエルフの国タイカーシアと、別の文化圏の者がいると言われる国境付近を何かが飛んでいた。
よく見るとそれは人間の少年だった。
その背中には闇の中に溶け込む様な黒く輝く大きな翼を持ち、羽ばたかせている。
腕にはたくさんの色とりどりの薔薇を摘んだ籠の持ち手を掛けていた。
その薔薇達が疾走の風で飛んでしまわない様に端をピンで押さえた布を被せ、気を付けて運んで行く。
少年はタイカーシアの国境をかなり越えた海上の浮島に造り込んである、立派な浮遊城に辿り着き中に入った。
「ただいま。薔薇を沢山摘んできたよ、リヒト」
「お帰り、ロイ。いつも済まない。この城でも咲かせてはいるのだが……やはり一年中咲く種類を揃えるとなかなか数が足せないからな」
「いいの。僕、空を飛ぶのが好きだし、リヒトのお手伝いもしたいし」
「ありがとう。お前は良い子だな」
少年をロイと呼んだその人物は、労う様に迎え出て来ると薔薇の花籠を受け取り、彼の頭を撫でた。
かつてタイカーシアのアガン王朝に仕えていた宮廷魔術師、不死のリヒトである。
数百年の時を生きて来たとは思えない程の見た目は、20代の青年の様な妖しい美しさを保っている……
11歳程の少年、ロイは嬉しそうに微笑むと頭を傾げ、そのままリヒトに着いて行く。
城のロビーを越え、長い廊下を抜けると、広い空間があった。
全体に大理石が使われており、神殿の様な柱が立ち並ぶ荘厳な造りの大広間だ。
その一角に蓋がガラスになった大きな箱が置いてある。
人が数人は入れる程の大きさの棺の様だ。
二人はその箱に近付く。
中には大量の薔薇の花に囲まれた美しい女性が横たわっていた。
魔法で重いガラスの蓋を開けて、ロイが摘んできた薔薇も足す。
丁寧に分散させ、中に所々見える枯れてしまった花を取り出し、籠に入れた。
「綺麗だね。お花もこの女の人も」
ロイが言う。
リヒトがその棺全体に向かって術を掛けた。
「この人は……リヒトの大切な人、フィスファーナ」
「そうだよ。『時空の魔女』フィスファーナだ。妹を救おうとして術を使い、倒れてしまった」
「いつも薔薇を入れてあげているね。お供えなの?」
「それが、どうも亡くなった訳ではなさそうなんだよ。本人の術の反動で魂が抜けてしまったみたいなんだ……息もせず生命活動もしていないのに身体は傷みもしない。まるで時を止めたかの様になってしまっているのだ。
だから私の術で薔薇の生気を力に変え、身体をそのまま保存している。
……もう320年程になるかな」
彼はそう言うと、静かにまた蓋を戻した。
ロイの顔を見て傷に気付く。
「ロイ、薔薇の棘が掠ったのか? 顔に傷が……」
「え?」
リヒトは彼の頬に手を触れ、小さな傷を治してやる。
「ありがとう、リヒト。でも僕、痛くないんだ。もう死んでいるからかな」
「でもお前の身体がこれ以上傷付くのは見たくないんだよ」
ロイ——彼は『ロイ=ノワール』。
6年前、当時の魔王、グラディス=ヴォルクリアへの反対勢力が脅迫の為にヴェイルとリュークと共に攫い、殺害してしまったリュークの弟だ。
その身体の服に覆われていない部分にチラリと覗く、長刀で斬られて塞がり切らない傷の間がキラキラ光る。
「フィスファーナは生き返ると良いねぇ」
「ロイは優しいな」
「でも、ユガドの樹、なくなっちゃったね」
「ああ……折角ルガリエルの王まで使って力を集めていたのに。あの樹の核と、魔族の強い力を持った者の遺体があればフィスファーナの魂を呼び寄せ、蘇生する事が可能だと……遺跡の死者蘇生の間で知ったから密かに計画を進めていたんだ」
「計画?」
「そうだよ。当時1番強かったグラディス=ヴォルクリアの身体を狙っていたのだが、ユガドの樹の方がなかなか育たなくて……その内更に強力な力を持った子供が生まれたから、その子が育つのを待ち、ちょうどユガドの樹も育ち切ったこの機会に手に入れようとしたのだよ、魔王ヴェイル=ヴォルクリアの遺体を」
「ヴェイル=ヴォルクリア……?……ヴェイル……聞いた事あるかも。でも、誰……?」
「可哀想に。記憶が曖昧なのだね。無理に思い出さなくても良いのだよ、特に彼の事は。
——だが、魔王は死んではいなかった。
国葬があったと聞いて密かに歴代の王墓を探ったが、棺は空だったのだ。
ルガリエルの王シュダークも彼が利用したウーヴルの生き残りのツガンニアも、どちらも暗殺に失敗し、詳細は分からないが魔王ヴェイル本人や手のものによって消されている」
リヒトは残念そうに続ける。
「私が直接魔王ヴェイル=ヴォルクリアを殺害しに行ければ良かったのだが、私がここから遠くまで離れてしまうとフィスファーナの花と、ロイ……お前の身体の維持が出来なくなってしまう。
お前もよく羽ばたく様になったけれど、この城からあまり離れて飛んではいけないからね」
「何処までなら行っていいの?」
「私の力が及ぶのはこの鬼族の地と、タイカーシア、国の端にあったルガリエルの王宮付近までと、古代遺跡。それに、国境近くの丘陵地帯に作られているナザガラン王墓までだな……」
ロイが儚げに微笑む。
「分かった。飛ぶ時はそこまでの場所にしておく様に気を付けるよ」
そして続ける。
「……でも、ユガドの樹はどうしてなくなったんだろうね」
「誰かが重力魔法で押し潰したんだ。噂では銀の鎧を着た戦乙女の女の子だったらしい。最後はもう一人も来て、手伝って霧に変えてしまったとか……
本当に残念だ。30年も育てた樹だったのに」
「それなら僕を使えばいいよ。そのつもりで側に置いてるんでしょ?」
「……ロイ。しかしお前の翼をもいでしまったなら……その身体は朽ちて行く遺体に戻ってしまうんだよ」
彼は広間の棺とは反対の場所に置いてある巨大な岩を見つめた。
その岩には2対の翼の形が彫り込まれており、下部にエルフの国では見た事もない様な詠唱文字が刻まれている。
「もう1つの死者蘇生の方法……ダークエルフを蘇らせるには『祖の子孫の強き血筋の者2名の身体に核を埋め、翼を生やし、それらを媒体にせよ』……か……」
リヒトは物憂げな表情で考え事をしながら、フィスファーナの近くに置いてあるソファーに座った。
彼の膝の上に甘える様に、巨大な翼を丁寧に畳み込んだロイが座ってそっと抱き付き、幸せそうに顔を胸元に擦り寄せる。
「……ロイ。元からユガドの樹計画が失敗した時の為の『保険』として墓からお前を攫っておいたのは確かだ。
お前の魂はまだ近くにいたから私の蘇生術で生きている様に出来たし、翼も植え付けることが出来た」
リヒトは彼に応える様に優しく抱き締め、冷たい身体と翼を撫でる。
「……でも、もうお前の事は愛しくてたまらない。たとえこの身体が、この世にあってはならないものだとしても……私は、手放せないのだよ」
彼はそう言うと、ロイを抱き締めたまま苦しげに瞼を閉じた。




