第122話 最後の夜
次の日の朝1番に浮遊城に響いたのは、黒竜ラタウスの驚きの声だった。
[何、『ファルラーンの森』に行く、だと?]
咆哮とも取れるその声に、城の近くの小さな丘に生えた木で休んでいた小鳥達が、驚いて一斉に飛び立った。
ラタウスは今日、リヒトとロイとパトラクトラを乗せて行く行き先を、たった今聞いたのだった。
[リヒトの愚か者!何故昨日の内に言わぬ!?]
「どうした。何か都合が悪いのか?」
[悪いも何も、そんな神聖な場所に行くのだぞ?我は身体を清めなければならないのだ]
「そんな大事なのか?」
[大事だ!時間がない。今すぐ我をタイカーシアの山中湖まで転移させてくれ。
湖に身体を沈め、清めて乾かして美しくしてくる。
1フォラ後(1時間後)に呼び戻してくれればいい]
「それは……構わないが……」
[頼む!じゃないと乗せて行かん!]
「……もはや脅迫だ。分かったから急かすな」
リヒトはそう言うと、彼の前に魔法陣を出現させる。
ラタウスが慌てて陣に飛び込むようにして入り、消えた。
「ラタウスはどうしたのだ?」
騒ぎを聞き付けてパトラクトラが来た。
「さあ……なんでも身を清めなければならないとかで焦って山中湖に行きました」
シュンと魔法陣を閉じたリヒトが振り返って言う。
「ああ……洒落込みに行ったのだな」
「洒落込み……ですか。何故です?」
「行けば分かる。まあ、私も実際に行った事はないのだがな。
ロイも弱っている。鞍は使えまい。今の内に竜籠座を作ってやろうではないか。
ラタウスの背に乗せ3人で座って行こう」
「そうですね。急拵えでも頑丈なものを作らないといけませんね」
リヒトはそう答えると、早速籠の材料を見に行った。
ロイも珍しそうに在庫室に着いて来る。
「黄麒竜の骨で骨組みを作り、腱で縛って更に魔法で強化しましょう。
側面に轟熊の皮を張りましょうか。
前方に強度を増す為と、風を逃す為に金剛竜の硬めの鱗も張りますね」
言いながら傀儡人形達とテキパキと作り上げて行く。
「……今更ながら、お前の生活力の高さに感服するよ。なんでも作れるんだな」
パトラクトラが感心して言う。
「まあ、私は古くから生きていますからねぇ……」
手を動かしながらリヒトが呟く。
その横で、翼が半分以上白くなったロイが、目を輝かせて作業に見入っていた。
約束通りに1フォラ程で回収されたラタウスに、出来上がった竜籠座を設置する。
彼の身体はきちんと洗われて乾燥し、いつもの羽毛も艶めいて美しく向きが揃っていた。
「随分と美麗になったな。いい香りもする」
パトラクトラが微笑んで言った。
[そりゃそうだ。本当に久しぶりに訪れる地なのだ。……なんだ、今日は鞍ではないのか?]
不思議そうに彼が聞いた。
「リヒトが籠を作ったんだよ。中にふわふわの夢舞鳥の羽毛を入れたクッションを敷くんだ。きっと気持ちがいいだろうね」
ロイがワクワクしながら答えた。
[では少し緩やかに飛んでやる事にしよう。一応座席にベルトも付いておろうな?]
「うん、付いているよ。ありがとう」
3人は早速ラタウスに乗り込み、鬼族の北の地に当たるファルラーンの森を目指す。
そこはこの星の高位の種族『精霊族』が住む地域である。
鬼族との境界地点までは知っているリヒトが、一旦そこまで転移魔法陣でラタウスごと転移し、そこから森まで飛ぶ事になった。
ロイが喜んで
「家族旅行みたいだね。父様も母様も公務で忙しくて、僕は旅行にあんまり行った事はなかったんだ」
と言った。
「そうだな。家族旅行だ」
パトラクトラもにこやかに答えた。
隣に座るリヒトは、何も言わずに微笑んで彼の頭を撫でた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、ロイとリヒトは、浮遊城の屋根に並んで腰掛けていた。
夜空には満天の星と、双月ミタリアが見えていた。
明るい月光の元、リヒトの膝の上に開いた本のあるページを指差しロイが言う。
「これこれ、この蛹だよ。名前を聞こうと思っていたんだ。なんて書いてあるの?」
「これは……翠緑蝶だな。希良柑という柑橘類の葉を食べて、成虫は綺麗な緑色の蝶になるんだ」
本を受け取りもう一度眺めてみる。
「へえ……『翠の中の緑の蝶』、どこまでも緑の蝶って意味かな」
「そうなんだろうな。葉の色に紛れて外敵に見つかりにくいんだろう。
鬼族の地の北から精霊族の地の方まで生息しているそうだ」
「ああ、だから文字の読み方が難しかったんだね。今日行った場所にも、もしかしたらいたかも知れないね」
「そうだな」
ロイは本を閉じてそっと傍らに置き、続けて言った。
「ファルラーンの森は素敵な所だったね。精霊や妖精が沢山いて……まさか、精霊竜の卵の護りをラタウスの伴の黒竜が務めていたとは思わなかったけれど」
そう言って彼はクスッと笑った。
もう8割がた白くなっている翼がサワサワと音を立てる。
「今朝、やけに慌てていると思っていたが、彼は妻に会うから粧し込んだのだな。黒竜の中で30年交代で卵の護りをしていたとは。
彼らも精霊族に近い存在なのかも知れないな」
リヒトも穏やかに話す。
2人は昼間に3人で行った先の森での、ラタウスと妻との再会時の様子を思い出していた。
彼の妻は子供達を夫に任せ、ファルラーンの森での精霊竜の卵の護りを務めるという大役を果たしている最中だったのだ。
「黒竜にも王機竜っていう役目以外にお仕事があったんだね。
……高位竜って凄いんだね」
「その護りをしてくれている卵、精霊竜に、お前を生まれ変わらせる為に見せに行ったのだ。よく覚えておくのだよ」
「うん……僕は竜に生まれ変わるんだね……なんだか信じられないな」
ロイが彼にもたれる。
「もう……辛いのか?」
「少し……」
リヒトが肩を抱いてやる。
ロイの身体の限界が近付いているのが分かった。
「ねえ、リヒトは僕を生まれ変わらせる為に……死んじゃうの?」
「……どうかな」
「死なないで。リヒトが死んじゃうのなら、僕は生まれ変われなくてもいいよ。
フィスファーナが泣くよ?」
「ロイは優しいなあ……だけど、私はもう十分生きたのだよ。お前こそ生きるべきなんだ」
「でも……」
彼が笑って言った。
「少なくとも、私は神の罰を受けねばならないから、いずれ遺跡の番人にはなるんだよ。
これはもう、ロイの身体に翼を生やした時から決まっている。
いつになるかは分からないけれど……私がこの世界での生を終えたなら、死者の世界ではなくそこに行くんだ」
「ずっと番人をするの?永遠に?」
「多分……」
「それなら、僕が生まれ変わったなら、いつかそこに行けば会えるんだね」
「会いに来てくれるのか?」
「うん。絶対に覚えておくよ。だから、さようならは言わないね」
「え」
「また会おうね、リヒト」
「……ああ。また会おう」
月光の元で、2人は顔を見合わせて微笑んでいる。
浮遊城の中庭では、見えはしないがパトラクトラがラタウスと共に屋根を見上げていた。
「ロイとの最後の夜か。寂しいものだな……」
そう言って俯く彼女の背に、彼は大きな頭のフワフワの毛が生えている額でそっと触れた。




