第102話 翼ある者
身体と翼の清浄を終えたヴェイルが脱衣所に行こうとした時、グラディスが聞いた。
「その身体ではバスローブは使えまい。特に背中や翼は無理だろう。拭いてやろうか?」
しかし彼は余裕の表情で言う。
「父上。見ててくださいよ」
そして両の掌を自分の胸元に翳して言った。
「霧散」
ヴェイルの身体を覆うように薄い水色の波が全身を通って行く。
目を瞑った顔や髪の毛先も撫でるように伝わり、翼の先まで通り切った後には、付着していた水滴が全て霧に代わって空間に散っていた。
「ほお……霧散はそういう使い方もできるのか。流石『水・氷特性』持ちだな」
グラディスが感心して言った。
「普段は身体が冷えるのであまりやりませんけど。便利でしょう」
「うむ、率直に言って羨ましい」
——ニコニコしながらやって見せるとは。
考えてみたらまだ18歳……めちゃくちゃ可愛いな。
彼の自尊心を傷付けない為にも決して本人には言えない事を考えながら、父は続ける。
「だが、次の問題は上の服だな。今は手元にある衣服に切り込みを入れさせたが。服飾技術士のアルタを呼んであるから診察の後で相談しろ」
「……アルタですか……もう彼の実験台ですね、俺……」
ヴェイルはドレス展示会に出る羽目になった時の事を思い出した。
今のこの異様な状態の自分に着用させる服を製作する事になったなら、変な状況に興奮し易い彼がどんな反応を示すのかと思うと恐ろしかった。
取り敢えず今は、翼の位置に切れ込みを入れたトップスを上から羽織り、首元で止め腰の部分に太めのベルトを巻いて固定する。
少し隙間が空いてしまうが仕方がない。
「いつもの魔王服は着られないのか」
ヴェイルは残念そうに呟いて、寮の浴場を後にした。
医局に向かう途中で、同じく身体と翼の清浄を終えたリュークに出会った。
彼もヴェイルと同じ様に工夫して衣服を着用している。
「リューク。大丈夫だったか?」
ヴェイルが聞く。
「大丈夫は大丈夫だけど、ヴェイル……見てくれよ……」
「何?」
リュークが不満そうに言って手を広げる。
すると翼も同じように広がる。
「オレの翼、なんかさ……気を抜くと腕と動きが連動しちゃうんだよね。なんでだろ」
そう言って顎に手を当て不思議そうな顔をする。
翼も同じ位置に来てしまい、顎に大きな風切り羽根が当たって思わず「ぶっ」と言ってしまう。
「うーん……困るんだよな、これ……あれ?ヴェイル?」
リュークは突然目の前から消えたヴェイルを探す。
彼は少し離れた壁に向こうを向いて手を付いて立ち、必死で笑いを堪えていた。
肩が震えて大きな翼が擦れ、ワサワサと音を立てる。
「明日……から、羽ばたき訓練1日1万回だって。……父上が言ってた」
ヴェイルの声が震えている。
「ええ……?本気でやるの?キツイなそれ……」
リュークが腰に手と翼を当てた。
医局に着くとまず魔力回路を診てもらう。
2人の右鎖骨の下付近にある魔力回路が、魔鏡転写で表示用貴石の画面に映し出された。
医師が説明する。
「突き刺さった場所のお傷は治ってらっしゃいますが……魔石の核の表面にほんの小さな藍玉の結晶が嵌め込まれていて、それも取れません。
本当に申し上げにくいのですが、神の魔石の核とは別に術を仕掛けた者の『生贄』としての証かと思われます。恐らく何らかの機能付きではないでしょうか」
「うわあ……」
「なんてことだ」
2人が眉を顰める。
「魔石の核自体は、お2人の魔力回路の向かって左上角にキッチリ埋まっています。そこから触手のような物が生えて1本1本の回路に繋がっています……これは確かに取り出すことは無理ですね。どうやったらこんな事が出来るのでしょうか」
「『神の力』らしいからな。どっちにせよ、取り出したら死ぬらしい」
リュークが言った。
「……ツガンニアみたいに額に石を貼り付けるだけなら何とかなったかも知れないのに……」
ヴェイルがかつてのウーヴルの戦士を思い出して呟いた。
それから2人それぞれ用意してもらった広いアイランドソファーにうつ伏せになり、翼を詳細に診てもらう。
医師があれこれ触り、読み取り魔法で分析表示を投影し、それを見ながら話す。
2人はむず痒いのを何とか我慢しながら説明を聞く。
「これは……神が作った翼と仰ってましたが……夜闇鷹などの猛禽類の翼に似ています。いや、羽毛タイプの飛竜の翼にも似ていますね。黒竜辺りでしょうか。
材質は鳥類のケラチンに軽くて丈夫な炭素繊維が混ぜ込まれた様な不思議な物質です。恐らくほぼ全てのエレメントに耐性があります」
「そうなんだよ。腹が立つからオレの火焔で乾燥してみたんだが、乾いたけど一切燃えなかった。感覚的だが、多分ヴェイルの氷塵瀑でも粉砕出来ないと思う」
リュークが言う。
「俺もそんな気がした。この翼の強度はナザガランの科学や魔法を超えているのではないだろうか」
ヴェイルも言った。
「不思議な構造ですね。流石2対を使って命を蘇らせる程の代物という所でしょうか。
生え際は……人間の身体から出現しているので、根元の骨が強度を維持する為に二重になっていますね。
おや?これは……翼の根元から小さな魔法陣が現れましたが……接続要求が出ています。
……こんな事があり得るのでしょうか。ちゃんと古代エルフ語ですし」
医師に言われて、2人も画面を覗き込む。
自分達からは見えないが、確かに翼の根元に小さな魔法陣が出ていた。
「ええと、お2人共お立ちいただいて……ここでは天井が低いので、そうですね、医局の中庭に出てください」
3人で中庭に出るとまた医師が指示を出す。
「順に羽ばたいてみてください。ゆっくりで良いですから。まず陛下から」
ヴェイルが少し羽ばたいてみる。
すると、足元に魔法陣が現れた。
見た事もない形式で『接続申請——許可』と表示され、同時に身体がふわりと浮いた。
「ん?自動発動の魔法か?自分では掛けてはいないのだが……」
彼は何もしていないが、翼の動きに合わせて自分の特性である重力操作の力が、反重力状態を引き起こして地面から身体を浮かせている。
そのまま数回羽ばたくと、ぐんと高度を増して地上に舞い上がった。
翼が押し戻した風が、芝生に順に流れる様な跡を付けて消えた。
そのまま空中でクルリと向きを変えてみる。
落ちてしまう気配はない。
「……凄い、一旦飛ぶと羽ばたかなくても空中停止出来るんだ……」
ヴェイルが驚きの声を上げた。
3人の様子を見かけ、始めは魔王陛下と従兄弟殿下の変貌を心配そうに見ていた医師や看護師が数人、目を丸くして近づいて来た。
「魔王陛下が……漆黒の翼を得てますます『魔王様』仕様に……」
「なんて美しいのでしょう……」
口々に言って彼を眺める。
医師が感心しながら言った。
「どうやら神の翼の力が元々持っておられる特性魔法に働きかけて、補正を掛けるようです。次にリューク殿下、お願いします」
リュークが羽ばたいてみる。
思わず手を振り上げそうになるのを堪え、胸の前で腕を組んだ。
彼の身体もふわりと浮いて来た。
「おお?」
足元に電磁反発の魔法陣が現れている。
リュークが持っている雷特性の反応の力のようだ。
少し嬉しくなって、数回羽ばたき、ヴェイルの側に行く。
夕刻に近付いて涼しくなって来た空気を、巨大な翼が掻き混ぜ、周りの人間の髪を揺らす。
おお。と声がして、見ていた者達から拍手が上がった。
「普通、大型の鳥は助走を付けて翼に風を含ませないと飛び上がれないのですが、流石の力ですね……
これなら訓練次第でかなり高速で風に乗って飛べるようになられると思います」
見上げた医師が眩しそうに説明する。
——顔を見合わせた2人の表情が、少し明るくなった。




