20 記憶より大事なものを取り戻せたようです
「ジリリリリリリ」
「ジリリリリリリ」
耳をつくらぬくようなすごい音がする。頭の奥に響くような、不快な音。何だろう。ゆっくり目を開けると、私はベッドの上にいた。
「あれ…どうして?」
私は確か、舞踏会で倒れたはず。
公爵邸まで運ばれたか、
宮殿の一室にいるのだろうか。
そう思ってあたりを見回すと、
公爵邸の自室でもなく、
宮殿の一室とも思えない、
質素で無機質な小さな部屋。
見たことのないようなガラスの板や、
器具がところどころに置いてある。
何か製品を作る実験室だろうか。
それにしても本や服らしき布も用意されていて、誰かが生活していたという雰囲気がある。
とりあえず、あの不快な音を止めよう。音の正体を探すと、四角いガラスのような板が目に入った。そこから音が出ているようだ。私はその板を手に取り、おそるおそる、そっと触れてみると、音が止んだ。そして、そのガラス画面に浮かび出したのはたくさんの文字。
「印刷会社との納期、確認済み?」
「再度の修正、急ぎでお願いします。」
「この会議資料に目を通しておいて。」
「進行中の案件、全てステータス確認しておいて。」
「印刷所に確認したら、納品日は予定通りです。」
「次の企画案、確認します?一応資料添付します。」
「特集ページ、進行どうですか?」
「昨日のメール、チェックしました?」
「今日のミーティングは13時に変更になりました。」
その瞬間、記憶のすべてがよみがえった。
記憶の断片が波のように一気に押し寄せ、
そこでたどり着いた真実に私は愕然とした。
そう、私は一度、死んでいる。
私は普通のOLだった。新卒で入った出版社。
忙しくも、充実した日々だった。
でも、3年目に入った頃から、
私の世界は次第に暗く暗く沈んでいった。
上司が変わり、仕事が増え、メンタルも追い詰められ、心が折れそうなほど辛い日々が続いた。やってもやっても、仕事は減らない。
上司はGOサインを渋るので進まない企画。
睡眠時間も3時間を切る日々。
私の体と心は限界だった。
私は当時付き合ってる男性がいた。
レンとは内定式の前の顔合わせの時に出会い、入社した時から死ぬほんの直前まで
付き合っていた。
つらい時、彼だけが私の支えだった。
レンと結婚して、穏やかな生活を送りたい。
そう願っていた。
仕事が辛くなってから、時々レンに「仕事を辞めて、結婚したい。」ということをそれとなく伝えていたが、レンはは「まだ収入が…」とか「まだ年齢的に…」「準備がな…」と何度も言葉を濁して、その話は具体的に進まなかった。
死んだであろう日の夜、
私は残業帰り、コンビニでお酒を買って、
夜風にあたりながら歩いていた。
隣駅のほうが接続している沿線が多く、
自宅まで乗り換えなしで帰れるというのも
理由の一つだったが、
お酒かコーヒーを飲みながら歩くのがたまの息抜きにちょうどよかったのだ。
隣駅には、綺麗に整備のされた街並みで、
キラキラとシャンデリアの輝くレストランや、ちょっと薄暗いおしゃれなバー、
そしてエントラスの豪華な高級ホテルが立ち並び、おしゃれをしてキラキラした顔をした人々が行き交っていた。ちょうど初々しいかわらしいカップルがホテルに入っていく姿を眺めながら、あんなふうにその時々の人生を楽しく生きられていた時期もあったなと微笑みながら、懐かしい気持ちになっていた。
その時だった。
対向車線から見覚えのある顔が歩いてきた。
レンと社内で見かけたことのある新卒の女の子。まさか、そんなはずはない。
私は目を疑った。
しかし体は自然と動いていた。
私は気づかれないようにそっと2人に見つからないように建物の影にかくれた。
しばらくすると、2人は私の方に向かってきて、先ほどカップルが入っていたのと同じホテルの中へと消えていった。
信じられなかった。
心臓が締め付けられるようにいたい。
胸が苦しい。
呼吸がうまくできない。
頭が真っ白になった。
私は必死にカバンからスマフォをとりだした。
そしてレンに「いま、どこにいるの?」と
メッセージを送った。
すぐに「家だよ。」「会社だよ。」と返信してくれることを期待して。
何かの間違いだと思いたかった。1分が1時間のように感じた。10分、20分…。返事は来なかった。電話をかけてもつながらない。
しばらくしてようやく来た返事。
「どうした?今、電車だからは電話は無理なんだけど。」
嘘だ。レンは、「電話は無理」とわざわざいってきたことは三年以上付き合ったいままで一度もなかった。かけられる状態になってかけ直してくれる、律儀で優しい人のはずだった。
目の前で見たものや、起こっている事実が現実であるとは思えなかった。
夢であってくれ。
最後の望みをかけて、私は再びメッセージを送った。「今、○○ホテルの前にいる。」
彼が否定してくれることを、祈るように願った。
しかし、返ってきた言葉は、たった一言。
「ごめん。」
心が崩れ落ちた。
その瞬間、私はすべてを失ったような気がした。涙が止まらない。身体が震え、立っていられなくなった。何も考えられなかった。
私はそこで崩れ落ち、周りの人が悲鳴をあげてるのが聞こえた。意識が遠のく中、救急車のサイレンの音が聞こえた。
そこからの記憶はない。
彼の浮気現場を見たのがきっかけなのか、そもそもの過労によるものがきっかけなのかは死んでしまった今はもうわからない。しかし、私の人生は確かにそこで終わってしまったのだ。
そんな記憶が波のように頭を駆け巡たあと、
私は、持っていたスマホをもう一度みた。
そして違和感を感じた。
日付がおかしいのだ。
私が死んだ日は確か木曜日のはず。
しかしスマホの画面は金曜日になっていた。
日付を見ると、
確かに意識を失った次の日だった。
私は生き返ったのだろうか?
今までレナは全部夢?
そんなはずはない。
私はとりあえずスマホをスクロールした。
すると会社のメッセージアプリの通知が終わり
プライベートのメッセージアプリの
着信とメッセージの通知が大量に届いていた。
レンからの着信履歴が30件以上。
そしてメッセージも数えられないほどきていた。
「いまどこ?」
「返事してくれ。」
「家の前にいる、お願いでてくれ。」
「どこにいる?」
「いまどこ?」
「返事して。」
「留守電きいてくれた?」
「許してくれ。」
そんなメッセージが大量に届いていた。
自分の目が信じられなかった。
私は震える手で、レンからの留守電を再生した。
「今から会えない?今日の新人とは想像しているようなことはなにもないんだ。俺、都会出身じゃないから、全然おしゃれな場所とかわからなくて。弟が一度田舎の実家に夏休みにサークルのメンバーを大勢連れきたことがあったんだけど、その中にいた子ががたまたま社内にいたんだ。話しかけられたから、話の流れでプロポーズにいい人気の場所を知らないかって聞いたら、会社の帰りに何個か教えますよって言われて。これメッセージでいうと誤解されるし、信じてもらえないと、思って。本当なんだ。信じてくれ。」
「怒ってる?留守電聞いてくれた?」
「今から家に行く」
「開けてくれないか?」
手が勝手にうごき、次々と留守電が再生されていく。この後の留守電は今日の朝のようだった。
「今日会社でお前が会社の近くで倒れて搬送されてそのまま死んだって聞いた。うそだよな?この留守電きいたら、折り返してくれるよな?」
「お願いだ…折り返してくれ…」
「……」
最後レンの声は震えて、ほとんど言葉になっていなかった。
胸が鼓動がうるさく、張り裂けそうだった。
体が勝手に動き、気づけば外に出ていた。
やはり、誰にも私の姿は見えない。
生き返ってるわけではないようだ。
私の足はレンの元に向かっていた。
レンの家。勝手に入るが、レンはいない。
会社。レンの部署。レンはいない。
私は手がかりを探すためにメッセージを漁った。すると家族のメッセージに、私の葬儀が今日の昼から行われるというメッセージを見つけた。私はその住所に迷わず向かった。
葬儀場につき、レンを探す。
私は自分の名前を見つけ、駆け寄ると、
家族や友達が涙を流してくれている姿を見た。
そして泣き腫らした目で、必死に涙を堪えているレンを見つけた。
みんなが私の棺の前に集まって花や思い出の品を添えてくれている。
「これ、渡すの遅くなっちゃったけど…本当に…本当に…気づけなくてごめん。愛してるよ。」
棺の中で眠る私に向かって、彼は震える声でそう言い、何かを棺の中に入れようとしていた。
私はレンに駆け寄り抱きしめた。
もちろんレンは気づかない。
レンが手にしていていたのは、数年前に
「結婚するならこの指輪ちょうだい!」
と私が冗談のつもりで彼に頼んだものだった。
胸が再度潰れそうなほどに締め付けられた。
彼は私をこんなにも愛してくれていたんだ。
私のことを、本当に大切に思ってくれていたんだ。なぜ私は彼を信じられなかったんだ。
どうして。どうして。
そう思うと私は涙が止まらなかった。
心の奥底から、そして腹の底から、声を上げて泣き続けた。こんなにも愛してくれていたことに気づけなかった自分の鈍感さと愚かさ、そして彼を信じられなかった自分の浅はかさを悔いた。
私は葬儀場の中で誰にも聞こえない声で、
会場すべてに響き渡るほどの勢いで泣き続けた。
そして泣きながら、自分の意識が遠のいていくのを感じた。
次回は公爵令嬢のレナに戻ってきます!
前世の記憶を取り戻せたレナですが、令嬢のレナの記憶はどうなるのでしょうか╭( ・ㅂ・)و
この度も読んでくださった方、ありがとうございました⭐︎物語は佳境ですが、まだまだお話は続ける予定ですので、見守ってくだされば幸いです(^^)




