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dance with

作者: 水無飛沫
掲載日:2024/05/20


僕たちは(つが)いを探す渡り鳥のように、夜から夜へと駆けていく。





赤黒いワインの注がれたグラスを突き合わせると、カランと乾いた音が鳴る。


目の前の少女が嬉しそうな表情を隠そうともせずにグラスに口をつける。

少女の唇から移った濁りが、グラスを官能的に彩った。


つい先ほど知り合った少女だ。

どうしてふたり、こんなところで飲んでいるのかさえ思い出せない。



その日はどうにも飲みすぎてしまっていた。

泥酔の理由を今にして付けるなら、僕は彼女に参ってしまっていたんだ。


偶然出会って、偶然意気投合して、運命のように二人でグラスを傾けている。

二人の共通点なんて、酒ぐらいのものだった。


僕は少し格好つけたかったのだろう。


ちょっとお高いレストランに彼女を連れて入った。

乙女のシーツのように、目の痛くなるような白を基調とした店だった。

白い壁、皺のない白いテーブルクロス、やたらと座り心地のいい白い椅子。

壇上にある白いピアノでは、白いドレスを着た女性がショパンを弾いている。


そんな僕の向かいの席では少女が官能的に微笑んで、血のように赤いワインで唇を濡らしている。

そのシチュエーションがまるで映画のようで、僕はドギマギしながらも彼女から目を離せなかったんだ。


そうしてワインを飲んでいると膝に何かが当たる。

柔らかくて、少し冷たい感触……。彼女の爪先だ。

僕を揶揄おうと、靴を脱ぎ捨てた彼女の細くてしなやかな脚が、僕の脚をつついて遊んでいるのだ。

テーブルの下で行われる、ふたりだけの秘密の情事。

両手で彼女の足を包むと、僕も彼女の土踏まずをなぞり、踵を抓って、ふくらはぎを撫でた。

お互い、何事もないかのように表情を殺したまま、ワインを嗜む。


あぁ、今すぐテーブルの下で跪いて、彼女の脚に、太ももに、縋れたらいいのに。


「私、あなたのものにはならないわ」


つまらなそうに、それでいて追いすがって欲しそうな様子で彼女が言うものだから、つい頷いてしまった。

思考が上手く纏まらない。

今なら、どんな詐欺師の差し出す契約書にだってサインをしてしまいそうだ。

寂しそうな彼女の表情が、咎めるようなものに変わる。


「私、あなたのものにはならないわ」


再び彼女が同じ調子で言う。

まるでテストを間違えた生徒に、正解するまで問い続ける先生のようだ。

僕は愛を囀るように、縋るように、彼女の爪先をきゅっと掴んだ。


及第点、とでも言うように彼女が首を傾げる。

ワインの付着した彼女の唇を、蠱惑的な舌が這いまわる。

艶めかしい仕草に、ワインになれたらな、なんて非現実的なことを考える。

その舌に、その唇に、彼女に、僕は参ってしまっていたんだ。


給仕が僕たちそれぞれの前に皿を置いて下がる。

彼女の脚は既にあるべき場所へと戻っている。


「先生?」


少女が悪戯に誘うように問いかける。


「いただこうか」


バツの悪い感情を抱いて、僕はナイフで肉を切り分けて口に運ぶ。

前菜もスープもない簡素な食事だった。

赤いワインを飲み、滴る血のようなソースのかかった肉を食べ、僕たちはレストランを後にする。


前を歩く僕に、彼女が腕を絡める。


「あはは。楽しいわね、せんせい」


酒を飲んで上機嫌になった彼女が囀る。

絡みつかれた腕に感じる彼女の感触にドギマギしながらも、僕は冷静を装う。


「まだ帰りたくない」


寂しそうに彼女がそう言うものだから、「飲み直そうか」と僕の家に誘った。

それが当然のように思えた。


「随分積極的なのね」彼女の手が、僕の手をぎゅっと握った。

僕は心臓を高鳴らせつつも「君がそうさせたんだ」なんて、気障なセリフで返す。

……全部酔いのせいだ。


帰路の途中でコンビニで酒を買う。


僕の腕から離れた、彼女が、車止めの上で踊る。

離れてしまったのは残念だけど、はしゃぐ彼女が可愛くてならない。


――少女が踊る。


安アパートに着くと、二人で缶を打ち鳴らす。

二三口飲むと、どちらからともなく体を寄せ合った。

手が触れあって、唇が交じり合って、身体をまさぐり合う。


彼女の嬌声が響く。

彼女が僕を捕まえる。

せんせい、と熱い吐息が耳にかかるものだから、ゾクゾクしたものを感じて僕は彼女にしがみつく。


「どこにも行かないで」


子どもが母親にそうするように、彼女の胸に顔を押し付ける。

しなやかな体が、吸い付くような肌が、柔らかい胸が、僕をどこまでも切なくさせる。



踊る。踊る。

夜の闇に、ふたりは踊る。

月に酔って、酒に浮かされて、服を脱ぐことも忘れて抱き合って、夜通し愛し合う。


「あなたのものに、なれたらいいな……」


寂しそうな彼女のつぶやきが、眠りに落ちる寸前の僕の耳に染み入った。




カーテンを貫通して差し込む光に目を覚ます。


昨晩の感触を思い出して、やってしまった、と思う。

隣では半裸の少女が安らかな顔をして眠っている。


ぐわんぐわんと視界が揺れる。

遅れて、強烈な吐き気が襲ってくる。


慌ててトイレへと駆け込み、嘔吐する。

真っ赤な血潮のワインが、白い陶器を染め上げる。

胃の奥底からも、便器からも湧き上がってくる酢のような匂いに顔をしかめて、水洗レバーを押し込む。

鼻をかんで口をゆすぐ。

冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、一息に飲み干した。


酷い二日酔いだ。


テーブルを見ると昨晩買ったはずの酒が、全て空っぽになっている。

……こうなるのも当たり前か。


もう少し寝よう。

そう思って布団に潜り込むと、彼女が喘ぎながら伸びをして、ゆっくりと目を開けた。


「ごめん、起こしちゃったね」


僕の言葉が言い終わらないうちに、彼女は飛び起きてトイレへと駆けこんだ。

ゲーゲーとカエルの鳴き声とも動物の求愛の声とも取れない音を立てて、僕と同じ行為をしている。

苦笑しながら、重い体を引きずって冷蔵庫から水を一本取り出して、トイレから出てきた彼女に手渡す。

恥ずかしそうに彼女が笑った。


日がな一日、ベッドで何もせずに寝て過ごす。

これ以上ないくらい贅沢な休日の使い方だろう。

身体に絡みついてきた彼女の腕を撫で、受け入れる。


「Sono tua」


僕の耳元で彼女が恥ずかしそうに、無声音で囁いた。



二度寝から目を覚ますと、少女の姿が消えている。

帰ってしまったのだろう。

連絡先も何も知らない。だから、もうきっと二度と会うことはないだろう。

寂しさを打ち消すように「素晴らしい夜だったじゃないか」と自らに言い聞かせて、少女の飲みかけのペットボトルから水を飲む。


カーテンから差し込む光が淡くなっている。

もう夕方なのだろう。


「そろそろ酒の時間じゃない?」


鈴の転がるような声が聞こえた。

少女の声だ!!

その声の主を見出そうと、部屋中に目をさ迷わせる。


「ここだよ、先生」


それは自らの身の内から聞こえてくる。

少女は自らの内にいるのだ!!



「ずっと一緒だよ」


恥ずかしがるように、可憐な声が響く。


「祝い酒だ」


僕は冷蔵庫からビールを取り出してプルタブを立てる。

プシュッと心地よい音を立てて泡が溢れる。


「何に乾杯するの?」少女が問う。

「君との夜に。これからのラヴィアンローズに」


『かんぱーいっ!!』


酒を飲み交わす。

心配することはない、僕たちはずっと一緒だ。


病めるときも、健やかなるときも、二日酔いのときも。







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