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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

途切れる

作者:
掲載日:2023/09/07

 敷かれた雪の絨毯(じゅうたん)に足跡が伸びていた。

 緩やかな斜面を呑みこみ、雪化粧を施した針葉樹林が果てしなく続いていた。根元を埋め、鋭い枝先を空の喉元に突きつけている。灰色をした雲の向こうから太陽がわずかに透けていた。

 小気味の良い、雪を踏み締める音が響き渡る。足音は急いでおらず、一定の間隔で純白に靴底の跡を刻んでいた。その歩幅からして大人のものであり、女性にしては靴の幅が大きい。背の高い針葉樹が見下ろす中、直線を描いた靴跡は今も途切れることなく続いている。

 白雪に覆われた森林は静かだ。時折、重みに耐えられなくなった枝が雪の塊を落とす。冬の眠りに就いているのか、鳥獣の気配は感じられない。あるのは、ただ一つの足音とわずかな息遣いだけだ。

「参ったな」

 小さな呟きが漏れた。

 木々の濃緑色と純白の中に、濁った灰色が混じっていた。それは外套の色で、閉ざされた森を彷徨(さまよ)う一人の青年が身に纏うものだ。

 上背がある男性だった。髪は白く染まっているが、年齢は二十半ばほどだろう。樫のトグルで留められたダッフルコートを着ており、ゆったりとしたワークパンツを履いている。その裾は濡れ、雪に沈んだ足を引き抜くたびに見え隠れするのは、険しい山岳などで用いる登山靴であった。

 吐息が白く染まる。雪こそ降っておらず、天候は穏やかだった。白髪の青年は凍えた空気を少しでも遮るために首を縮め、両手をコートのポケットに隠していた。

 彼はぼやく。

「一体どこまで続いているんだろうね」

 その問いかけに答える者はいない。どこか遠くで雪が落ちる音がするだけだ。積雪を刻む音だけが、虚ろに鼓膜を打つ。

 いくら歩いても目に映る光景は同じであった。(そび)える針葉樹と、枝葉の隙間からこぼれる淡い陽光。一面に広がる銀白。

 頭上に垣間見える空でさえ、いつまで経っても明るさが変わらない。同じ高さの太陽が大地を照らすだけで、時間という概念を忘れていた。

 しばらく無言で歩いていた青年は、ふと足を止めた。木漏れ日を浴びながら、天を仰ぐ。嘆息しながら、あまり手入れのされていない髪を掻いた。

「僕が迷子になるなんて、全く笑えないよ」

 そうして、肩越しに振り返った。

「なあ、そうは思わないかい」

 青年の背後には、彼自身の足跡がずっと後方まで続いていた。今まで踏み締めてきた道のりで、聞こえる足音はずっと一つだけだった。

 ただ、白髪の青年が雪上に残した大きな靴跡の他に、小さな窪みがあった。それは二つ一組で、まるで子犬がじゃれつくように彼の足跡を踏み荒らしている。

 小ぢんまりとした楕円形の窪みは、子供靴のものにも見えた。



 少し風が出てきた。

 わずかに枝がたわみ、肌を刺す冷気に白い欠片がちらつく。灰暗色(かいあんしょく)の空は流動的で、刻一刻と濃淡が移り変わる。

 わずかに厳しい顔つきで、ダッフルコートの青年はにわかに荒れ始めた天候を仰ぐ。やや傾斜が厳しくなり、彼は真っ直ぐに伸びた針葉樹の幹に手をついていた。

 小さな足跡はつかず離れずで、青年の後ろを追っていた。姿は見えないにも関わらず、幼児用の靴とおぼしき跡は一拍置いて少し離れた場所に移る。どうやら飛び跳ねているらしく、点々と雪の上に小さな足跡が生まれる。

 その様子を一瞥(いちべつ)し、青年は苦笑した。

「楽しいかい?」

 反応はなかった。雪遊びに夢中らしい。

 ダッフルコートの青年は特に気にした素振りもなく、また歩み出す。大きさの異なる二人分の足跡が、不純物のない地面に刻まれていく。

「わからないな。僕をおもちゃ箱に閉じこめたって、何も面白いことはないよ」

 返答は期待していない様子だった。前を見据え、取りとめのないことを話し続ける。その声音にはわずかに疲労が滲み、白い吐息が大きくなる。

「きっと君に悪気はないんだろうね。生前と変わらず幼くて、無垢なままだ。この先もずっとそうなんだろう」

 彼が進む先にはどこまでも白い世界が広がっている。針葉樹がなければ、たちまち自分の居場所を見失ってしまうだろう。

「だから手に負えない」

 ますます空が荒れてきた。髪が激しくなぶられる。顔や衣服のあちらこちらに雪が付着していた。横殴りの風が運んできたのだ。

 吹雪に見舞われた視界に、かろうじて木立の幹が見え隠れする。目の錯覚か、多くの人影に見えた。佇んだまま、黙して語る言葉もない。

 白雪にまみれた青年はもう口を開かなかった。佇む影を尻目に、顔を腕で庇いながら前進した。吹き荒れる風に押されて、前傾姿勢で少しずつ距離を稼ぐ。

 後ろを顧みる余裕はなかった。あの小さな足跡はまだついてきているだろうか。たとえ振り返ったとしても、吹雪に覆い隠されて視認できなかっただろう。

 どこへ向かっているのか、彼自身にも疑わしかった。白雪が乱舞する中、方向感覚はとっくに失われている。視野の外側で、輪郭の定まらない人影たちが揺らめいている。それらは青年の行く手を遮るでもなく、どこまで行っても彼の周りを取り巻いているだけだ。

 紫に変色した唇で小さく呟いた。

「君たちはもう連れていけない」

 足場の悪い斜面を歩いていった。前方に仄かな明るさが増す。頭上を枝葉に遮られることのない、開けた場所があるのかもしれない。登山靴をほとんど雪の中に埋めながら、青年は着実に一歩を進めていく。

 やがて地面が(なら)され、木々が切れるとともに平坦な地形に出た。空を攫う厚い雲は覆い被さり、絶えず吹きすさぶ雪を産み落とす。眼下に広がる光景に、青年は立ち止まらずを得なかった。

 こぼれ落ちた積雪が遥か下方へ吸いこまれていく。切り立った崖の上に立っており、その足元で白雪を冠に頂いた針葉樹林が大地を呑みこんでいた。地平線の果てが見えず、樹海と呼んで差し支えのない規模だった。

 自らの置かれた環境が想像を絶していたのか、ダッフルコートの青年はしばらく途方に暮れていた。わずかに吹雪の勢いが弱まり、風の音が一瞬だけ止んだ。その間隙(かんげき)を縫って、彼の鼓膜に触れるものがある。すぐ背後から聞こえてきたのは、足音だった。

 白髪の青年が振り返ると、驚きに目を見開く。自分が歩いてきた靴跡とは別に、小さな足跡が夥しく雪の上にあった。その数は数十人分に渡り、彼を取り囲んでいた。

 胸に強い衝撃を受けた。何人もの手で押し出された感覚で、長身である青年の体が宙に浮くほどだった。そのまま崖の先に投げ出され、伸ばした右手も空しく底へ落ちていく。

 その寸前で聞き取れたのは、子供たちの無邪気な笑い声だった。



 まばたきをした視界に、静かに雪が舞い降りていた。あれからしばらく時間が過ぎたのか、荒れ狂っていた天候は様変わりしていた。仰向けの体勢で雪を被っていた青年は、穏やかな面持ちを見せる空を眺めた。

「気を失っていたのか」

 口元を歪ませてくっと笑う。

「まるで人間みたいじゃあないか」

 何がおかしいのか、笑いが止まらない様子で腹の上に置いた右手を揺らしていた。少ししておもむろに立ち上がり、髪やダッフルコートの表面に積もっていた雪を払う。何事もなかったように襟を正し、手を翳して頭上を仰ぐ。

 目を細めた先には絶壁が聳え、彼が突き落とされた崖の頂上は霞んでいた。誰かいるのか、ここからでは判別できない。

「ここまでは来ていない、か」

 周囲に小さな足跡がないことを確認し、一息をつく。ちょうど崖の膝元は木々がなく、その先には鬱蒼(うっそう)とした針葉樹林が待ち構えている。白髪の青年は辟易とした表情で、首を振って再び歩き出そうとした。

 視野の端に奇妙な色を捉えた。

 白銀に埋め尽くされた視界の中で、それは異彩を放っていた。積雪に半身を埋めていたのはピンク色の長靴だった。明らかに幼児用で、片方が欠けている。

 彼は近づき、その靴を拾い上げた。色合いから、持ち主は幼い女の子だと想像した。周囲に視線を配っても、それらしい人物はおろか、もう一足の長靴も発見できない。

 一陣の風が吹き抜けた。にわかに枝葉を波立たせ、葉擦れの音が囁き声にも聞こえた。佇んでいたダッフルコートの青年は、突然足元の地面に変化が生じるのを目撃した。

 分厚く降り積もった雪が深く沈んだ。何かの重みに耐えかねたかに見えた。その大きさは一メートルほどで、よくよく観察すれば倒れた人の形にも似ており、それが少しずつ移動していく。何者かに首を掴まれ、後ろ向きに引きずられていくように、力なく投げ出された両足の形に(わだち)を残す。

 白髪の青年は長靴の履き口に指を引っかけ、その現象を追跡する。しんしんと白雪が舞う中、緩慢に引きずられていく痕跡は木立の向こうへと進んでいく。

 どれほど歩いただろうか、針葉樹林の中に煙突が突き出た小屋が建っているのを発見した。丸太を組み合わせた簡素な造りで、三角屋根に雪が被さっていた。傍らに多くの薪が積み上げられており、住居というよりは森の作業場に見える。

 その丸太小屋を観察していると、奇妙な点が見受けられた。窓には幾重もの板が釘で打ちつけられ、厳重に塞がれていた。さらには、出入り口となる木の扉に重々しい(かんぬき)(こしら)えられている。通常は門扉(もんぴ)の内側から閉じるための部材で、外からの侵入者を阻むためというより、中から出られないようにしている印象を受ける。

 まるで牢獄だ。白髪の青年はそう思った。

 雪上に尾を引いていた痕跡が、小屋の手前で切れる。少し間を置いて、軋みながら閂が一人でに持ち上がる。大の男でも難儀するであろう重さの物体が軽々と宙を浮き、無造作に放り投げられて雪の奥深くに沈んだ。

 年月を経ているのか、欠けた木材が目立つ扉がゆっくりと開き、強い勢いで閉められた。その余韻で、屋根の上の雪が一塊(ひとかたまり)落ちた。

 積雪に埋もれた閂の傍らを通り、ダッフルコートの青年は丸太小屋の扉の前に佇む。屋内から物音は聞こえず、静寂だけが満ち満ちていた。

 古びた木の扉を手の甲で二度、三度と叩く。間隔を置き、もう一度繰り返した。

「ごめんください」

 声をかけても返事はない。

 把手(とって)の部分に指をかけると、内側から施錠されているということもなく扉は開いた。白髪の青年は静かに丸太小屋へと足を踏み入れる。

 灯りはなく、屋内は薄暗かった。開け放たれた扉が淡い外光が差し、小屋の中を不鮮明ながら浮かび上がらせる。ダッフルコートの青年はわずかに眉を(ひそ)めた。

「ああ、酷いもんだね」

 天井の一部に穴が空き、仄かな日差しとともに淡雪(あわゆき)がちらつく。殺風景な屋内でまず目についたのは、廃れた小屋には不釣り合いな大きさのパイプベッドだった。枕などの寝具はなく、元の色がわからないほど汚れたシーツが一枚きりである。その上下には赤錆びた鎖で繋がれた枷が二組あり、ベッドの上で弛緩(しかん)している。

 シーツには、乾いた赤黒い染みがまだらに広がっていた。

 ベッドの傍らで視線を下ろすと、見覚えのある物体が目に入った。横たわったそれを手に取ると、先刻発見した子供用の長靴だとわかった。

「君が案内してくれたのか」

 ありがとう。白髪の青年は呟くと、手にしていたピンク色の長靴を二足ともきちんと揃えて置いた。

 首を巡らせると、小屋の壁には獣の毛皮でできた防寒具がかけられていた。室内の片隅に重ねられた毛布の束、床には消費された缶詰の空き缶が放置されており、生活の痕跡が認められた。

 壁の一面に目を留めた。物々しい道具類がフックに吊るされていた。ノコギリに手斧、金槌(かなづち)、大型のレンチや木材に穴を穿つ工具などであった。材木の加工に使用していたかと思われたが、どうにも違和感が拭えない。刃こぼれが目立ち、いずれも先端や刃の部分が不自然に赤茶けていた。赤錆ではないらしい。

 小屋の一番奥には煉瓦を積み上げた暖炉があった。炉内には大量の灰が沈殿(ちんでん)し、錆びた火掻き棒が突っこまれている。暖房としての機能が失われているのは明らかだ。

 火が尽きた暖炉の前で、誰かの背中が見えた。

 あぐらをかいているらしく、こちらよりも目線は低い。しかしながら体格は大柄で、膨らみを帯びた獣毛の防寒具を着こんでいるために、人というより獣に近い印象を与える。毛皮のフードで頭部を覆っているからなおさらだ。

 暗がりに紛れた後ろ姿に向かって、青年は躊躇(ちゅうちょ)なく足を踏み出す。すぐ隣に立っても大男は無反応だった。埃だらけの床に腰を下ろし、青年は場違いなほどの笑顔を向けた。

「こんにちは、勝手に上がらせてもらっていますよ」

 覗きこんだ男の横顔は、狐の毛皮で縁取られたフードを目深(まぶか)に被っていて、全く窺い知ることはできない。厚い手袋に覆われた太い指は微動だにせず、革をなめした茶褐色のズボンに長く分厚い黒のブーツと、肌を露出した部分が皆無である。

 深くうなだれた首が、青年の方へ向けられることはない。

「――そう警戒しないでください。僕はただの道先案内人ですよ。もっとも、今は僕が迷子ですがね」

 彼は照れ臭そうに白髪頭を掻く。答えがないにも関わらず、ダッフルコートの青年はすぐ隣の人物と対話しているかのように振る舞っていた。

「ええ、ええ。あなたもすでにご存じでしょうが、ここは本来の世界ではありません。この世とあの世の狭間で、こちらの宗教圏ではそう、煉獄とでも呼ぶのがふさわしいですかね」

 滔々(とうとう)と説明する青年の声だけが、空虚な小屋の中で反響する。時折外で突風が吹いているのか、目隠しされた窓が音を立てて揺れた。

 彼はにこやかに続けた。

「ご自分がどうしてそんな場所にいるのか、閉じこめられているのかが不思議ですか。たまにいるんですよ。あなたのようにいてはならない者がこの世界にとどまることがね――しかし、今回はどうにも勝手が違う」

 暖炉に向かって沈黙を守る大男に対して、大げさに首を振ってみせる。

「僕も手を焼いていましてね。どこまで続く雪の森、迷いこんだ者たちの成れの果て、しまいには見えない子供たちに崖から突き落とされて……おや、どうしましたか。そんなに震えて。何か心当たりでも?」

 口元に微笑を浮かべ、首を傾けてフードの中身を覗きこむ。その奥には深い闇を(たた)えているばかりで、何者の顔も窺い知ることができない。

「――おっと、そんなに怒らないでくださいよ」

 突然青年は身を引き、相手を宥めるように両手を上げた。この場に第三者がいれば、滑稽な一人芝居にしか見えなかっただろう。

 暗い小屋の中に薄明が差し、そこにいるものの輪郭を浮き彫りにさせる。熊を連想させる大男の膨らんだ影と、どこか道化じみた細長い人影。

 道化は声をひそめた。

「僕はね、吉報を持ってきたんですよ。あなたをここから出すことができます」

 やはり大男は微動だにしなかった。しかし声なき声に耳を傾けて、青年は頷いてみせる。

「ええ、できますよ。言ったでしょう、道先案内人だと」

 そして苦笑いする。

「お迎えですか。あながち間違いではありませんが、死神だなんて呼ばれるのは心外だなあ」

 風の音はより勢いを増していた。強風に小屋全体が揺らされている。言葉を切った青年は、穴が空いた天井を見上げた。外は大吹雪だった。

「……ねえ、聞こえますか」

 そのままの姿勢で問いかける。吹雪が荒れ狂い、建材が軋む。自然の猛威に混じり、奇妙な音がくぐもって聞こえた。

 耳を澄ませば、それは多くの子供の笑い声に聞こえた。

「あなたには聞き覚えがあるはずなんですがね。それとも泣き声や悲鳴ばかり耳にしていたからわかりませんか」

 乱雑に板で塞がれた窓から隙間風が入りこみ、二つの人影のあいだを吹き抜けていく。凍りついてしまいそうなほどの冷気だった。

「一体何人を(かどわ)かし、手にかけましたか。幼い魂ほど自我が希薄だ。己を忘れてしまうほどにこの世界を彷徨い、互いに寄り添って、いつしか幽世の一部となってしまったのでしょう」

 フードに隠れた耳に唇を寄せ、彼は囁く。

「あなたはずっとあの子たちから隠れていたのでしょう。この小屋は牢獄だ。自らを幽閉し、閉じこもることで彼らの目から逃れていた。現世で子供たちを監禁していた建物から自分が出られなくなるなんて、とんだ皮肉ですがね」

 白髪の青年は変わらず微笑みを浮かべいた。その声音には憤りも蔑みもない。

「ええ、ええ。知っていますよ。職業柄ね。何度も言わせないでください。僕はただの案内人ですよ」

 目を細めた。

「だから彼らをここに連れてきた」

 明らかに風の勢いとは異なる音が断続的に反響し、拷問に使われたと思われる器具が互いを打ち鳴らす。外から大勢の人間が丸太小屋の壁をふざけて叩いているかのようだった。

「嘘なんてついていませんよ。あの子たちはただあなたと遊びたがっているだけです。あなたが彼らにしたように、ね」

 白髪の青年は笑みを消した。

「困るんですよ、ずっと閉じこもられては。あなたはこの幽世(かくりよ)を閉じる(くさび)だ。結界の一角を崩すために、是が非でも外に出てもらわなければならない」

 大男の影は動かない。ただ小屋全体の揺れが影響して、大きな輪郭が小刻みに震えて見えた。

「そんなに泣かないでくださいよ。何ですか……地獄に落ちた方がまだいい、と。なるほど、あの世にそんな場所があるのかは知りませんがね」

 薄暗がりで座したまま、青年は静かに言った。

「強いて言うなら、ここがあなたの地獄ですよ」

 言い終わるのと同じくして、けたたましい音が鳴り響いた。板を幾重にも打ちつけた偏執的(へんしゅうてき)な窓が弾け、無数の木片が飛び散る。雪を伴った突風が小屋の中を駆け巡った。とっさに腕で顔を庇う青年の瞳に、白く透けた人影が群れを成しているのが映った。それらは嬉々として傍らに座る大男の体にまとわりついて、屈託のない笑い声と悲鳴じみた風の音を残し、そのまま扉を勢いよく押し開いて出ていった。

 余韻(よいん)を残して、丸太小屋の中には静寂が下りていた。破られた窓の周辺には板の破片が飛散し、パイプベッドの上まで木片が散乱して、その様子を眩しい日差しが克明に照らしている。

 不思議なことに、壁にかかった工具類は一つも見当たらなかった。

 薄暗かった屋内に手を伸ばす陽光は、二人が座っていた暖炉の前を浮かび上がらせていた。ダッフルコートの青年は佇み、ある一点を見下ろしている。

 あの大男が座っていた場所には、もう誰もいなかった。ただ彼が身に着けていた毛皮の防寒具やなめし革のズボンが抜け殻のごとく重なっているだけだ。

 全てを見届けた青年は踵を返して小屋の外へ向かう。開かれたままの扉を抜けると、途端に眩しい光が彼を包み、目を細めた。

「よく晴れたな」

 先刻まで吹き荒れていたはずの天候は表情を変え、青い空を覗かせていた。天頂に座する太陽が(あまね)く光を白銀の大地にもたらし、雪景色を乱反射させる。視界全体が光り輝いていた。

 薄目で景色を眺めていた青年は、とある針葉樹林の方角へ顔を向けた。

「こっちか」

 そう呟き、歩き出す。背後で惨劇が行なわれた小屋が急速に風化し、そよ風に(さら)われて崩れていく。振り返ることは一切なかった。

 陽の光を受けた針葉樹は、葉の表面に雪解けの雫を伝わせる。根雪(ねゆき)の下で時を待っていたのか、足元では瑞々(みずみず)しい若芽が顔を覗かせていた。いずれ雪は溶け、この隔離された世界にもささやかな変化をもたらすだろう。

 幾分か木々の緑が目立ち始めた森林に、雪に歩を刻む足音が規則的に響く。それがしばらく続いて、不意に鳴り止んだ。

 ダッフルコートの青年が振り返ると、少しだけ離れた雪の表面に小さな靴の跡が見受けられた。

「君は最初の子だね。みんなと遊ばなくていいのかい」

 その足跡の主に話しかける。もちろん、答えは返ってこなかった。

「ごめんよ。君を連れていくことはもうできないんだ」

 そう言って青年は背を向けた。そのまま振り返ることなく遠ざかっていく。取り残された幼児靴の足跡は、その場から動かずにいた。

 やがてダッフルコートの背中は見えなくなり、足音は途切れた。

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