プロローグ
今年も桜の花びらが舞う季節がやってきた。
この時期になると8年前のことを思い出す―
野球を始めたばかりで無邪気にボールを追いかけていたあの頃、一人の少女と出会った。
頭には毛糸で編まれたニット帽を着用しており、一回り小さめの車いすに腰を掛けている。
どうやら何か病をわずらっているようだ。
ニット帽の彼女は目を輝かせながら僕練習を見ている。
この日は地区のチームの合同練習だったため、どこかのチームに兄弟が所属しているのだろう。
やがて、昼休憩の時間になると先ほどの少女が近づいてくる。
「ここすりむいてるよ」
少女は絆創膏を差し出す。
「…ありがとう」
面識もなかったので少し戸惑ったが、断るのも申し訳けなかったので頂戴した。
「よかったらさ、一緒にご飯食べない?」
「え、あ、うん...」
「やった! じゃああっちで待ってるね」
少女の勢いにおされて返事をしてしまったが、小学3年生の自分にとっては女の子とご飯なんて初めてなので気持ちが定まらない。
木の下の影がさしかかる場所で待つ少女のもとへ向かう。
ご飯を食べながら、少女と時間を共有する。
野球の話をしている彼女の瞳はまっすぐでとても輝いていた。
そんな彼女に僕は恋をした―
これが五味達也にとっての初めての恋だった。
やがて時間がたつと30歳程度の女性が近づいてくる。彼女の母親だろうか?
「時間みたい、また会おうね」
笑顔と少し寂しげな顔を見せながら彼女は車輪に手をあて、背中を向ける。
「次はいつ会えるの?」
背を向ける彼女に気づいたら言葉を放っていた。
少しだけ沈黙の間があき
「野球を続けていたら必ず会えるよ、達也君」
振り返りながらそう答えると、車いすを押しながら彼女は去ってしまった。
「名前、聞くの忘れた...」
なぜ彼女は自分の名前を知っていたのだろうか?
わずか1時間にも満たない時間だったが元気になった彼女とまた会いたい、その気持ちだけが心に刻まれていた。