第3話 契り
承前
全員がユーキを迎えるために立ち上がる中、ユーキは赤い顔のまま部屋の中に入った。
「ベアトリクス嬢、ケンは私の物真似の話を知らないでしょうに。広めなくてもいいでしょう」
ユーキがベアトリクスを詰ると、彼女は横に動いて自分が座っていた席をユーキのために空けながら、カラッと明るい声で応じた。
「あら、口止めはされなかったように思うのですが」
ケンも困惑しながらもベアトリクスに抗議した。
「お嬢様、私を嗤い者にされたかったのですか?」
「ごめんなさい、私達に慣れ親しんでいただきたかったのです」
ベアトリクスは胸の前で手を組み、ケンを見上げて今度はあざとく殊勝な声を出す。
ユーキとケンは思わず顔を見合わせ、同時に肩を落として「はあー」とため息をついた。
その息の合い方に、クルティスとアデリーヌがこれも同時に「ぷっ」と噴き出したのを切っ掛けに、一同は笑い出した。
ユーキも笑いながらベアトリクスが空けた席に座り、ケンと村長にも座るように声を掛けた。
ケンと村長は顔を見合わせて躊躇い、座りかねる様子を見せた。
それでも、クルティスがユーキの脇に運んできた椅子に座ったベアトリクスが微笑んで二人を促すと、まず村長が、そしてケンもおずおずと席に戻った。
二人が落ち着くのを待って、ユーキがまず村長に声を掛けた。
「ジートラー村長、今日は私の歓迎の列に加わっていただき、有難うございます」
「殿下、勿体ないお言葉です。本日は村一同を代表して参りました。先の件、誠に有難うございました。また、今後の村政につきまして、何卒よろしくお願いいたします」
村長の頭を深く下げながらの言葉にユーキは頷いた。
「村長、村の今後については私の方でも考えます。ですが、主体となるのはあくまで皆さんです。一緒に考えて行きましょう。取りあえず地租については、以前の通りに戻します」
「有難うございます」
「いえ、それは国王陛下の御裁断ですので」
村長がまた頭を下げようとするのを、ユーキは止めた。
「今日のところは具体的なお話はできませんが、いずれ村に出向いて、村政についてお話をさせていただきます」
「はい、承知しました。お声をお掛けくださるのをお待ちしております。それまでにこちらでも村の者と話し合っておきます」
「よろしくお願いします」
「それでは私はこれで。ケンの事を何卒よろしくお願いいたします」
「わかりました」
「では、失礼いたします」
村長が部屋から去ると、ユーキはケンに向いた。
「では、ケン。次は君のことだ」
「はい、殿下」
ケンは背筋を伸ばした。
「あ、硬くならないで。折角ベアトリクス嬢が苦労して解してくれたんだから」
「は、はい」
ケンが返事をすると横でベアトリクスが「クスッ」と小さく笑う。
「オホン。ケン、ここへ来てくれたと言うことは、私の申し出を受けてくれるんだね?」
「はい、殿下。謹んでお受けさせていただきます」
「有難う。よろしくお願いする」
「はい。ですが……」
ケンが言い淀む。ユーキは何も言わずにケンの次の言葉を待っている。
ケンは、ユーキの誘いを受けると決めた時からずっと考えていたことを尋ねることにした。
「殿下、殿下は私に何をお望みでしょうか。私は何をすればよろしいのでしょうか」
「君にできる事をして欲しい。そしてできない事をできるようになって欲しい」
ユーキの言葉に、ケンは納得いかなげに問い返した。
「できる事、できない事?」
「うん、そうだ。君には剣術の腕がある。そして村の皆さんを率いて敵に立ち向かう勇気がある。今のままでも、衛兵としてなら十分に働けるだろうと思う」
「はい、たぶん」
「でも、それで終わって良いだろうか。マーシーさんや村の人達も、村長さんもそうは思わないだろう。ケン、君自身もそうじゃないかな?」
「……」
「ただの衛兵になるために、愛する村から離れたわけじゃないはずだ。もっと強くなり、もっと大きな敵からも、村を、君の大切な人達を守れるようになりたい。そうじゃないかな?」
「はい、殿下」
黙ってユーキの言葉を聞いていたケンが、力強く頷いた。
「だから、ただ衛兵として働くだけじゃなく、何でもいい、今できない何かをできるようになって欲しい。その先に何があるか、私はそれを楽しみにしている」
「はい、殿下」
「だから身分は私の直属とする。仕事は、取りあえずは衛兵長の下で学んで欲しい。剣術はクルティスからも学べると思う。クルティス、いいな?」
「承知しました」
クルティスの返事を傍らに聞きながら、ユーキはケンに確かめた。
「いいかな? ケン」
「はい、殿下。有難うございます」
ケンの返事に満足そうに微笑むと、ユーキは今度はベアトリクスに向き直った。
「ベアトリクス嬢、貴女もです」
「私ですか? 殿下」
「ええ。ベアトリクス嬢には、領の経理全般を任せたいと思っている。でも、それに留まらないで欲しい。例えば、領の豊かさや富に関係するのは、経済だけではないと思う」
「とおっしゃいますと?」
「経済は、人や物や金の行き来と密接に関係すると以前に導師に教わった。そうだとすれば、治安、衛生、通行、運送、色々なことが関係してくるはずだ。娯楽とかも。それらについて気が付いた事があったら何でも提案して欲しい」
「そのようにして広く考えていれば、私ももっと成長できると?」
「うん、もっともっと。そして私も、君達と一緒に色々なことに取り組んで成長していきたい」
ユーキの真剣な言葉を聞いてベアトリクスは真顔に戻ると、暫し瞑目した。
やがて目を開くと、いきなり席を立って腰の短剣を剣帯から外し、ユーキに向かって片膝を突いて両手で捧げ持った。
「ユークリウス殿下。私は今まで殿下のことをどこか弟のように思っておりました。ですが、それは過ちでございました」
「ベア姉さん? 何?」
「殿下、今はベアトリクスとお呼び捨てくださいませ。むしろ殿下は、私の将来をも、父や兄のごとくに考えてくださいました。嬉しうございます。殿下、叶うことならば、我が身命の奉公を捧げさせていただきとうございます。その証として、今ここに、我が剣を奉じます」
ケンは可憐な貴族令嬢と思っていたベアトリクスがいきなり見せた真剣な態度に気圧されていたが、ユーキに向けた、その訴えかける様な眼差しを見て身震いした。
思わず立ち上がってベアトリクスの横に進み、父の剣を外して見様見真似で捧げた。
「ケン?」
「殿下、私もこの剣を奉じます。殿下は私の村を、村の仲間をお救いくださいました。それのみならず、私自身を救い上げ、進むべき道を示し拓いてくださいました。そのお心に報いるべく、この身を捧げさせてください」
ユーキは並んで跪く二人の様子に驚いたが、その真剣な眼差しに顔を引き締めて立ち上がった。
「ベアトリクス・ディートリッヒ」
「はい」
「ケン・ジートラー」
「はい」
「汝らの忠を受け取る」
ユーキはベアトリクスの手から剣を受け取るとそれを抜き放ち、刀身の腹でベアトリクスの肩を一度、二度と軽く打った。
そして剣を納めると右手でその鞘を持ち、ベアトリクスに向かって差し出した。
ベアトリクスは恭しく両手で剣を受け取る。
次にユーキはケンの剣を受け取り、同様にケンの肩を打って剣を授けた。
ケンが剣を受け取ると、ユーキは自らの紅竜の剣を抜き放った。
光るなと念じても、心の高ぶりのためか、刃が炎の色に微かに光る。
その柄を両手で持ち、顔の前に捧げ持つ。
ベアトリクスがそれに合わせて自分の剣を抜いて顔の前に立て、ケンも急いでその真似をする。
「我らの剣を汝らと私の絆とする。この剣ある限り、私と共に国と国民を愛し、弱き者を扶け、正しき者の先頭に立ち、悪しき者に立ち向かうのだ」
「応!」「応!」
ユーキがその剣を前に出し、それにベアトリクスとケンが各々の剣を一斉に打ち合わせる。
「キィン、キィン」という澄んだ音が部屋に響き渡った。
三人はそれぞれの剣を鞘に納めると、笑みを交わし合った。
厳粛な空気は消え、緊張が緩む。
「二人とも、よろしくね」
「はい、ユーキ殿下。これでケンさんも私達のお仲間ですわね」
「はい、よろしくお願いいたします。殿下、お嬢様」
「あら、お嬢様はお止しになって。同じ主に仕える仲間同士なのですから、名前で呼んでいただいて構いませんですわ」
「名前……ディートリッヒ様、ですか?」
「いいえ、ベア姉さんで構いませんことよ?」
「それは流石に……私は平民ですので。せめてベアトリクス様で、お願いいたします」
「あら、残念。ですが仕方ありませんわね」
ベアトリクスが不承不承に頷くと、ユーキが恐縮しているケンに言った。
「まあ、いずれ慣れるよね。ケン、僕の事も名前で呼んでもらって構わないから」
「よろしいのでしょうか」
「うん、直接仕えてもらうのだから、堅苦しいと僕もやりにくいから。身内だけの時はクルティスやベア姉さんみたいに『ユーキ』でもいいよ」
「畏れ多いですが、はい、わかりました。……ユーキ殿下」
ケンが恐る恐る呼ぶと、ユーキは嬉しそうに笑った。
「うん、それで。でも、他の人がいる時には気を付けてね」
「はい、承知しました」
ケンが頷きながら返事をすると、ベアトリクスがうずうずと我慢できない様子でユーキに尋ねた。
「ユーキ殿下、殿下は大切なお方とはどうお呼び交わしになっておられるのですか?」
「ベア姉さん?」
「殿下にお仕えできることをマレーネ殿下に報告に参った時に、伺いました。ヴィオラ・リュークス嬢のこと、随分と御自慢になっておられましたわ」
「母上……」
「とてもお美しいお方なのでしょう?」
「僕は、世界で一番美しいと思っています」
「まあ。リュークス嬢が聞かれたらお喜びになられますわね」
ベアトリクスがクスクスと楽しそうに笑い、ユーキは顔を赤くする。
ケンは自分の恋人の自慢を堂々と、こうもきっぱりと言い切ったユーキに、目を丸くした。
自分ならば考えもつかないことだが、王族や貴族はこういうものなのだろうか。
恐る恐る口を挟んでみる。
「あの、そのお方が以前におっしゃっていた……」
「ケン、それは内緒に」
「あら。ユーキ殿下、ケンさんとは随分とお親しくていらっしゃったのですね」
「ええ、二人でいろいろな話をしましたから」
「まあ。お羨ましいわ。リュークス嬢にお目に掛かったら、お知らせしちゃおうかしら」
「止めてください」
ユーキが顔をさらに赤らめ、ベアトリクスはまたクスクスと笑う。
ユーキはこの話題はさっさと終わらせようと、ケンに言った。
「えーと、ケン、緊張して疲れただろうと思う。当面の住居だけど、いずれはこの町で部屋を借りるにしても時間が掛かるだろうから、しばらくはこの邸の部屋に住むといい。クルティス、ケンをクーツとヘレナの所へ連れて行って、事情を説明してもらえるかな?」
「はい、殿下。ではケン、行きましょうか」
「はい。殿下、失礼します」
ケンが退室し、室内はユーキとベアトリクス、アデリーヌの三人だけになった。
ユーキはほっと一息つくと、ベアトリクスに話し掛けた。
「ベア姉さん、あまり揶揄わないで欲しいな。主としての威厳が失われるじゃないですか」
「あら、勿体ぶって偉そうにするのはユーキ殿下の柄ではございませんでしょう? 無理に取り繕っても、身近にお仕えする者にはすぐにぼろが出ますわ。それ位なら、最初からありのままをお見せになった方がよろしいのでは?」
「それはそうかも知れないけど。でも、どうして今日は剣を? この領への道中、帯剣なんてしていなかったよね」
「まあ、何となくですかしら」
ベアトリクスがさらりと言うと、アデリーヌが我慢しかねるように口を挟んだ。
「ユーキ殿下、何となくではございません」
「アデリーヌ?」
「お嬢様はケンさんの出迎えをユーキ殿下に命じられて、多分、こんなこともあろうかと、急いで部屋に戻って帯びられました。『彼は主従の誓いとか御存じないでしょうから、私を真似してもらえば恥ずかしい思いをさせずに済む』とおっしゃって」
「アデリーヌ、余計なことを殿下にお教えしないで」
「アデリーヌ、有難う。じゃあ、さっきのもわざと? やっぱり、ベア姉さんはベア姉さんだね。頼りになるよ」
「あら、本気ですわよ? 先ほども申し上げましたけど、今日からは私の方がお頼り申し上げますわ、ユーキお兄さま」
「……お願いだからやめて欲しい」
本日の投稿はここまでです。
第一部同様に末永くお付き合いいただけると嬉しく思います。
よろしくお願い致します。