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燕草月 終九日



ビリー。



できたことはもっとあっただろう、と思うのはもう飽きました。


本当にもう、うんざりです。


でもそれが私をここまで連れて来たのなら。

うんざりも受け入れないといけないのでしょうか。






高く吹き抜けた部屋は、四方向の壁全てが棚で、そこにはぎっしりと本が詰まっていた。


頭より高い所には、狭いが通路も付いているし、もっと高い場所にある本を取ろうと思えば、足元から血の気が引くような長梯子を使う。


中央にはたっぷりと幅がある長机が並び、そこに腰掛けている背中に向けて、カイルは歩を進める。


真横の椅子を引いて、そこにどかりと腰掛けた。


「マリオンは?」


本に落とした目線を上げることなく、ビクターはこれ見よがしに大きく息を吐き出した。


「……侍従じゃないぞ」

「知ってる」

「なら俺に聞くなよ……」

「マリオンより先に会えるんだからしょうがないだろ?」

「もっと探せよ」

「魔術師(こっち)側は詳しくない」

「親切に教える筋合いはない」

「……確かに」


諦めて離れて行くのかと思えばそのまま。カイルは机の上で片腕で頬杖を突いた。



つるりと光沢がある白磁の義手は、本物の手と変わらず滑らかに動いて本の頁をめくった。

ちりちりと糸を引くような駆動音が小さく聞こえる。

これも魔術で動いているのかと、感心で目が離せない。


苛々とした態度を隠しもせずに、ビクターは何と聞く。


「どんなもの読んでるんだ?」

「はぁ?」

「何だ」

「聞いたって理解できないことを何故聞くんだ」

「理解するためだろう?」

「…………本当に聞きたいことはなんだ」

「マリオン」

「がなに」

「怒ってるのか?」

「…………知らね」

「俺は何かしたんだろうか」


ぐいと詰め寄ったカイルを避けるように、ビクターは椅子ごと横にずれる。


「あんたらってなんでそうなの?」

「何がだ」

「……人には許容できる距離感があるだろうが」

「……それが?」

「それぞれ違うって思ってないだろ」


真意が汲み取れなくて、カイルはとりあえずビクターと距離を取る。

といっても背筋を少し伸ばしただけで、ほとんど位置は変わっていない。


「あんたらが、近い、鬱陶しい、となるのはどれくらいだ? せいぜい拳ひとつ離れる程度か?」

「……何が言いたい」

「普通はもっと必要なんだよ。腕の長さか、それ以上だ」

「何の話をしてるんだ」

「俺で言うとその範囲はこの部屋ひとつ分はある」

「…………俺が鬱陶しいって話か」


まわりくどいなと口の端を片方持ち上げて、その範囲を考えると微々たるものだが、カイルは少しだけ椅子を後ろに下げた。


「あと、その態度」

「気に入らないか」

「それが人にものを尋ねる態度か?」

「どうすればいい」

「椅子の背もたれは机と並行になってるもんなんだよ……足をしまえ、机の下に入れろ。どうしてお前らはそうやって足を広げて座るんだ。内腿の筋力を母親の腹の中に置いてきたのか」

「はは!……面白いな、ビクター」


素直に足を閉じて机の下に入れ、傾いた椅子の背もたれを真っ直ぐにした。

カイルは一旦姿勢を整えて、横目でビクターをちらりと見る。


「……こういう態度が怒らせた原因か?」

「…………知らね。違うんじゃない?」

「ビクター……」

「読書の邪魔をして悪いのひと言を、何故言えない」

「言ってなかったか?」

「人の時間を掠め取ってる気が無いからだ」

「そんなつもりは」

「なら、今いいか、くらいは聞けよ」

「今いいか?」

「よくねーから苛々してんだよ」

「めんどくさいな、お前」

「だったら俺に構うな」

「…………なぁ、マリオンは?」

「お前もたっぷり面倒じゃねーか」

「…………もう昼になるぞ……」

「しょんぼりすんなよ、俺のせいか!」


静かに席を立つと、きちんと椅子の背もたれを机と並行になるように仕舞い、二、三歩離れた場所で、思い出したように邪魔したなと小さく声をかけた。


何故だか今度はビクターの方が悪いことをしているような気がしてきて、大きく舌打ちをする。


「朝から中央に呼び出されてるよ」

「中央?」

「俺は昨日だった」

「なんだ?」

「戦況報告とかなんとか言ってるけど、俺らに難癖付けて腐したい場だな……気に入らないならお前らが前線に出ろよ」

「……そう言ったのか」

「怒ってたなー……ぷるぷる震えて顔真っ赤だった」

「マリオンはそこに?」

「いつもの調子でやってんじゃないの? はは……おもしろ」

「ありがとう、ビクター」

「俺は侍従じゃないぞ」

「分かってる」





中央棟へ向かって回廊を歩く。


いつもは真っ直ぐ温室に向かうために、そこを通らずに、屋外に出て庭を突っ切って行く。


建物内を通ったところで、さらにその室内にいるはずだから知り得なかっただろうが、遠回りをした感じは拭えない。


いくつかある会議室の、さて、どの部屋だろうかと当たりをつける。

戦況報告なら上官が使用する場所だろうと、奥まった方に通路を曲がった。




大きな両開きの扉の横には先客がいた。


壁に寄りかかり、腕を組み、おまけに足まで絡めるようにしている。

先客はカイルに気が付くとこっちだと言うように頭を傾けた。


「リック……知ってたのか?」

「いや……さっき聞いたばっかりだよ、俺も少し前に来たとこ」

「どうなってる」

「術で防音されてる……じゃなきゃみんな寝てるかな……なんにも聞こえないよ」

「そうか……」


カイルはリックと通路を挟んで向かい側に立ったが、背は壁に付けなかった。

両足でしっかり立って、むんと腕を組んだ。

リックから少し目線を外して、扉を睨む。




昼時を知らせる鐘が鳴って、半刻が経った頃、わずかに取っ手が回って扉が薄く開いた。


やはり防音が施されていたらしく、中から少なくはない人数の気配が漏れ出てくる。


扉を押していたのはマリオン。

目の前にカイルの顔を見て、げんなりした顔に、さらに加えて眉の間に力が入った。

ちらりと横目でリックも見付けて、重たいため息を吐き出す。


「マリオン君、最後にひとつ良いかな」

「…………なんでしょうか」


室内から呼び止められて、マリオンはそちらの方を振り返る。

穏やかな低い声と、マリオンの丁寧な返事の仕方で、相手が魔術師長であることが、伺い知れた。


「君、ここに居る全員を殺すとしたら、どれくらいで終わるかな?」

「……師長様が厄介ですけど……瞬きの間ですかね」


ざわりとしたすぐ後に、魔術師長とマリオン、両者に対して非難と罵りの声が上がる。


それだけでカイルとリックはこれまでの話の内容が察せた。


ひとつひとつの出来事に対して揚げ足を取り、終わったことをむし返して否定する。

そしてマリオンはそのひとつひとつに、丁寧に正論を返す。


それは手に取るように容易く想像できた。

五年前にも似たようなことを日々見てきたのだから。


「方法は? 全員を縊り殺すのかな?」

「そうですねぇ……後片付けが大変でしょうから、地中にでも飛ばしますかね……埋葬の手間も省けますし」

「瞬きの間に出来るのかい?」

「師長様を先にどうにかできたら」

「一番に僕だけ首を刎ねたらどうだろうか」

「後に掃除をする方が気の毒ですが……そうですね。それだと瞬きの間も要りません」


のんきに今日の天気や、農作物の出来具合いを言い合うように、背筋に寒気の走る話をしている。


罵声はいつの間にか収まっていた。


「君にとって、それはどれくらいの手間だろうか」

「うーん……あっちのものを取ってくるとか、落ちたものを何個か拾うとか、そのくらいですか」

「こういう事ですよ、みなさん。あなた方はマリオン君が“なんかちょっと面倒だから見逃している”と自覚した方がいい」


この後は元気よく罵声を上げる者はひとりもいなかった。

誰もが息を飲み込んだのは、部屋の外にいるカイルとリックにも分かる。

自分たちも同じように息を飲み込んだから。


「己の罪深さを認識されることをおすすめしますよ。十五の子どもを最前線に送ったこと、五年もの長期に渡ってそこへ留まらせたことを、です。

確か、貴方のお嬢さんはマリオン君と同い年ではなかったですか、ローレンス文官長。

貴方のお嬢さんは頭が足らなそうですから、マリオン君とは違って、一日足らずで無言の帰宅をしそうですけどね」


最前線に送った張本人、オリビア嬢の父親もその部屋にいた。

落ち着いて、我が事ではないような知らぬ顔。話を聞いて無い風情で返事すらしない。


その様を見て、魔術師長とマリオンは同時にふへと力無い笑い声を漏らした。


「まぁ何が言いたいかというと。要するに、僕は怒っていますよ。先日のビクター君の件も然り。よくもまぁ、これほど優秀な魔術師を使い潰そうとしてくれましたね。

挙げ句の果てに、恥ずかし気もなくこの場が戦況報告だとかなんとか……」

「……あのぅ……師長様、もういいでしょうか。お腹空いたんですけど」

「あぁはいはい、結構ですよ、マリオン君。下がりなさい……ここからはおっさん同士の話です」

「……それでは失礼いたします」


扉を閉じるとやはり一切の音は漏れ聞こえてこない。


静かな廊下には、窓から入ってくる穏やかな陽の光と、リックの長い長い唸り声がある。


「…………お疲れ様」

「混ざりっ気無し、超高純度の面倒くさいです」

「辛辣さも出来上がってるね」

「師長様が聞いた通り、土の中で圧死させてやればよかった」

「わああああ! 聞こえない! 聞こえないよ!!」

「…………マリオン」

「なんですか?」


カイルは無意識で踏み出して、持ち上げた手を固く握って下にした。

ビクターの言っていた距離感の話を思い出して、苦味を堪える顔をする。


「…………食事に……行こう」

「おおぅ……渋い声」

「黙れ」

「俺もまだなんだよね、一緒に行って良い?」

「…………おふたりでどうぞ」

「っええ?!」



リックが声を張り上げたその時、被さるようにして、遠くから人の叫びが聞こえた。

それも複数あるようだった。


三人はそれが発された方に顔を向ける。

騎士たちがいる側の建物からだ。


何かびりびりとした細かな振動が、窓に嵌め込まれた硝子を揺らす。


通路は筒のような一本道、声や振動は遠くてもよく響いた。


「おっと……なにこれ」

「……あ……石牢……」

「何か知ってるの? マリオン」

「ウチの方には、閉じ込める場所がないんで」


マリオンは叫び声がした方に向けて、走る手前の速度で足を動かす。


カイルとリックは顔を見合わせてマリオンの後を追った。


追い付いて真横に並ぶと、マリオンは進む先から目を離さず、手短な説明をする。





騎士側の建物、地下にある石牢には、ビクターが捕まえた地竜を閉じ込めていた。








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― 新着の感想 ―
[良い点] きゃー師長さまかっこいいー! 今度は強すぎる子は危険だとか言いださないでしょうねぇ(ドキドキ ビクター優しいなぁ ガツガツくる系イケメン好きだけどビクターの言い分聞くとめっちゃわかる!!っ…
[一言] 確かに若い子を前線に5年て、ひどい話しです。 今回は最推しであるビクターの出番が多くて、嬉かった〜!! 距離感の話、良かったです。これがマリオンの、周りへの想いとどう繋がってくるか楽しみです…
[一言] ああー馬鹿をつけあがらせるとこうなるわけね…… ていうか親父がどこまでも馬鹿すぎる件。 前線に送って戻って来てる時点で相手の実力を察しろ。(馬鹿娘の話を鵜呑みにして、前線に送ったとこも十二…
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