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銀色と青色の少女

 グサッ。


 肉にナイフを刺す感触。

 だが、削がれないようにと抵抗する肉。

 首にナイフを当てるだけでは、やはり人は死にはしないようで。力を込める必要があった。


 力を込めろと脳が腕に信号を送るが、腕が言うことを聞いてくれなかった。

 脳が拒否反応を示していた。


 漸くけりがつくも、対象を無為に酷く苦しめてしまったと後悔する。

 そして力を込める時、命を奪う時の自分を省みると酷い吐き気がした。

 何故この仕事に就いたのかと、後悔した。

 初めて人を殺した時、涙が止まらなかった。





 それ以来、執行の時は今夜の飯について考えるようになった。


 今夜は何にしようか。


 久し振りにカレーでもしようか。

 でも、辛いのはあまり好きじゃないんだ。


 奮発して、ステーキでも食べるか?

 ああ、もし太ったら悲惨だしな。


 そうだ、ハンバーグはどうだ?

 うーん、作るのが面倒ってのがな。


 そんなことを考えながら周囲を見渡すと、血に濡れた惨劇が広がっていた。

 そして、鼻孔を黒い鉄のような匂いが刺激する。


 臭いな……。

 よし、決めた。

 今日は、良い香りのするスープだ。


 そんな非日常で、平和で退屈な日常を考えるのが好きだった。


 変わらない日常を過ごす人は、テロリストが現れることや、未曾有の大災害が身に降り注ぐことを、自ら望む。

 その中で活躍する自分の姿を夢想し、退廃的な思考に陥る意思、心をケアするのだ。


 だが俺の場合、今日の晩飯を夢想することが何よりも効果的なメンタルケアに繋がる。


 人は、日常で泣きはしないから。

 泣くのは、こりごりだった。




 今日の晩飯は……どうしよう。

 自分の腹をさすりながら、俺は考える。


 いついかなる時でも、腹をさすると食欲が出た。

 それがルーチーンとなっていたのだ。

 死体の前でも、仲間が死んだ後でも、それだけで今日の晩飯について没頭出来た。


 直ぐに涙は止まった。

 楽になれた。



 なのに、なのに。


 食欲が無い。

 涙が止まらない。


 いくら腹をさすっても、こびり付いて離れない。



 首を横に降ると、どうしても視界に入ってくる。

 部屋の中で嵐が起きたような惨状と化した、散らかされた家具。

 赤いペンキで塗装したように、何処を見渡しても血に濡れている部屋。



 目を瞑っても、虚しくなるだけ。

 偶にカラカラと物が落ちる音が聞こえるだけで、静かに響く俺の吐息の音。



 耳を塞いでも、鼻が感知する。

 用意されていた豪勢な料理と血肉の匂いが混じり、鼻孔を抉るような激臭。



 それらを全て封じても、余計に敏感になってしまう舌。

 カラカラと乾ききった口の中で、染み渡るように広がる鉄の味。



 そして、何をしても離れずにまとわりつく、呪いのような記憶。

 ジンジンと手を痺れさせる、脳を貫いた時の感触と衝撃。


 頭痛。

 吐き気。

 涙。


 カタカタと震える肩に、止まるどころか強まり続ける動悸。

 人の命を幾ら奪っても無感情だった筈なのに、今は初めて人を殺した時のように心の震えが止まらない。


 このままでは、殺生がトラウマになってしまうかもしれない。

 それは、ダメだ。

 人を、救えなくなってしまう。


 とにかく、此処から離れなければ。

 そう思った。




 ゆっくりと、ゆっくりと足を進める。

 出来るだけ何も感じないように、だが出来るだけ早く脱出できるように、必死に。


 居間に一つだけ設置されてある扉の前に、辿り着いた。

 だが、其処は最も濃厚な死で満ちている。

 沢山の人の死体が積み重なり、居間の中でも取り分け死臭がきつくなっていた。


 俺は、目を瞑りながら出る事にした。

 幸い、既に扉は空いていた。


 一歩進むと、グチャッという音がした。


 ……今だけは、何も考えてはいけない。


 一歩ずつ、一歩ずつ、進んでいく。


 グチャグチャという何処か粘着質な音と、何かを踏み潰している感触。

 どちらも、何かに似ている。

 この先は、考えるべきでは無いと思った。

 だが、不意に頭によぎってしまう。



 これは……命だ。

 俺は、命を踏みしめているんだ。



 自分が何の上に立っているのか自覚した瞬間、吐き気が込み上げて来た。


 もう……限界だ。


 足がふらつく。

 体が、倒れそうになる。


 だが。


 もう少しというところまでは進んでいたようだ。

 すんでのところで、居間から逃れることが出来た。


「ハァハァ……!」


 居間から出ると、綺麗なままの廊下が目に飛び込んでくる。

 背後から漂ってくる死臭以外は、いつも通りだった。

 記憶にある懐かしい日常を、思い出した。


「なんでっ……!」


 気が付くと何故か、走り出していた。

 出来るだけ居間から遠いところへ向かおうと、この匂いから逃げ切ろうと足は早まる。


 居間から離れれば、あの地獄から遠ざかれば、其処には変わらずあの日常が待っていると、盲目的に信じていた。


 この屋敷には一階の中央に広間があり、そこに大階段が設置されている。

 そして、そこからしか一階に降りることは出来ない。


 だから俺は居間から出て、一階に向かう為に大階段へ向かう。

 足跡のように、俺が通り過ぎた場所に涙が零れ落ちていた。


 階段に着く。

 コツコツと、急ぎ下りる。

 大きな階段を、僅か数秒で下りきった。


 1階へ辿り着くと、居間の反対方向となる右に曲がる。

 

 走り、一番奥まで来た。

 其処は、あまり記憶に無い場所。


 目の前の部屋に何があるか、聞いたことがあるような気もするが、記憶には無い。


 だが、構わずにドアノブを捻った。

 今はとにかく、止まりたくなかった。


 ドアが開くと、其処に広がっていたのは山積みの本だった。

 右を向いても、左を向いても、其処には乱雑に置かれる本しかない。

 本が積まれすぎて、奥に何があるか見えない程だ。


 本の匂いで満ちたこの部屋は、不思議に満ちていた。

 少し、気が紛れる。


「なんだ……?ここは」


 取り敢えず、部屋の全貌を確かめる事にした。

 本は無造作に積まれたようで、少し触れたら崩れてしまいそうだ。

 出来るだけ積まれた本に触れないように気を付けながら、奥に進む。


 狭い所を進む技術には元々自信があり、更に今は小さな体だ。

 お陰で、スルスルと通り抜けることが出来た。


 そして、部屋の最奥、目的としていた場所に到着した。

 こんな本しかない部屋だ。

 どうせまた本が積まれているだけだろう、と思っていた。


 だが、いい意味で予想を裏切られることとなる。

 何も期待していなかった分、余計に驚かされる事となった。


 其処には、床に座り込み黙々と本を読む、銀色の少女がいた。


 本を読みやすくするためか、雑に切られた前髪。

 前髪とは違い切られていないのだろう、床に届く程長く伸ばされた銀色の髪。

 静かに文字を追う、優しげな青色の瞳。

 無表情を貫いてるため、幼子特有の無邪気な可愛さは見られない。

 だが、間違いなくその目鼻立ちは整っていると言えるだろう。



 銀色と青色の彼女は此方を一瞥もせず、熱心に読書をしていた。


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