目覚め
シンの悲痛な泣き声が屋敷に響いた。
「あ?まだ生きてやがったのか」
不機嫌そうに目を吊り上げ、化け物はシンに近付いて来る。
その目には明確な殺意が宿っていた。
シン。
逃げてくれ。
お願いだ。
だが、俺がどれだけ願っても、届かない。
シンは泣き喚くばかりで、逃げようとする意思を見せない。
そうしている間にも、化け物は迫って来ていた。
「こいつか……。体張って守ってくれたのに逃げようともしねえなんて、馬鹿な奴だ。……まあいい。じゃあな」
化け物が、シンに向けて手刀を振り下ろす。
その動作は非常に緩慢で、見方によってはシンの頭を撫でてやろうとしているようにも見える。
だが違う。
本能的に分かった。
この手刀はシンを貫き、シンは絶命させる程の力を秘めている。
シン!
避けてくれ!
生きてくれ!
だがそう願うも虚しく、手刀はシンに向かって真っ直ぐ近付いてくるばかり。
そして、未だにシンが逃げようとする気配は無い。
無理、か。
だが、俺が諦める寸前、目の前の化け物の態勢が大きく崩れた。
「なっ!」
そこには、死んだと思っていたシンの父親の姿があった。
その姿は、氷の塊に腕や足を貫かれたようで痛々しく、今にも倒れそうなほど体をフラつかさせている。
だが、まだ生きていた。
父親の姿を見て、絶望で満ちていたシンの心に一つの希望が芽生える。
「父さん!」
だが、息子の言葉で振り返った父の顔は、いつもの優しく、芯の強さを感じさせる顔ではなかった。
その顔は苦虫を噛み潰したような、悲痛な顔をしている。
そのいつもとは違う表情に違和感を感じ取ったのだろう。シンは心配したような声色で父親に問いかけた。
「父さん、どうしたの!?」
「シン!」
予想していた返事とは違う、父親の力強い声にシンの体はビクッと跳ねる。
「よく聞け!」
シンの視界の片隅では、態勢を立て直す化け物の姿があった。
その様子からもう時間が無いと感じたのだろう。
シンの父親はシンの問いかけに答えることなく、大きな声を上げる。
「俺は父親失格だ。お前に母さんも兄弟もやれず、俺の力ではお前を生かすことすらできない」
シンの父親は、態勢を立て直した化け物を警戒しながら続ける。
「だが、生きて欲しい!手前勝手な要求だが、どうか生き延びてくれ!」
そう言うと、シンの父親は食卓の上にあったスキルブックを此方に放る。
それを使い、どうにか逃げろということだろう。
だが、スキルブックが放られたと同時に、シンの父親のもとに化け物が駆けて来る。
「ごちゃごちゃうっせえんだよ!今更家族ごっこしたって遅えんだ!さっさと死にやがれ!」
そう言いながら、化け物は先程と同じように手刀を放つ。
だが、その手刀は先程とは段違いの、視認することすら難しいスピードだ。
少しは戦闘経験があるものの、シンの父親は大して一般人と変わらない。
当然、化け物の攻撃を避けられるはずがない。
「父さん!」
シンの叫びも虚しくその手刀は、吸い込まれるように、シンの父親の腹部をあっさりと貫いた。
「ぐあぁぁぁ!」
叫び声と共に、大量の吐血。
シンの父親は、氷の塊を手や足に受けた時点で既に、かなり出血していた。
さらに、腹部の貫通に大量の吐血……。
俺の予想通りなら、もう彼は……。
だが、俺の予想とは異なりシンの父親はまだ死んでいなかった。
まだ目に力が感じられた。
そして、まだ俺の役目は終わってないと言わんばかりに、声を上げた。
「どんな……方法でもいい!俺は……お前が生きてくれたらそれでいい!シン、愛してる!」
シンの心でまた、悲しみが膨らむ。
「シンに……英雄の加護があらんことを」
そう言うと同時に、シンの父親の目から、光が失われた。
シンの父親は、死んだ。
シンの家族は皆、死んでしまった。
シンの心はまた、泣いていた。
目の前の血溜まりに絶望し、悲しんでいる。
目の前の化け物に恐怖し、苦しんでいる。
目の前の理不尽に憎しみを抱き、憤っている。
今すぐにでも立ち上がり、化け物に一矢報いたい。
だが、立ち上がりたくても、現実に抵抗したいと思っていても体が動かない。
悲しい。
苦しい。
恨めしい。
その見覚えのある感情に、胸が締め付けられる。
幸せを壊すのはいつも理不尽だ。
希望は絶望に壊され、そうして残るのは絶望を避けれなかった後悔だけ。
その後悔は、生涯、死ぬまで枷となって逃げることが出来ない。
それは、俺が最も忌避していたもの。
絶対にそうさせてはならないと決めたはずのもの。
絶対に、この理不尽は許さない。
絶対に、シンは殺させない。
『――――記憶の――発動。破』
ずっと俺を支配していた眠気が消え去る。
頭にかかっていた靄が晴れたかのように、スッとしていくのが分かる。
正常に働き出した頭はフル回転し始め、俺に思考の力がともる。
何故俺は前世で人を救う仕事を選んだ?
善行を積むため?
ああ。
間違いない。
俺は結局自分の為にその仕事に就いた。
俺は人に誇れるような性格をしていないし、人を救う仕事に就いている割りには、人の死にあまり頓着しない。そんな人間だ。
だが、きっかけはなんだった?
そうだ。
それは、自分みたいな人を生まない為。
自分と同じ悲しみを背負う人達を、これ以上生みたくないから。
だが、結局はそれも自分の為。
自分のトラウマを思い出したくないから。
自分の罪を贖罪する為。
俺は悪人だ。
人々を守る仕事に就いたのも、人を救う理由も全て自分の為。
内心で悪態をついたり、見下したり、善行を積む裏でそんな事をしていた悪人だ。
だけど、俺は自分のような人を救う時だけは善人だった。
その思いが偽りだったとしても、不純だったとしても、自分のような人を放っておくのだけは絶対に出来ない。
それが俺なんだ。
胸を締め付けていた感情が力に変わるのが分かる。
胸の底から力が溢れてくるのが分かる。
今、シンはただ泣い喚いているだけだ。
このままではシンの父親の頑張りも虚しく、シンは目の前にいる化け物に殺されるだろう。
だが、俺にはそれを阻む力がある。
ついさっきまで、観客にはどうしようもない。
舞台に立つ人ではないと何もできないと思っていた。
確かに、舞台に立っていないと物語は動かせない。
でも、これはそう難しい問題ではなかったのだ。
観客として舞台に乗り込めばいいだけだ。
俺には、それが出来る。
俺は、人を救える人なんだ。
『スキル【時空魔法の極意】。『絶対追憶Lv1』パッシブスキル絶。記憶の継承発動。急』
さあ。
ミッションスタートだ。