スキルブック
意識を取り戻してから、一年ほどが経過しただろうか。
飛ばし飛ばしでシンの人生を見ていたので、時間の感覚がひどく曖昧だ。
飛ばし飛ばしという言葉についてだが、もう夢と呼べるのか分からないほど長く続いているこの夢では、見たくないシーンで見たくないと願えば、そのシーンをスキップできたのだ。
流石に、30を超える男と一緒にお風呂に入るところを見る趣味はない。
という訳で俺は、飛ばし飛ばしながらも既に、シンの人生を一年程見届けていた。
縦長の食卓に、様々な料理が並んでいる。
パンにスープ、盛り付けられた野菜と少しばかりの肉はいつものことだが、今日は一味違うようだ。
食卓の中央、最も目立つ位置に、白のリボンで包装がなされた謎の箱が置いてあり、異色の存在感を放っていた。
この屋敷では、夕食は皆揃ってから食べ始めるというルールがあるのだが、忙しいなどの理由で遅れるものが出るので、そのルールが守られることは滅多にない。
だが、今日は屋敷に住まうもの全てが綺麗に着座している。
当然、食事の時間だと、居間にやってきて扉を開けたシンは二つの異例に困惑した。
しばらくの間シンが驚きで声を上げることができないでいると、長い食卓の一番奥、所謂お誕生日席に座るシンの父親が声を上げた。
「シン、五歳の誕生日おめでとう!」
それが合図だったのだろう。
座っていた屋敷のものが次々と立ち上がり、シンに祝福の声を上げた。
それを見た瞬間、シンの胸に感動が押し寄せた。驚き、感謝、そんな感情がシンの胸を埋め尽くしていた。
そして、感極まり視界を涙で濡らすシンの視界には、屋敷の人達が映っていた。
なきじゃくるシンを優しく見守る、この屋敷最年長の女性。彼女はシンに優しく、温かく接してくれていた、シンのお母さんのような存在。
シンの涙をからかう、屋敷に仕える者では最年少の20代半ばであろう男性。
彼はいつもシンに気安く、フランクに接してくれていた、シンのお兄さんのような存在。
シンの成長に感動しハンカチで目元を隠す、凛々しい綺麗さをもつ30代半ばの女性。
彼女は常にシンに対して厳格であり、壮厳な態度を貫いていた、シンの先生のような存在。
そして、シンの視界の最も奥で優しく微笑む、シンの父親。
彼は、シンのたった一人の家族として、シンに尽くしていた。シンに優しく、気安く、厳しくあった彼は、シンの最も尊敬する人だろう。
この世界の慣習では誕生日を祝うということはないのか、今までシンは誕生日におめでとうと言われることはあっても、ここまで盛大に祝われることは無かったのだ。
「ありがとう。本当に、みんな、ありがとう……ね」
涙で声を詰まらせながらも、シンは感謝の言葉を伝えた。
「どういたしまして、シン。色々話したい事があるだろうが、取り敢えず席につけ。お前に渡したいものがあるんだ」
そう父に告げられ、シンは疑問を持ちながらも自分の席に座る。
シンの席は、父と反対のお誕生日席だ。
最初は父親と距離が遠いということで嫌がっていたようだが、今では父親の顔が良く見えるこの席が気に入っているようだ。
シンが席に座ると、シンの父親は待っていましたと言わんばかりに、大袈裟な仕草で声を発した。
「さあ!食卓の中央にある、お前も気になってただろうそれが何か、教えてやろう!なんと、これだ!」
そうシンの父親が言うと、食卓の中央に最も近い席に座っていた妙齢の男性が立ち上がり、箱の包装を解き始めた。
少しして白のリボンが解けると、その中に入っていたものが姿を現した。
それは、辞典ほどの分厚さがある、一冊の本だった。
深淵を思わせる真っ黒な表紙に、黄金のドラゴンが装飾されたその本には、こう書いてある。
――スキルブック――
これにはシンだけでは無く、俺も同時に疑問を持った。
スキルブックとは、なんだ?
「それは、スキルブック。人が超常現象を起こすことが出来るようになる本。簡単に言えば、お伽話に存在するような魔法などが使えるようになる本だ」
そう聞いた瞬間、心を揺らされたような衝撃を感じた。
魔法。
それは、俺の世界では有り得なかった超常現象。
誰もが妄想し、憧れ、どれだけ研究されても遂に発見されることが無かった存在。
そして、俺は今の今までシンの住む世界にも魔法など存在しないと思っていた。
当然だ。
シンの人生を長く見続けていたが、魔法という名前自体、お伽話にしか出てきていなかったのだ。
やけにリアリティのある話だとは思っていたが、まさか実在するなどとは思いもしていなかった。
これには、シンや俺だけではなく、屋敷に仕える皆も驚愕している。
どうやら、シンや俺が無知なだけという訳では無かったようだ。厳しいが物知りな、まるでシンの先生のような存在の彼女ですら知らなかったようだ。ポカンと、開いた口が塞がらないというような顔をしている。
驚愕で誰も口を開けないと判断したのだろう。 シンの父親はおもむろに語り出した。
「それは、最近王都で出回り始めるようになった代物だ。皆が知らぬのも無理はない。皆が此処に住み始めた後の事だからな。俺も魔法が実在するなどにわかには信じられなかったが、シンの誕生日プレゼントに丁度良いと思い、購入した」
そんな未知の物体を息子の誕生日プレゼントするなよ。
もし危険物だったらどうするんだ。
皆が息を呑む。
数人は完全に恐怖しているし、他にも顔を険しくしたり、胡散臭そうな目でスキルブックを見ていたりしている。
まさに十人十色と言えるような反応だが、全員に共通しているのは良い反応では無いことだろう。
皆の反応でスキルブックがよく思われていないということが分かったのか、シンの父親は慌てたようにまくし立てる。
「あ、安心してくれ。それを製作したのは怪しいお婆さん、とかではない。王家が製作し王家が安全と効果を保障したものだ。それによる危険は限りなくゼロに近いはずだ。値段も相応にしたしな」
そう説明するシンの父親の真剣さと、王家という絶対の存在が製作したのだと聞き、少しは皆の表情も緩んだ。
完全には信じきれていないようだが、一先ず信用するに値したようだ。
皆を見渡し、スキルブックの安全に対して不服を申し立てるものがいないことを確認すると、シンの父親は先の調子を取り戻した。
「ということで、だ。早速だがシン、スキルブックの表紙をめくってみてくれ。表紙をめくると、表紙をめくった対象者にスキルブックの効果が発動するらしい」
そう聞くとシンは即座に席を立ち、食卓の中央にあるスキルブックに近づいていく。
父親の言葉を信用しているのか、あまり話が理解できなかったのか、シンの胸中に不安は無かった。あるのは、ドキドキと胸を高鳴らせる期待だけのようだった。
そして、シンがスキルブックの目の前に到着した。
「じゃあシン、スキルブックの表紙をめくってくれ」
シンの父親のめくってくれ、という言葉が耳に入ると同時に、シンの手は真っ直ぐスキルブックに向かう。
そして、シンの指先が表紙に触れ、いよいよめくる時となった。
その瞬間、シンを含む全員の目はスキルブックに釘付けになっていた。
そしてその瞬間、一筋の落雷と共に人類最大の脅威が屋敷の目の前に現れた。