人間
初めに感じたのは、後頭部を包む柔らかな感触だった。それは枕のように柔らかで、尚且つ不思議な安心感を与えてくれる。
俺は……寝ていたのか。
自分が何故寝ているのかを思い出す。
同時に、そうなった理由も思い出して顔を歪ませた。
みっともねぇ……。
一晩寝たら忘れると聞いた事があるが、やはりそんな訳はあるまいと再確認する。
寝る前に何が起こったかは今も鮮明に脳裏に浮かんでいて、胸中を苦い思いで一杯にしている。
幸い、時間が空いたお陰か思考は冷静だった。
取り敢えず、起きて現状の把握をしようという判断は取れた。
分かっていない事だらけだからな。
そう考え、俺は目を開けた。
すると其処には、少女の顔があった。
端正な顔立ちに、透き通るような青の瞳。
あの、少女だ。
…………何故?
彼女の青い瞳は此方をじーっと捉えている。
まるで、観察対象を興味深げに見るような目つきだ。
きっと彼女は、将来研究者になるに違いない。
知的な雰囲気を漂わせる彼女には、ピッタリだと思う。
そんな馬鹿な事を夢うつつのなかで考えていると、彼女はパチリと瞬きをして小さく呟いた。
「起きた」
こんな時はどうすればいいのだろうか、そうですねとでも返せば良いのか。
少女に化け物と言われ、青ざめるほどに怖がられた事で発狂して失神。
起きたら、その少女に膝枕をされている。
事実は小説よりも奇なりと言うが、こうなった背景が分からないので、驚きを通り越して寒気まで感じてしまう。
「おはよう」
取り敢えず、挨拶からだ。
第一印象が悪くても、後々の行動で印象は変えられると聞いた事がある。
出来るだけ爽やかに、俺は笑った。
「おは……よう」
彼女は、何故か赤面している。
陽に当たっていないのか、透明感のある白色の肌に差す赤色は酷く目立っていた。
もしかするとだが、俺の笑顔で照れているのだろうか。
嬉しくないと言えば嘘になるが、それはそれで彼女の将来が心配でならない。
相当なべっぴんさんなんだ、悪い男に簡単に騙される様子が簡単に目に浮かぶ。
俺はサッと起き上がると、少女の対面に座った。
「其処に、正座しなさい」
彼女は、俺に膝枕する為か、元々正座している。
だが、最初はこれと俺の中で決まっているのだ。
首を傾げる彼女を無視して、俺は続ける。
「女性が、簡単に男に膝枕なんてしてはいけない。男はケダモノ、そう思え。ケダモノを膝に乗せるとか鳥肌もんだろ?」
「ごめん、なさい」
彼女は、何が何だか分かっていない様子だが、俺の雰囲気から怒られているとは察したらしい、目をうるうるとさせながら、謝罪の言葉を口にした。
いや、そんなにならなくても……。
何が彼女をそうさせているのか分からないが、彼女の表情は嘘のようにコロコロと変わる。
こんなに悲しそうに謝られては、叱るどころではないではないか。
そもそも、気恥ずかしさから冗談のつもりで始めたのだ。
そんなに真面目に受け取らなくても良いんだが……。
俺が言葉に詰まっていると、彼女は追い討ちのように声を上げた。
「男の人は、膝枕をすると落ち着くって、本に書いてたから」
なんて本を読んでいるんだ。
いや、間違ってはいないけれども。
「貴方、落ち着いて、なさそうだった、から」
それは、そうだ。
もはや、発狂していたからな。
先とは逆に俺が赤面してしまう。
俺が一人で悶絶していると、彼女は不意に、涙を流した。
「だから、お願いです。ごめんなさい。嫌いに、ならないで」
彼女の涙を見て、直感で思った。
彼女には何か、ある。
情緒不安定で、且つたどたどしい喋り方。
何もないと言う方が怪しい。
「嫌いにはならないよ」
目の前で大声を上げられているのに気が付かなかったり、おしとやかな雰囲気なのに可笑しな驚き方をしたり。
俺のことを化け物と認識したり、それなのに嫌いにならないでと涙を流したり。
今、目の前で酷く狼狽している彼女は、不思議で一杯だ。
だからこそ、彼女を知りたい、彼女を救いたいと思った。
「なんなら、俺たちは友達だ」
そう言うと、彼女は花のように笑い、涙を流した。
それは、先程までとの涙とは正反対の、とても嬉しそうな涙だった。
******
「大丈夫か?」
そう俺が問い掛けると、彼女は小さく頷いた。
「はい」
どうやら、やっと落ち着いたようだ。
余程嬉しかったのか「友達……?」と何回も繰り返していた。
俺が肩を叩いて声を掛けなかったら、延々と呟いていたのではないだろうか。
どうやら、彼女は一つの事に集中すると周りが見えなくなるタイプのようだ。
彼女の場合、少しいきすぎている気がするが……。
まあしかし、これで漸く聞きたかったことが聞ける。
俺のおふざけのせいで、少しどころか大きく脱線してしまった。
だが、ここからが本題だ。
「君は、誰だ?」
最初に浮かんでから、その疑問は頭から離れなかった。
此処は屋敷の一室。
つまり、俺は彼女と同じ屋根の下で暮らしていたと言うこと。
だが、俺は彼女のことを知らない。
最初は、屋敷に住む誰かの隠し子かと疑った。
だが、その考えには無理がある。
隠し通すことが、非常に困難なのだ。
生まれたばかりの赤ん坊はとにかく泣き喚き、親をノイローゼにさせる程に手間が掛かる。
その隠蔽を続けるのは、現実的ではない。
まず前提として、隠す理由が見当たらない。
だから、理解出来ない。
彼女が何故此処にいたのか。
俺と彼女の間で静寂が流れる。
何か、やましいことでもあるのか?
だが、そうとは思えない。
言うなれば、俺は彼女を信用しているのだ。
彼女の涙には嘘偽りない想いが込められていると俺は思った。これは、前世で偽りの涙を限りない程に見てきた俺が自信を持って宣言できる事。
だからこそ、単刀直入に聞いたのだ。
なら、答えにくいとかか?
少し抽象的すぎる質問だったかもしれない。
初対面で君は誰かと問われても、名前を言えばいいのか、身分を言えばいいのかさっぱり分からないだろう。
俺が少し質問を変えるかと口を開こうとすると丁度、それを防ぐように彼女は声を上げた。
「分からない、です」
困ったように、彼女は言った。
「分からない、だと?」
「はい、私自身、私が分からないんです」
彼女の表情には、影が差している。
それは、本当に分からないという事と、彼女自身それで悩んでいるという事を、如実に表していた。
どうやら、嘘ではないようだな。
「分からないとは、どういうことだ?自分の名前が分からないということか?」
もしそうなら、少し申し訳ないことを聞いたなと後悔する。
だが彼女は、予想の遥かに上を行く事実を俺に告げた。
「それも、なんですけど。人って、食事やトイレが必要と本には書いてあります。だけど、私は全部要らないんです。じゃあ私が何なのか、そう思ったんです。でも、幾ら本を読んでも、答えが見つからないんです……」
……驚いた。
彼女はもしかすると、人ではないという。
俺の前世でも、限りなく人に近づけられた精巧なロボットは生まれた。
だが、それは人でない。
どれだけ人のガワに似せても、心のこもっていないそれは所詮、ただのロボットなのだ。
だが、彼女は違う。
触れた彼女の体には命が灯っていると感じられたし、彼女の苦悩の様子は人と何ら変わらない。
俺が驚きで言葉を発せれないでいると、彼女は独り言のように語り出した。
「先程は、すみません。化け物なんて言って。それにより、取り乱させてしまったようで」
「……ああ」
「本には、人殺しは化け物と変わらない、と書いてありました。貴方、血塗れだったから……」
成る程、改めて自分の装いや腕を見ると、確かに血で塗れていた。
化け物と戦う際に着いたのだろう、あの時は一心不乱だったせいか気が付かなかった。
その本を読んでいなくとも、突然血塗れの人が現れたなら恐怖するだろう。
「ですが、私の勘違いでした。本当は優しくて、その血にも何か訳があるようですし。それに、私達みたいな子供に殺すことなんて出来る筈が無いですもんね」
そう言うと、彼女は優しく笑った。
最後の言葉が耳に痛いが……。
「本当に、ごめんなさい。どちらかと言えば、化け物は私の方なのに……」
彼女は自嘲するように、フッと笑った。
彼女は強がって何でもないようにしているが、ふと目を伏せた彼女は儚げで、今すぐに壊れてしまいそうだった。
自分の忌避する化け物という存在に、彼女は自らを重ねてしまっているのだろう。
恐らく、それが彼女の悩みの根本となっているのだろう。
だが、違う。
それは違う。
それだけは断言できる。
「それは、違う」
いきなりな力強い反論に、彼女は訝げに目を細めて此方を見る。
「君は、化け物ではないよ」
再度、俺が確認するかのように言うと、彼女は弱々しくだが初めて反論した。
「でも、私は……」
「君は、化け物なんかじゃない」
俺は、彼女の反論を遮り、もう一度宣言した。
頭ごなしに否定されていると思ったのだろう、彼女は大きな声で強く反論した。
「でも、私は人の形をしているのに、人じゃないかもしれないんですよ!?」
その悲痛な叫びは、彼女自身に向けられているような気がした。
だが、そんなことは関係無い。
もし、彼女が人ではない何か恐ろしいものだったとしても、彼女は化け物ではない。
「関係無い。君は人以上に苦悩して、泣いたり、笑ったりしている。君は紛れもない、人だ。心が、あるんだ」
「でも、でも……!」
今は、納得出来ないかもしれない。
そんなに、彼女の悩みは軽いものではないのだ。
俺の言葉一つで取り払われる程度の傷ではない。
だが、これから進んでいけばいい。
いつかゴールに辿り着ければいい。
それが何年、何十年掛かったとしても。
今、俺は決めた。
これは、その第一歩だ。
「君は、俺と同じ人間なんだ」




