19 母さん助けて
それはある晴れた日の昼下がり、芹沢和代が掃除をしている時だった。
普段は静かな和代の携帯電話から、呼び出し音が鳴った。不思議に思いながらも出る。
「もしもし、母さん?久しぶり!健太郎だよ」
「あら、ホントに健太郎?」
「うん」
それは息子からだった。久しく聞いていなくても、あの声を間違えるはずが無い。
「あんた何やってたの?本当に心配してたのよ!十年近く電話ひとっつもよこさなくて」
「ごめん、ごめん。今大きい仕事やっててさ。一段落ついたら、親孝行しに帰るよ。お母さんの肉じゃが、久しぶりに食べたいしね。ただ、ちょっと困ってて……」
「どうしたの?」
「上司から保証人を押し付けられて、断り切れなくてね……気付いたら上司が失踪しちゃって……借金取りも来て、かなりヤバいんだ……」
「あらまあ。幾らなの?」
「一週間以内に三百万必要なんだけど」
「そうねえ……保険を解約すれば、出来ない事も無いけど……」
「ありがとう!助かるなあ」
「あんた、今度のお盆にはちゃんと帰って来るの?」
「うん、絶対帰るよ」
「ホント、しっかりしてよ。お父さんも長くないし、跡継ぎのあんたが親戚付き合いしてくれないと」
「分かった分かった。で、受け取り先だけど、ちょっと銀行の口座も止められてて、駄目なんだ」
「あら、そうなの。ホントにあんた、何やってんの?大丈夫?」
「まあまあ。それで方法だけど、紙袋につめて国大寺駅前の銅像あたりに、明日の2時半頃来てくれないかな?直ぐに行くから」
「分かったわ」
曇り空の翌日、和代は指定された駅前へ向かう。
郊外のベッドタウンとして四十年前に完成した駅前広場は、行き交う人もまばらであった。
福沢諭吉の一万円札三百枚入の紙袋はずっしりと重く、年寄りの身には運ぶのも一苦労である。
だが和代は健太郎の事を思えばこそ、重さに耐え懸命に運んで来た。
ここまで来るときも、緊張で周りを何度も何度も見渡してしまい、挙動不審に思われただろう。
幾度も後ろを振り返れども、怪しい人間はいない。和代は銅像の前にきっちり立ち、健太郎を待つ。
何年も経とうが、我が子を見間違えるはずがない。それだけは確信がある。
会って最初に、何を言おう?
中学の頃は同級生を孕ませたりバイク運転がバレて補導されたりと、世話が焼ける子だった。
その度に頭を下げるのが、日課のようだった。今となっては、良い思い出だ。
長女は既に嫁いで伊藤家の嫁だし、次女もそろそろだ。夫が倒れたら、健太郎しか頼れない。
夫の暴力に耐えきれず出て行った健太郎も、夫の体が弱った今、戻って来るかも知れない。
私も来月で72歳。もう齢だ。良い機会だから、健太郎と一緒に住めるよう夫にも説得しよう。
和代はこれから訪れる刻に思いを馳せ、すっかり周りの確認を忘れてしまった。
気がつくと一台のロボットが、和代に向かってきた。
某社のテレビCMに出るペッピーとそっくりだ。見覚えがある。
するとそのペッピーは和代の前に止まり、話しかけて来た。
「母さん、ありがとう。とても助かったよ」
その声は、紛れも無く健太郎だった。
「借金取りに見つかると母さんにも迷惑かけるから、遠隔操作してるんだ。ペッピーの中に袋を入れて」
そういうとペッピーのお腹がカパッと開いた。
言われた通り、幸代は持って来た紙袋を入れた。
緊張と重さで少しよろけるが、すっぽり入った。
「ありがとう。じゃあお盆には帰るからね。父さんにもよろしく」
言い終えるや否や、ペッピーの背中から羽根が幾重にも伸びたかと思うと、ヘリコプターのように天に舞い、遥か彼方へと消え去っていった。和代は息子と会えなかった不幸を嘆くものの、飛び去るペッピーに願いを込め、見えなくなるまでじっと空を見つめていた。
念のためですが、この作品はフィクションです。現実はもっと悲惨な事件が起きているようで、何とかして欲しいものです。。




