6 お転婆乙女
翌朝。
幸いにも雨が上がり、強制的に始まった王都へ向かう
二人の旅路は順調なスタートを切ったように思われた。
セラはエクエスに揺られながら
腕の中のシロを抱きしめ、その身を縮こまらせていた。
え、なにこの状況…!?と彼女の脳内は大混乱を起こしている。
原因は小さくなっているセラを後ろから覆い囲むように伸びる長い両腕にあった。
エクエスの歩調に合わせて揺れるので背後に当たらないように
必死の思いで腹筋に力を入れているが、悲しいが限度というものがある。
それでも必死に身を縮めて小さくなっているセラに
リュグナードは笑いをかみ殺した。
昨晩如何にか勝利したベッドの譲り合い戦争のあと、
早々に寝息を立て夢の世界へ旅立った少女からは思いもよらぬ有様である。
「…笑わなくてもいいじゃないですか」
「これは失礼。だがその反応が少々意外だったもので」
後ろから伝わる雰囲気で笑われている事を察し、
セラが少し拗ねたように苦言を漏らすとリュグナードは素直に謝罪を返す。
付け加えられた随分と素直な感想に
私だって緊張くらいするわよ…
っていうかこの状況に照れるなって方が無理!
何このむず痒い状況!!憧れっちゃあ憧れだけど、
どっちかって言うと美男美女を遠目から眺めてるくらいが丁度いいのに!!
とセラは内心で吠えたが、
素直に口にするのは癪だったので口を尖らせ次いでに声も尖らせて答える。
「…昨日も言いましたけど、
これでも一応”女としての自覚はある”つもりなんで」
「それは光栄だな」
照れもすると湾曲させて伝えたはずだがしっかりと汲み取られ、
その上何故か満足そうに頷かれれば悔しさに唸るしか出来なくなった。
不機嫌オーラを放ちながら黙り込んでしまったセラに
リュグナードは愉快に思うと同時に薄っすらと赤くなっている耳を見つけ、
そっと目を細めた。ほんの少し緩んだ口元に彼は気づいていない。
元々女性に人気があるリュグナードからすれば
見慣れているはずのそれなのに、彼は素直に可愛いと思った。
なんだかなぁ…
セラはもやもやした気持ちを持て余しながら心の中で呟いた。
彼女がそんな心境になっている理由は、リュグナードの騎士道にあった。
そりゃあ騎士様なんだから”貴婦人への献身”を徹底してるのはわかるんだけど、
いざそれが自身に適用されるとむず痒くて、照れくさくてしょうがない。
宿の中では兄妹を装っていたせいか”普通”だったリュグナードが
宿を出た途端に”そういう態度”を前面に押し出してきていて
セラは戸惑うばかりだった。
少し足場が悪いだけで手を差し出され、恭しく気遣われる。
目立つため宿近くの洞窟で一晩を過ごしたエクエスと合流し、
主人以外には懐かないと言われるエーデル=ベナードに何故か懐かれた。
驚きながらも都合がいいと判断したリュグナードに
「失礼」
と声をかけられたかと思えば
ぐいっと腰を掴まれあっという間にエクエスの上へ。
目を瞬かせている間に軽やかに自身もエクエスに跨った彼は
驚き固まっているセラを腕の中に閉じ込め冒頭に至ると言うわけだ。
なんてイケメン。
まさしく乙女の憧れ。
理想の騎士様と呼ぶに相応しい男である。
しかもそんな憧れの騎士様スタイルを崖から飛び落ちてくるような
非常識な女にも適用させてしまうくらいの寛大さである。
ちなみにエクエスと合流するまでの道中で居心地の悪さに音を上げたセラが
冗談交じりにその話題を上げ女性扱いしなくていいですよと告げた所、
真顔で危ないので今後そういうことは絶対にしないようにと釘を刺された上に
「女性への献身は騎士の務めであり、男としても当然のことだ」と
返されてしまい、口を閉じるしかなかったのだった。
イケメンがすぎる。
その時のセラの正直な感想である。
この状況に置かれてなければうっとりと眺めていたくなるほどの容姿、
程よく低く色気の滲む声に加え、性格までもがイケメンなんだけど。
ねぇどうすればいい?もう照れるしかないよね。
それ以外の選択肢ってある?というか照れるなという方が無理だろ!
それなのに笑うなんて…!
貴方にこういう事されてときめかない女がいるわけないでしょ!
むしろなんだか強制的にときめかされている気すらしてきた…
何て恐ろしい男なんだ…リュグナード=エルトバルド…!!
表には出さず大人しくしているが、セラの心は嵐の海の如く大荒れだった。
後ろに本人がいなければ頭を抱えたいくらいである。
「…さて、漸く宿についたな。
今日はちゃんと部屋が空いてるといいが…」
「そうですねぇ。
私としても二日連続で騎士隊長様をソファで寝かせるのはどうも…」
「心配すべきはそこじゃないだろう…」
「冗談ですよ」
うっすらと辺りが暗くなってきたころ、漸く森を抜けた。
舗装された石畳の道を北に向けて辿れば大きな石造りの建物が現れる。
立派な馬小屋を併設しているその建物こそが今晩の宿である。
先に降りたリュグナードが手を差し出すと
驚いた事にそれに習う様にエクエスがゆっくりと膝を折った。
このエクエスの行動には主人であるリュグナードも驚いたようだが、
一拍を置いて彼は何故か満足そうに頷た。
「さあ、手を」
「…どうも、ありがとうございます」
ずいっと迫ってくる大きな手に引きつった笑みを浮かべた
セラが手を乗せ、随分と低くなったエクエスの背から降りる。
どうやらペットが飼い主に似ると言うのは本当らしい。
主人が主人なら、ペットもペットで随分なイケメンっぷりである。
最も、エーデル=べナードをペットと呼ぶには随分と不釣り合いだが。
昼に一度休憩を取った時に今と同じように手を差し出してくれようとした
リュグナードに気づかず飛び降りたのが、余程気に入らなかったらしい。
ごめんなさいね、お転婆娘なもんで。
馬…じゃない鹿型のモンスターにまで窘められるとか悲しい…
でもしょうがないじゃない、
今までこんな扱いをされた事なんてなかったんだもの。
セラが無事に降りたのを見届けて立ち上がるエクエスに「ありがとね」と
礼を言いながら首筋を撫でると機嫌よさそうに鼻面をすり寄せてきた。
甘えるような仕草が可愛くてつい笑みを零すと、
焼きもちを妬いたシロが不機嫌そうに唸り声を上げる。
可笑しそうに笑ったセラが今度はシロの顎を撫でるのを
リュグナードは興味深そうに眺めていた。
こうして見ていると随分と穏やかで微笑ましいが、
実際は驚きに顎を外しても可笑しくないほどの光景なのである。
彼女の相棒であるヘル=ヴォルフもエーデル=ベナードも
本来はああやって気軽に触れることの出来るモンスターではない。
片や死の象徴とされ人々から恐れられている狼の王、
片や心根を見抜き人を選ぶと言われる気位の高い鹿の王だ。
どちらも最も危険とされるSランクに指定されるモンスターだというのに
彼女の前では最早ただの犬と鹿…随分な格下げっぷりである。
特にエクエス。
そんなデレデレなお前は初めて見るぞ。
俺にだってそこまで甘えやしないくせに。
リュグナードがそういう気持ちを込めた視線を送ると
すぐさまそれに気づいたエクエスがワインの様な赤い目を逸らした。
「どうしたました?」
「いや、何でもない。そろそろ中に入ろうか」
「はい」
リュグナードに促され、セラはフードを被り古いが立派なドアを潜る。
大きな宿屋だけあって昨日のように一室しか空いていないという非常事態は
当然の如く免れた。その事を知った時のリュグナードのほっとした雰囲気に
セラは自分も別々の方がいいのは確かなのに、なんかこう、釈然としない。
じとっとした目を向けると、慌てて謝罪された。
とりあえず部屋に荷物を置いてこようかと話していると、
丁度二階から降りてきた二人組の男の片割れが見知った外套に気づいた。
「…セラ?」
「あ?どこだ?」
「ほら、あそこの男の向かい」
「おっホントだ、セラじゃねェか!」
スラリとした方の男が呟くように見知った少女の名前を呟くと、
それまで腹減った!と騒いでいた大柄の男がそれに反応し辺りを見回す。
指さして教えてやれば、漸くお目当ての少女を見つけた大柄の男が
突然声を弾ませて「おーいセラ!久しぶりだなァ!」と叫んだ。
もう一人の男が「おいっ!」と慌てて咎めるも、後の祭り。
フロア中の視線を集める事になってしまい、
居心地の悪さに彼はため息を付いて肩を落とした。
だがそれもつかの間。
「…ルドガーとジェイル?」
突然大声で呼ばれ驚いた顔のまま二人を見上げた
セラの長い前髪の奥にある輝くアメジストが瞬き、
パッとその顔に笑顔が浮かぶのを見届けて彼もつられるように笑みを零すと
セラの後ろで偶然目撃したメイドが一人顔を真っ赤にしてパタリと倒れた。