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52 猫の決意

「ほな、行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」



そう言って見送った男が帰ってきたのは、夕方だった。

我が家の様な気軽さでその男、ヤールはとある店のドアを開く。

ベルが鳴って反射的に「らっしゃい!」と返した店員の男が振り返り、

ヤールの姿を見ると「じゃねぇや、おかえり!」と言ってニカリと笑う。

真夏の太陽の様な眩しい笑顔にヤールは一瞬、きょとんとしそれから

「ただいま」と笑みを返した。



「あいつら起きとる?」

「さっき見に行ったらみんな二日酔いで唸ってましたよ」

「そりゃ、自業自得やわ」



カラカラと笑いながらヤールが酒瓶がずらりと並ぶカウンターに座る。

それを見て男は珍しいなと思いながらも、いつもの酒を用意しようとした。

けれど「ジョゼフ」と静かなトーンで遮られ

「冷たい水がええわ」キンキンに冷えたやつといつもと違う注文が入る。

その事に驚きながらもジョゼフは「わかりやした」と返事をし、

水を用意しながらちらりとヤールの表情を盗み見る。

だが、意外と整っている横顔はいつも通り

何を考えているかはさっぱり読み取れなかった。

ただ、じっと前を見つめ何かを思案しているその様子は、

いつになく真剣な様子が見て取れて、ジョセフはそっと視線をはがした。



「お待たせしました」

「~~っ!…はぁ、ごちそうさん」



そっと目の前に置かれたグラスをヤールは勢いよく飲み干した。

注文通りよく冷えていたため、痛む頭に盛大に顔をしかめて席を立つ。

しっかりとした足取りで歩いていく猫背にジョゼフは無意識に声をかけていた。

「ん?」振り返る糸目はいつも通り。

けれど、



「頑張ってください!」



彼が何か重要な事を決意した事だけは、わかるから。

内容なんてジョセフには関係ない。

大事な家族が何かを決めたのなら、

話してくれるまで待つし、何なら例え話してくなくても応援する。

それがゼドロス商会と言う名の家族である。

ぐっとガッツポーズで唐突に応援されて、ヤールは一時停止した。

ぽかんと口を開けたその表情は、抜け目ないと

常々言われている姿からは想像できない程間抜けである。

あれ、俺間違えたか…?とジョゼフは不安になった。

「ははっ」一拍置いてヤールが笑う。



「おおきに。いっちょ、きばってくるわ」



照れくさそうにくしゃりと笑った顔にジョゼフは自分の言葉が

間違い出なかったことを知り、自然と満面の笑みを浮かべて

「行ってらっしゃい!」と階段を上る背中を見送った。


ヤールは扉の前で大きく息を吸った。

ゆっくり吐きながら、思い出すのは昨夜の馬鹿騒ぎと先ほどの会議室。

よし、と気合を入れて彼は扉を開いた。

「帰ったでぇ」と告げればあちらこちらから「お帰りぃ」と声が上がり、

のぞり、もぞりとそれぞれが丸くなっていたソファから顔を出す。

二日酔いに襲われている最中の彼らは揃って酷い顔をしていたが、

ヤールの表情を見た途端目を丸く見開いた。



「えっ、本当に!?」

「オヤジすげぇ…!」

「白猫がマジで白猫だった…!?」



どよめく彼らを気にすることなく、

ヤールは部屋の一番奥にある赤いソファに座る男を見据えた。

ゼドロス商会のボスであり彼らの育ての親である

クライヴは扉の前からじっとこちらを見据える”長男(ヤール)”を見て

「ほほぉ」と目を細めて笑った。



「オヤジ」

「この短時間でえらい男前な顔つきになりおって」



からかうようなクライヴの視線に煩わしそうに睨み返すヤール。

クライヴはそれに「悪い悪い」と返しながらも

込み上げる笑みを隠そうとはしない。

「そうか、そうか、ようやっと」嬉しそうなクライヴに

ヤールはそれ以上反抗するのをやめ、あちらこちらに転がる酒瓶に

気を付けながら一番奥の赤いソファを目指した。

向かいに置かれた昨夜セラが座っていたソファに腰を下ろす。

するとあっという間に家族たちに取り囲まれた。

全員が全員、からかいとそれを上回る期待を込めた目で

見てくるので正直、居た堪れない。

ヤールが最も苦手とする雰囲気である。

おしりの辺りがムズムズする。



「覚悟、決めたんやな」

「…おん」



居心地悪そうにしながらも、じっとしているヤールに

笑みをひっこめたクライヴが落ち着いた声で確認する。

ヤールは暫く視線を泳がせ、言葉を探しているようだったが、

結局は短い言葉と頷きだけを返す事にした。

真っすぐに見つめ返してきた息子の力強い頷きに、

「そりゃ、結構!」とクライヴは満面の笑みで手を打った。

兄妹たちも「めでたい!」「宴だ!」「酒をよこせ!」だのと大はしゃぎである。



「それにしても随分と早いお帰りやったなぁ」



ワインが入ったグラスを片手に上機嫌なクライヴが

「早くても明日の昼くらいかと思っていた」と笑うと、

すぐさま「嘘つけ」とヤールが吐き捨てる。

騎士団にはセラがいるのだ。

あのお節介焼きのお人よしが、

ヤールが捕まったと聞いてお節介を焼かないはずがない。

そのくらいヤールにだってわかる。



「お嬢のお節介は今に始まった事やないやろ?」

「ほんま、何処までお見通しなん?」



「あの子は昔から」と顔を合わせれば必ずと言っていい程聞かされる

昔話が始まる前にヤールが神妙な顔で問いかけると、

彼の表情が面白かったのか、クライヴは大笑いした。



「わっはっはっ!そない難しい事やないやろ?

 昨夜のお嬢の様子とあの子の性格を考えれば、すぐわかるこっちゃ!」



昔からセラと切って話せなかった”疑い”

強引な方法で手元に置いた”騎士団”


それだけで、セラが何者なのかが分かる答えだった。

クライヴにとってセラがヴェールヴァルド家の令嬢だった事はまあどうでもいい。

昔から心の片隅にあった疑問であり続けて欲しかった疑問に、

突然答えた与えられただけの話である。


騎士とのわだかまりはもっとどうでもいい。

多少の被害はあるが、それは子供たちをこの理不尽な世界で

強く賢く育てるのに役立っているとも言えなくはないからだ。

誤解が解けて、被害がなくなるというのなら、それはまたそれでいい。

どうせ生きている限り理不尽は後を絶たないし、

元より子供たちは兄弟たちに世話を焼かれ、

時には喧嘩をしながら勝手に強く育つのである。

間違った道に進もうとした時にだけ、クライヴの仕事があるのだ。


問題なのは、彼女がどうするのか、どうしたいのか。

ただ、それだけだった。


クライヴは悩んだ。

だから一度子供たちを呼び寄せる事にした。

彼女がどんな答えを出しても、手を貸せるように。

セラはクライヴにとって子供たちと同様に守るべき存在である。

クライヴは昨夜のセラを見て早々に自らの答えを出した。

その答えに乗るとヤールは先ほど覚悟を決めたのだ。


教えてくれるのは有難いが、笑いすぎて時々盛大にせき込むのは

やめて欲しいと彼の背をさするヤールは思った。



「…そーかもしれんけど…

 ワイはまだ信じとぉない気持ちも生きとるってのに…」

「そう言えば、ちゃんと”依頼された商品”は届けられたの?」

「当たり前や。ワイを誰やと思うとるん?」

「没収されたりはせんかったん?」

「されたわ。やけど妖精さんかて”飴ちゃん”は盗まんやろ?」

「あぁ、なるほど。上手い事やったなぁ」



ぶつくさと文句を垂れるヤールに

黙って2人の会話を聞いていた他の兄弟たちが割って入る。

それにヤールはニヤリとした笑みを返し、自慢げに胸を張った。

そして昼間に見たセラのオーバーリアクションを思い出してクスリと笑う。

手紙の件を思い出し、耳だけをこちらに傾け静かにグラスを傾けている

今日王都入りした兄弟たちに「ナシアス、スコット、手紙よろこんどったで」

声をかけると「そりゃよかった」「あいつらも喜ぶよ」と静かな笑顔が返ってきた。

実はこの2人はヤールよりも年上の”弟”なので、

他の面子と比べて随分と落ち着いていて物静かなのだ。



「それにしても”決め手”がヤールらしいわ」

「父親としてのヴェールヴァルド卿はヤールの

 お眼鏡にはかなわなかったという事かい?」



グラスではなく、瓶に口を付けて飲み、

絡んでくる兄妹たちをヤールは呆れた顔でかわしていた。

しだれかかる柔らかい体を押し返し、

飛んできた質問にヤールは「いいや」すぐさま否定を入れる。



「ヴェールヴァルド卿は、父親としてもええお人やった。

 お嬢の記憶がないせいで、なんやちょっと可笑しな事になっとる

 みたいやけど、それでもあの人がお嬢に心を砕いとるんは、

 傍から見てるだけでも、伝わってきたわ」



思わずあの鋭いアメジストを思い出し、ヤールはゾッとした。

何も話し合い中、ずっとそんな目を向けられていたわけではない。

ただ、ふとした瞬間、例えばセラとアイコンタクトを取ったりした時に

向けられたあの視線はヤールが知る中で、最も恐ろしかった。

けれどもセラに向けられる視線はヤールに向けるものとは真逆で、

慈愛に満ちた、優しいものだった。

若干の戸惑いと迷いが垣間見れた事でヤールはこの親子の事情を何となくではあるが察した。

正直最後の方はゼドロス商会云々の話よりも、

セラをどうしようとしているのかが、気になって仕方がなかったヤールである。

空気は読める男なので、セラが不利になりそうだと

察して、込み上げる疑問を無理やり飲み込んだのだった。



「…他のお偉いさんたちも、女王陛下も、

 俺らが知っとる騎士や貴族たちとは正反対のお人やったわ。

 昨日聞いた時は信じられへんかったけど、

 会って話してみるとお嬢がつい”お節介”を

 焼いてしもうたくなる気持ちが、ようわかる」



彼女はあの場で本当に大事にされていた。

それは外面だけでなく、心も、ちゃんと。

セラの言葉が人の心に届き、動かすものだという事はヤールもよく知っている。

身を持って知っているそれが、彼らに通じないわけがないのだと

わかっていても。



「ならなんで?」



取られたくないと、思ってしまった。

ヤールの瞼の裏にいるセラはいつだって自由だ。


自由であるための強さを、

強くいるための自由を、

彼女は心から愛している。


それをヤールは知っているから。

ヴェールヴァルド卿や、ご家族には心底申し訳ないけれど。

この決意を、許して貰えるとも微塵も思ってはいないけれど。

でも、それでも。



「あそこは、お嬢には窮屈すぎる」



あの笑顔が陰ってしまうくらいなら。

あの艶やかな髪が見慣れた漆黒であるうちに。

受け入れられずに、自由を諦めきれない、

今ならば、まだ間に合うから――



「シロに頭からぱっくりいかれんように気ィつけぇよ」

「オヤジ…それ、ほんま洒落にならへん」



ケラケラと笑って告げられた、

たった今まで綺麗サッパリ忘れていた存在にヤールは真っ青になった。


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