50 冷や汗
「…そんで、ワイにまでこんな席を用意して一体なんの用です?」
そう問いかけるヤールはセラとじゃれていた時の
気安さを微塵も感じられない程にそっけなかった。
人を食ったような掴みづらい雰囲気を纏い、
とげとげしい物言いにセラが彼の長い襟足を引っ張る。
がくっと後ろに頭が倒れ「っ、」小さく声を
漏らしたヤールがじとりと隣を睨んだ。
けれども残念ながらアメジストはチラリと一瞥をくれただけで、
すぐさま視線は逸れてしまう。
言ってやりたい事も、聞きたくない事も山ほどあるのに、
セラのそんな態度を前にヤールは渋々口を閉じた。
「まずは謝罪を。貴殿が捕らえられるまでに
どういう経緯があったかは知らぬが、
騎士たちの対応が過剰だった事は先ほどの怪我で一目瞭然だ」
ほらみろ。
聞きたくない言葉が的中した。
騎士団を代表して頭を下げたリナルドを見てヤールは心の中で舌を打った。
けれども表情に出す事はしない。そこまで可愛い性格はしていないのだ。
だから仮面をつける。「いややわぁ」思いのほか柔らかく響いた声と
笑顔という仮面をつけた拒絶は何よりも強固なものとして立ちはだかった。
サバトラという猫に関するの二つ名を持つくせに、
一見人懐っこそうに見えるその笑みは糸目も相成って
抜け目なく、賢いキツネを連想させる。
目が笑っていない事が大きな要因だろう。
「騎士団長様ともあろうお方が、
そんなんで頭なんて下げんといてや。
あんな傷くらいどーってことあらへんし。
こっちが甘く見とっただけやわ。
いつもなら逃げれとんのに、流石王都の騎士様たちやわぁ」
ヘラヘラとした態度でツラツラとそう述べた
ヤールはふと自身の矛盾に気が付いた。
そして目を丸くしてこちらを見つめる視線に居た堪れなくなり、
フイっと視線を逸らして小さく唸る。
「…ってなんでワイ、騎士を庇うような事言うとんねやろ…」
「ヤールは根っからの天邪鬼だからねぇ」
無意識だった先の言葉に、自分でも呆れながらぽつりとそう漏らすと
隣から呆れたような哀れむような視線と共にしみじみとそんな事を言われる。
咄嗟に「やかましいわ」と文句を返したが、
実際セラの言う通りなのでため息が漏れた。
天邪鬼な性格故にとりあえず相手の言葉を否定してしまう癖があるのだ。
ヤール自身自覚しているだけに気まずかった。
「この人らが騎士らしくないのが悪い!」
「まぁ、そう警戒しないでくれたまえ。
双方の誤解を解き、間違いを正したいだけだ。」
責任転嫁し吠えるヤールにセラが言葉を返す前にエリオルが割って入った。
この2人に好きに話させていては、いつまで経っても会議がすすまない。
それはこれまでのやり取りで明白だった。
他の面々は報告書から想像していた”サバトラ”のイメージと
かけ離れているヤールを何とも言えない気持ちで眺めていた。
セラとのやりとりを見る限り、癖はあるが気さくな青年としか思えなかった。
「誤解…お嬢、また勝手にお節介したやろ」
「堪忍やて」
「それのどこが謝っとるちゅーんや…いつもの誠意はどないした」
じとりとした目を向けてくるヤールに
セラはえへっと笑って誤魔化した。
ヤールは呆れてため息を付く。そしてぐるりと視線を巡らせ、
セラのお節介がどの程度のものなのかを見極めようとした。
それによりこれから取るべき態度が変わるからだ。
「だって」思考を遮る様にセラの声が割って入る。
無視する事が出来ずに横目で彼女を見やると、
真っすぐなアメジストと目が合いヤールはしまったと思った。
「どっちもいい人だって知っちゃったんだもの」
まるで子供の言い訳だ。
けれど、それは的を得すぎている。
「過ちを認める事が出来ないのなら放っておくけど、
正す事が出来るのなら、そうするのが一番でしょう?
まぁ、ヤールは嫌がるだろうと思ったけどね」
最後には申し訳なさそうにこちらを伺うアメジストに
ヤールはこれやからこのお嬢はずるいんやと内心で呟く。
自分の言葉が正しいのだと、ただそれだけを主張してくれたのなら、
まだ言いがかりをつけることは出来た。
けれどもこちらの気持ちを考えた上での、
判断というのが、長年の付き合いでわかるから。
「…ワイかてそんな子供とちゃうわ。
被害を減らせるのなら、それが一番やとは思うとる」
そして何より、それが最善なのだという事は明白で。
ヤールは駄々をこねる心をぐっと抑え込んだ。
それはヤール一個人の立場ではなく、
ゼドロス商会の若旦那としての判断だった。
ヤールはセラを信頼している。
それは人柄だけでなく、人の本質を見抜く目を持つ人間としても。
これまでにその様子を目の当たりにしてきたのだ。
長い付き合いは伊達じゃない。
だから、まだ騎士になって2週間ほどであろうと
実際に接して”いい人たち”だと彼女が言うのなら、
本当に信頼に値する人たちなのだろうとヤールは思う。
それでも正直な気持ちを言わせてもらえるのなら、
嫌だ、嫌いだと言いたい所ではあるが。
どうやら、セラにそんな思いを持っているのは
自分だけではないようだとヤールは気づいた。
こちらに向けられる視線に見下したり、
軽蔑するような色が見受けられない。
普通ならば、ただの小娘の戯言だと
相手にしてもらえない話だろうとヤールは思う。
自分だってセラが相手じゃなきゃ、信じやしない。
セラが相手だから、ゼドロス商会の若旦那である自分に対しても
この反応になっているのだろうと気づいて、ヤールは内心で眉をひそめた。
お嬢が凄いんは知っとるけど、
流石にこの状況は可笑しいんとちゃうか?
そりゃ、お姫さんと陛下たちの溝を埋める事に
一役買ったちゅーんは、大きいかもしれへんけど…
この大層な面子がここまで、このお嬢の言葉を重要視する理由はなんや…?
そこまで考えた所で、ハッとした。
次いで先ほどからグサグサと殊更鋭く刺さる視線の意味を悟り、
彼は一人青くなった。
これは、もしかして…
お嬢、本物の”白猫”やったんか……!?
ギギギ、とまるで油の切れた機械の様なぎこちなさでセラを振り返る。
明るいアメジストがそんな彼の不思議な態度にきょとんと瞬いた。
可愛いがそれどころじゃない。
なんやこの状況。
お嬢どういう立場でここにおんの…??
5,6歳までの記憶がないんは知っとるけど…
え、あれ。ほんまどういう状況なん??
ヤールは軽くパニックに陥った。
ぐるぐる回る疑問を今ここで問いかけてもいいものか…。
いや、これは多分下手な首の突っ込み方したら、えらい目に合うやつや。
そう判断したヤールは
「…あー、しゃーないなぁお嬢がそこまで言うんなら。
ワイに答えられる事ならお答えしますわ」
とりあえず、話しを進める事にした。
へらりと笑って微妙な敬語になった彼にエリオルとセラの眉がぴくりと動いた。