44 幻の白猫
「リュー兄…どうしてここに?」
「”報告”が入ったからな。
場所については勘と言いたい所だが、実はエリオル様に教えていただいた」
合流したリュグナードにアルフェリアは
気まずさから視線を行ったり来たりさせながら問いかける。
そんな彼の頭にリュグナードは呆れた様子で
手加減なしのデコピンをお見舞いする。
余りの衝撃に思わず額を両手で押さえ涙目で呻くアルフェリアを
見てマルコは顔を青くさせた。音だけでも痛いのがわかると
彼は自分がされたわけでもないのに涙目である。
「昼の時に気づいてたんだろう?ならすぐに報告しろ」
暗闇でキラリと光ったダークブルーにひたりと見つめられ「次はないぞ」
釘を刺されてアルフェリアはしゅんとした様子で「…はい」と素直に頷いた。
そしてリュグナードからの返答にそりゃそうかとアルフェリアは納得した。
”サバトラのヤール”が王都に入れば、例え他の幹部がいなかろうが大問題だ。
彼はこれまで王都にだけは足を踏み入れた事がない。
「…エリオル様が、どうして?」
「会ったのは偶然だが、元々エリオル様がゼドロス商会を
気にしてらしたのはアルだって知ってるだろう?
この店が怪しいと前から踏んでいたそうだ」
「そうなんだ」
痛みから立ち直ったアルフェリアの問いかけに
リュグナードは先ほどエリオルから聞いた言葉を返す。
すると2人は感心した様子で「「流石エリオル様」」と声を揃えた。
そしてエリオルがそう言うのならやっぱり黒で間違いないのではと
2人の脳裏は同じ答えをはじき出したようだ。
頷きあってリュグナードを振り返った2人が何を言い出そうとしているのか
予想がついた彼は「駄目だ」とキッパリ先手を打った。
出鼻を挫かれて口ごもる2人にリュグナードは諭す様に言葉を続ける。
「今どうこうできる話じゃないのはお前たちもわかってるだろう」
「ですが、今踏み込めばもしかしたら一斉に摘発できるかも…」
「悪事を働いたという確かな証拠もないのにか?」
「うっ…」
何処となく不満そうな2人にリュグナードは固い声で正論を返した。
ご最もなその切り返しにマルコは呻いた後「…ですよねぇ…」と小さく呟いた。
隣でアルフェリアも肩を落としている。
証拠もなしに踏み込むには相手が大きすぎる事は2人も重々承知していた。
そんな2人から視線を外したリュグナードは
つい先ほど別れたばかりのエリオルを思い出した。
「私も帰る所だ。乗っていきたまえ」という彼の申し出を有難く受け入れ、
リュグナードは門が吹き飛んだままのヴェールヴァルド邸の前まで
馬車で送ってもらった。
その際話した内容を思い出し、彼は眉をひそめ何故かマルコを振り返った。
リュグナードのその表情は無意識だったのだが、
それを見たマルコはその恐ろしさに身を縮こまらせひぃいい!と
叫び出しそうな悲鳴をどうにか飲み込んだ。
「マルコ、遅くまですまなかったな。後は俺が代わる」
「えっ?でも…」
何を言われるのやらと戦々恐々としていたマルコだが
リュグナードの言葉に呆気にとられる。
ぽかんと開いた口が何とも間抜けではあるが彼の素直な人柄を
そのまま表していて、アルフェリアが彼を気に入っている理由が良く分かった。
えっリュグナード様と交代?
いやいや、最近特に忙しそうだし、
ここは俺が残って休んでもらった方がいいんじゃ…?
戸惑うマルコがどうしよう?とアルフェリアを
見やれば彼は「いーよ」と言ってにこりと笑い、すぐさま苦笑いに変えてこういった。
「こうなったリュー兄は頑固だからね。
ありがとう、突然無理言ってごめんねマルコ、助かったよ」
「…わかりました。
ではお言葉に甘えさせていただいてお先に失礼します」
アルフェリアの言葉と苦笑いの中に
自分では立ち入れない何かがあるのだと悟ったマルコは素直に受け入れる事にした。
マルコはただの剣騎士である自分と彼らとの差をきっちりと弁えている。
何より厄介事に自ら進んで首を突っ込みたいとは思わないし、
第一そういう厄介事は適任者に任せておくのが一番だと彼はそう理解していた。
一礼して去っていく背中を見送った2人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
「面倒な事になったねぇ…流石のエリオル様も
今回の事には頭を抱えてらっしゃるんじゃない?」
「いや、少なくとも俺の目にはいつも通りに見えたけどな…
寧ろ”幻の白猫”についての謎が解けたとスッキリした様子だったぞ」
「そうなの…?まぁ、エリオル様の考える事なんて
俺には到底予想出来る事じゃないだろうし、
任せておけば大丈夫だってわかってるから、いいや」
エリオルの心情を思い心配そうに問うた
アルフェリアはリュグナードの答えが意外だったようだ。
えぇ…?と不思議そうに首を傾げてから、投げやり気味に結論を出した。
その大雑把な信頼の仕方にリュグナードは苦笑いを浮かべたが、
言わんとしている事が分かるだけに言葉は飲み込んでおく。
「それにしても何でセラちゃんが”白”猫なんだろうね?
どっからどう見ても”黒”猫じゃない」
「さぁな。存在を隠すためにわざとそう呼んだんじゃないのか?
それか既に黒猫がいるから、とかそのあたりが妥当だろう」
「そっか…白猫って名前の黒猫だったんだ…
通りで見つからないわけだよ」
トレードマークであるセラのポニーテールを思い出し、
アルフェリアが首を傾げると道中で同じ事を考えていた
リュグナードから恐らく当たりだと思える答えが返ってきた。
納得したように頷き、力なく呟いたアルフェリアの言葉に
「まったくだ」とリュグナードも同意し、ため息を付く。
捜索に駆り出された騎士たちを思うと不憫でならなかった。
リュグナードはエリオルと馬車の中で交わした会話の一部を思い出していた。
正直な話、ゼドロス商会の事よりもセラの様子見を続けているエリオルが
そろそろ動き出すのではないかとそちらの方が気になっていた。
だから思案顔で窓の外を眺めるエリオルの視線が向けられた時、
心臓が跳ねたのだとリュグナードはそう思った。
けれど
「リュグナードはゼドロス商会についてどう思っている?」
「どう、とは…」
静かな声が問いかけてきたのは違う疑問だったので彼はちょっと拍子抜けした。
いや、確かにそちらの案件も重要ではあるが…と思った所で
ゼドロス商会とセラに接点がある事を思い出し、
結局は彼女に行きつく事に気づきまた一つ心臓が跳ねた。
今度はひやりとした何かを伴っているそれに嫌な予感がしてならない。
「報告に上がっているままの組織だと思うか?」
「それは…どうでしょう。
……彼女が、親しくしている相手のようですし、
正直なところ、今は少し考えが揺らいでいます」
エリオルの問いかけに思わず口ごもった。
なんせこれまで彼らを限りなく黒に近い組織と認識して騎士団は動いている。
けれど。今、それを告げる事は憚られた。
それはセラをも黒だと言ってしまうようで、彼は躊躇したのだ。
これまでのセラの印象を塗り替えてしまう事を彼は無意識に恐れた。
それと当時に、湧き上がってきた疑問はこれまで見てきた彼女を
信じるが故のものであり、また同時に彼女を白だと
思いたいという気持ちから湧き出たものでもあった。
エリオルは自分が言った言葉の意味を考え込むように
押し黙ったリュグナードを見てそっと口を開いた。
「…あの子が関係しているから、か…」
考えと気持ちの矛盾に気を取られていたリュグナードは
ぽつりとエリオルが零した言葉を拾う事が出来なかった。
顔を上げると暗闇のせいで深みを増したアメジストがじっと
何かを見定める様に見つめてくる。
「エリオル様?」
「いや、なんでもない。兎に角ゼドロス商会との
関係については本人に聞かなければわからぬだろからな。
明日、直接話を聞く場を作る事にしよう」
「…そうですね」
どうかしましたか、とリュグナードが続ける前にエリオルは一度首を振った。
”その事”については今話す必要はないだろうという判断からだった。
今重要なのはセラがゼドロス商会とかかわりがある事。
白黒はっきりさせる時が来たのだと彼は思った。
まさか自分の娘がそのきっかけになるとは思ってもみなかったが、
これで長年のいたちごっこが終わるのだとすれば実に有難い事だった。
「それにしてもあの子が幻の白猫とはな」
もしかしたらセラにも灰が降りかかるかもしれないというのに、
いつも通り、いや寧ろ「これで一つ謎が解けた」と
何処か楽しそうな様子すら見せるエリオルに
リュグナードは「はぁ」と気の抜けた返事しか返せなかった。
「…エリオル様はセラちゃんがゼドロス商会の資源の源と噂される
幻の白猫ちゃんだったって知ってどうするって?」
「明日直接話を聞く場を設けるそうだ。
俺やお前を含めた”彼女”を知る幹部を立ち会わせるつもりらしい」
「あー…まぁ、ゼドロス商会が絡んでるんじゃ、
いくら相手がセラちゃんだったとしても
黙って見逃がしてあげれる話しじゃないからねぇ」
アルフェリアの言葉にリュグナードも難しい顔で頷いた。
そして静寂を保っている居酒屋へと視線を向ける。
こぽこぽと湧き出てきた感情から目を逸らす様に。
脳裏ではじっとこちらを見つめていた深い色合いのアメジストを思い浮かべて。
リュグナードはあの時のエリオルの様子が気になって仕方がなかった。
じっと見つめてくるセラよりも深い色合いをしたアメジストは
リュグナードの心の内を見定めていたように、感じてならないのだ。
俺は、何かを間違えている…?
浮かんだ疑問に恐らくそうなのだろうという答えは出ている。
けれど、肝心の間違いの答えはどれだけ考えても出て来なかった。