43 ゼドロス商会
その騎士はとある居酒屋を見張っていた。
時刻は真夜中で本来ならばもうとっくにベッドの中にいるはずだった。
なのに何故、こうして路地に身を潜めじっと見張りなんてしているのかと言うと。
「マルコ」
「アルフェリア、遅いぞ…!」
そう、この男アルフェリア=ベルセリオスのせいである。
夕方色んな意味で注目の的であるセラとシャーロット、
そしてリュグナードと共に城に戻ってきた彼と
仕事終わりのマルコが廊下で遭遇したのが悪かった。
目が合った途端にこりと人懐っこい笑みを浮かべたアルフェリアに
マルコは嫌な予感がして一行ににこやかに挨拶をしたのち、
不自然にならぬように気を配りながら速やかにフェードアウトとしたのだが…
「やぁマルコ!丁度いいところに。姫様、すみません。
彼に話しがあったのを思い出したので先に行っててもらえます?」
「わかったわ」
勢いよく腕をつかんだ男の手により逃走を阻まれたのだった。
話し!?そんなもの俺にはない!とマルコは首を振り
腕を振りほどきたかったがギリギリと力を増す握力に黙るしかなく、
去っていく背中たちを涙目で見送るしかなかった。
そして現在に至る。
「ごめんごめん」と全くもって誠意の伝わってこない謝罪はいつもの事だ。
これ以上何を言っても無駄な事はわかっているので盛大なため息一つで
許してやるマルコは自分はなんて出来た男なんだろうと思った。
そんな彼の長いため息が終わるころにはアルフェリアの表情は
いつものヘラヘラしたものではなくなっていて、
「で?」
「見ての通りだよ。まだ出て来ねぇ」
「店はもう閉まってるのに?」
「ここ一応宿屋も兼ねてるらしいからな」
短く愛想の欠片もない言葉で報告を促され、マルコは肩を竦めた。
昼間とは正反対とも言えるアルフェリアのこのそっけなさすぎる態度だが、
付き合いの長いマルコは驚く事もなく慣れた様子で返事を返す。
「セラちゃんの様子は?」
「なんかパンパンに膨れたでっかい鞄を持ってたな。
ヴェールヴァルド邸前を通ったんだが、
流石の彼女も吹っ飛んだ門には驚いたみたいだったぞ。
まじまじと見たあと、急に走り出すもんだから
もうちょっとで見失うとこだったぜ」
「ちょっと待って」
さっさと帰って眠りたい一心でマルコは口早にセラの様子を説明するが、
突然割って入った声があまりにも固く、振り返った瞳が酷く真剣な色を
宿している事に気づき、目を丸くした。
「今の、本当に?」
「お、おお。本当だ…って、なんだ?ここそんな重要なとこか?」
訝しむマルコにアルフェリアは真剣な表情のまま確認を取ってくる。
頷きを返すと何やら考え込みだしたので「…アル?」と呼びかけると、
「ごめん、続けて」と険しい顔のまま先を促されマルコは
答えを貰えずもやもやを抱えながら、続ける。
「で、この店に入って行った。
すぐに追いかけちゃ怪しいからさ、少し間を置いて入ったら…」
その時の様子を思い出したマルコは気まずさから口をもご付かせた。
けれど「入ったら?」さっさと続けろとせっつかれてしまう。
「あー、…その、こういうのは言いにくいが、
男に肩を抱かれて2階に上がっちまったんでそれ以降の事はわからない」
「…それってひょろくて背の高い糸目の男?」
「そうそれ!」
険しい顔のアルフェリアが苦笑いを浮かべていたマルコに
昼間見た男の特徴を告げると、彼は驚いた様子で頷いた。
そしてすぐに眉を寄せてアルフェリアを見る。
「あいつ何者だ?
俺が入店した時に一瞬だけ目が合ったんだけど、なんか、こう…
只者じゃないっていうか…眼力が、とんでもなかった」
「…え、あれ。ちょっと待って」
向けられた鋭い眼光を思い出し、ぶるりと肩を震わせるマルコに
アルフェリアはやっぱりあの男かと予想が当たっていた事に渋い顔をしてから、
ふととある事に気づき頬を引きつらせた。
何処か祈るような気持ちで店を見るが、
時間が時間であるため、どの窓も明かりはついていなかった。
…これは予想外の事態である。
「じゃあセラちゃん今もまだその男と一緒にいるってこと?」
「あー…まあ、普通に考えてそうだろうな。
仲良さそうにしてたし恋人なんじゃないのか?何か問題でも?」
いくら可愛がってる後輩でも恋人同士の事に口を挟むなよ、と
顔に描いてるマルコにアルフェリアは「大ありだよ!」と
叫びそうになってぎりぎりの所で声を押さえた。
「なんで」と不思議そうなマルコを前にアルフェリアの
脳裏には初めて見た従弟の柔らかな微笑みが浮かんでいた。
けれど、それを正直に話す事はできない。
アルフェリアはマルコを信頼しているが、それとこれとはまた別の話だ。
「その男”ゼドロス商会の若旦那”だ」
「はぁ!?」
思わず素で叫んだマルコの口を「声が大きい…!」アルフェリアがすぐさま塞いだ。
ハッとした様子で目を瞬かせるマルコから手を離したアルフェリアは
大きくため息を付きながら、傍の壁にもたれかかり額に手を当てて項垂れた。
「…それまじで?」
「セラちゃんがヤールって呼んでたし、
報告に上がってる情報を確認してきたら一致してた」
確証もなかったので大事にするわけにもいかず
こっそりと調べてたらこんな時間になてしまったのだと
アルフェリアは申し訳なさそうにマルコを見やる。
「…まじ、かぁ…」と呟いたマルコは驚愕に顔を歪ませていた。
自分が持っている”ゼドロス商会の若旦那”の情報を思い返した
彼は無意識に眉をひをめて呟いた。
ゼドロス商会と言えば、10年程前から急激に勢力を増してきた商会で
今ではファルファドス王国でも上位に食い込む程の規模を誇る。
取り扱う品物は非常に珍しく高価なものもあるが、
基本的には市民向けのリーズナブルな商品が多い。
大きな街には必ずゼドロス商会の店があり、賑わいを見せている。
けれどその一方で喧嘩っ早い者が多いのか騎士とは折り合いが悪く、
検閲でのトラブルが絶えない事でも有名だ。
そして何かと良くない噂が絶えない事も。
その筆頭が通称”サバトラのヤール”
商会内で若旦那として将来を期待されている青年である。
が、騎士の間での彼の評判はすこぶる悪い。
上がってくる報告の中で一番目にする名前だからだ。
「…セラ嬢、そんなやばい奴と付き合ってんの…?」
「…昼間見た時には、そんな感じはしなかったけど…」
「……でも、出てこねぇしなぁ」
昼間の門前での出来事を思い出しアルフェリアは渋い顔をする。
仲は良さそうに見えたが、そこに恋愛感情があったようには思えなかった。
だが、マルコの言う通り今も一緒にいるのだから
アルフェリアの勘が外れたのかもしれない。
どんどん険しい顔になっていくアルフェリアにマルコは珍しいなとひっそりと驚いていた。
アルフェリア=ベルセリオスと言えば”飄々とした食えない色男”という
認識で通っている男である。
その男がこんなにも感情を露わにするとは、と。
「あと嬉しくない情報がもう一つ」
「なんだよ聞きたくねーよ」
ゼドロス商会についてもう一つ大きな特徴を上げるとしたら
それは幹部たちが猫にちなんだ”二つ名”を使用している事だろう。
額を押さえて呻くアルフェリアにマルコは嫌そうな顔を隠さない。
「10日前に”ハチワレ”、一週間前に”キジトラ”と”茶トラ”が、
3日前には”ヒョウネコ”が王都に入ってる。
…どうやら”幹部”たちがこの王都に集まってきるらしい」
「まじかよ。なんて迷惑な」
それなのにアルフェリアは気にせず、顔をあげ、
嫌な予感に頬を引きつらせたマルコに向けてそっと微笑んだ。
それはいつも女性たちにキャーキャーと言われている微笑みだが、
深緑の瞳がまるで死んだ魚の様だった。
素直な感想を漏らしたマルコも同じような状態になる。
「ははは」と二人して乾いた笑いを漏らし、真顔で店を振り返った。
「…それが、ここだっていうのか?」
「可能性としたら大きいでしょ。
だって”サバトラ”が既にここにいるんだよ?」
「…確認されてる幹部は確か9人。
ボス猫は王都に潜んでるっていう噂だが…
どれだけ探したって見つかっていない」
普段は各地に散らばっている彼らが何故今この王都に集まってきているのか。
嫌な予感しかしない。マルコは思わず空を仰いだ。
つい一時間ほど前までは雲に隠れ月など見えなかったというのに、
今はまるで猫の爪の様な細い三日月が浮かんでいた。
「ソフィ様の誕生祭が近い。何か騒ぎを起こされるとか冗談じゃない」
「…捕まえるか?」
「無理なのわかってるでしょ。
どれだけ怪しくても、彼らの尻尾をちゃんとつかめないと動けない」
垂れた深緑の瞳が店に視線を固定したままで機嫌悪そうに
スッと細まるのを見てマルコは背筋に冷たい何かが走ったのを感じた。
付き合いは長いが、ここまで機嫌の悪いアルフェリアを見るのは初めてだった。
温度の乗らない据わった瞳にマルコは恐ろしいものを見てしまった、と
無理やり視線をはがしアルフェリアと同じく店に視線を移す。
「で?どうするんだよ」
「どうする必要もない」
「「!?」」
マルコのせっつくような問いかけにアルフェリアが唸りながらも
答えを探し、口を開く前にその場で聞こえるはずのない声が割って入った。
盛大に肩を跳ねさせた2人が驚愕の顔で声がした方を振り返ると、
少し離れた場所にいた私服姿の王騎士隊長様が壁に預けていた背を離した所だった。
長い足をゆっくりと動かしこちらに向けて歩いてくる。
その歩調に比例して2人の心臓が駆け足になっていった。