41 首輪
「ふふ、相当楽しかったみたいだな」
月明りが差し込む広い天蓋付きのベッドに妹を寝かしつけた
ソフィーリアはその美しい顔に喜びの色を乗せ
傍に控えている騎士へと視線を向けた。
「そうですね。護衛として付いて行った俺まで楽しかったくらいですし…」
「ああ、シャーリィから聞いたよ。
何やら”おままごと”では大層人気だったらしいじゃないか」
からかうような色を乗せたシーブルーにアルフェリアは
その時の状況を思い出し「ははは」と乾いた笑みを返すしかなかった。
ソフィーリアはそれ以上は追及せずに、腰を折る。
そっと前髪を払い額に一つキスを落とした。
「おやすみ、シャーリィ。良い夢を」
頬を撫でてベッドを離れる。
部屋の隅で控えていたメイドたちに見送られ、2人はシャーロットの部屋を出た。
長い廊下を歩き、やってきたのはソフィーリアの執務室だ。
ソファに腰を下ろしたソフィーリアは背もたれにもたれかかり、
襲い来る睡魔と戦いながら今日の出来事を教えてくれた妹を思い出していた。
今日がどれだけ素晴らしい日だったかを嬉しそうに語った彼女には
本日、家族以外にも”かけがえのない人”が出来たのだ。
「…友達、か」
「ソフィ様?」
「あぁ、いや…少し、シャーリィが羨ましくてな」
ぽつりと呟かれた言葉にアルフェリアが即座に反応する。
心配そうな顔をしてのぞき込んでくる”幼馴染”に彼女は苦笑いを
浮かべ、誤魔化そうとしたが、じっと見つめてくる
垂れた深緑に根負けして胸の内をさらけ出す事にした。
普段は優しく頼りになる幼馴染だが、
こういう時だけは決して誤魔化されてはくれない事は嫌と言う程知っている。
昔から、アルフェリアだけには強がりが通用しなかったのだ。
アルフェリアはソフィーリアが漏らした言葉に目を丸くした。
そしてあぁ、なるほどと一人納得する。
ソフィーリアにはアルフェリアという”幼馴染”や、
リュグナードという”兄の様な存在”はいるが、それだけだった。
彼女を取り囲むのは今も昔も大人ばかりだ。
「ならセラちゃんと友達になればいいじゃないですか」
「…随分と簡単に言ってくれるじゃないか」
ケロリとそう言ったアルフェリアにソフィーリアはむっと眉を寄せた。
よくよく見ると唇が少し尖っている。
あ、拗ねた。と彼女を良く知っているアルフェリアは
普段は大人びたソフィーリアの意外と子供っぽい一面にくすりと笑みを零し
「だって」と砕けた口調で対面のソファに腰を下ろす。
「ソフィ様はセラちゃんと友達になりたいんですよね?」
「……そうだ」
にこにこ。
率直な言葉と隙の無い笑顔を前にソフィーリアは
口をもごつかせたが、最終的には素直に頷いた。
そう、シャーロットの話を聞いて彼女が思い浮かべたのは
黒髪ポニーテールがトレードマークの色んな意味で注目の的になっている彼女だった。
初対面の時からソフィーリアはセラを気に入っている。
時間が作れるのならばしっかり腰を据えて話をしてみたいと思っていた。
けれど、残念ながら日々激務に追われるソフィーリアにそんな時間など
ありはしない。
そのせいで妹との間に溝が出来たくらいなのだから。
「そんなに難しい顔をしなくても。そのまま伝えればいいんですよ」
「…そのまま?」
無意識に顔をしかめていたソフィーリアの眉間をちょんと突いた
アルフェリアは目を瞬かせた彼女に向けて目を細め優しく微笑んだ。
そして言い聞かせるように言葉を紡いだ彼にソフィーリアは
ほんの少し眉を下げて不安そうに問い返す。
無防備なその表情にアルフェリアは意識してにこりと笑みを浮かべる。
「ええ」と力強く言い切った彼は、
「ほら、セラちゃんが言ってたじゃいですか。
”言いたい事は言わないと伝わらいない”ってね」
傍からみると”幼馴染”というよりもまるで”兄”の様に見えた。
実際にアルフェリアの方が1つ年上なのでそれはあながち間違いではない。
不安から「…だが、」と言いよどむソフィーリアにアルフェリアは
彼女の言葉を遮る様に、そっと形の良いふっくらとした唇の動きを
人差し指で封じた。
「セラちゃんと友達になりたいんでしょう?
なら、なればいいんです。後の事なんか考えずに、正直に」
「…そうだな…うん、アルの言う通りだ」
優しいのに、何処か悲し気な微笑みはぞくりとするほど美しい。
息を飲んだソフィーリアは縫い付けられてしまいそうな
微笑みから、必死で目を逸らし頷いた。
そんなソフィーリアを見たアルフェリアも
また視線を彼女から外しソファから立ち上がる。
大きな窓の傍にやってきた彼はそこから見える城下を見下ろした。
じっと東区を見つめる深緑の瞳にはいつになく真剣な光が宿っていた。
*
セラはシロを連れて月明りが照らす通りを歩いていた。
時間が時間なので人通りはまばらで、
端っこの方には赤い顔をした男が座り込んでいたりする。
絡まれないようにと彼女は外套のフードを目深にかぶり目的地に向かう。
…ここ、確か立派な門があった場所よね?
修復作業中みたいだけど、何でこんなにえぐれてるんだろ…?
目的地は東区の貴族通街を抜けた先にある。
だからただ、通り過ぎるだけのつもりだった。
けれど彼女は今、懐かしいその屋敷の前で茫然と立ち尽くしている。
理由はというと巨大なクレーターのせいだった。
思わず足を止めてしげしげと見つめてしまう程に、衝撃だったのだ。
「くぅん?」
「あ、ごめんね、シロ。行こう」
シロのまるでどうかした?と問いかけてくるような鳴き声に
セラはハッと我に返り、誤魔化す様にシロの首筋を撫でて足を踏み出した。
遠目に見えた、部屋の明かりから逃げる様に。
気付いたら駆け出していたセラは
とある店の前で膝に手を突き、肩を弾ませていた。
膨れ上がった大きなトートバッグが邪魔で仕方がなかった。
彼女の隣ではお座りをしたシロがチラリと
その金色の瞳を古いドアの上にある看板に向ける。
木の板にはビールジョッキと隅に小さく丸くなった猫が描かれていた。
「へいらっしゃあーい!」
「すみません、あの、
ヤールという名前の男性にお会いしたいのですが…」
カランカラン、とドアベル鳴り騒がしい店内に来客を告げる。
音が鳴り止む前にビールジョッキを両手に6つも持った
筋骨隆々の男性店員が元気よく振り返った。
セラはフードを脱いで子犬サイズになったシロを抱き上げつつ、店員にそう告げる。
すると今までニカっ!と音が付きそうなくらいイイ笑顔を浮かべていた
店員が真顔になり、じろじろと不躾な視線を送ってきた。
「…お嬢ちゃん、彼に何の用だい?」
頭の天辺からつま先まで。
まるで値踏みをしているようなその視線に耐えかねて
ムッとした表情を浮かべたセラが口を開こうとしたその時。
「ジョゼフ」と聞きなれた声が割って入ってきた。
その声は決して大きくないというのに騒がしい店内でも良く通り、
呼ばれた店員はぐるりと首を回し奥の階段の手すりに寄りかかる
糸目を見つけ「ヤールさん」と何処か不満げに男の名を呼んだ。
40代の男がまだ20代前半の男をさん付けで呼ぶのを聞いて
セラは”彼”の立場を再認識する。
いつも彼はセラにのらりくらりと自由気ままで何処か胡散臭い姿しか
見せないが、あれでも肩書は”ゼドロス商会の若旦那”なのだったなあと。
店員に糸目の男、ヤールはヒラヒラと片手を振りながら
「ええんよ」と言いつつ階段を下りてくる。
「そのお嬢はワイの”お得意様”やさかいなぁ」
「…それは、失礼しました」
ヤールの言葉に店員は納得いかなそうな顔で
一度セラを見てから深々とヤールに向けて頭を下げた。
ひくりと頬が引きつらせるセラを可笑しそうにクツクツと喉の奥でヤールが笑う。
「お嬢が保護者も連れず一人でワイを
訪ねてきてくれる日がくるやなんて、夢みたいやわ」
「…そうかしら?それにしては
出迎えのタイミングが随分とばっちりだったけれど」
傍にくるなりその高い背を折り曲げ、
すり、とまるで猫の様に頬を摺り寄せてきた
ヤールをセラは特に抵抗することなく受け入れる。
すぐさま肩に回った腕には一瞥だけをくれて、
何のつもりだと胡散臭い笑みを浮かべている男を見上げた。
対峙する糸目は相変わらず何を考えているのか読めない光を宿し、
じっとアメジストを見つめ返してくる。
「そりゃ、愛しの”白猫”ちゃんにもしもの事があったら困るやろ?」
ニヤとヤールの薄い唇が弧を描くと
素早く近づいてきてちゅ、とこめかみにキスを送られた。
それに反応したのはセラではなく彼女の腕の中で大人しくしていたはずの
シロだった。
子犬姿にも関わらずガルルルル!とドスのきいた唸り声を
上げるシロに「エッ」と店員が二重の意味で驚きの声を上げる。
限界まで見開かれたその目には”まさかこの少女が!?”と
彼の内心がありありと浮かんでいてセラは宥める様に
シロを撫でながら素直な人だなぁと思った。
肩を抱く手に促されてセラはヤールに案内されるまま、階段を上る。
いつの間にか大きなトートバッグは彼の肩に移動していた。
背後からは「すいませんッしたァ!!」という大きな謝罪が
飛んできて、思い思いに騒いでいた客たちが何事かとこちらを振り返る。
そんな中彼女は肩越しに振り返り「いいえー」と返した。
「…昼間とは違って随分ともてなしてくれるのね?」
「すまんて。謝るからそんな意地悪言わんといてぇや。
ほら、あん時はえらい色男な騎士さん連れとったし、
ちょいと焼きもち焼いてもうたんよ。堪忍やて」
肩を抱かれながら階段を上りつつ、
セラは視線を彼に向けることなく問いかける。
そのつれない態度と棘を含んだ声色にヤールは苦笑いを浮かべ素直に謝罪した。
そして随分と調子の良い言い訳をするのを
セラは呆れたようなため息一つで許す事にした。
「…お嬢が自分から”首輪”なんて窮屈なもんをはめるわけないわなぁ」
ぼそり、と呟いたヤールの言葉はそのため息と重なった。
何か言った?と見上げてくるアメジストに彼はニッと
笑みを浮かべ「んーん、なぁんもあらへんよ」と誤魔化す。
そして階段を上り切る直前のタイミングで、
チラリと彼の糸目が入口の扉を見た事にセラが気づくことはなかった。