30 祝福はまだ貰えない
セラがシャーロットの後方にソフィーリアを見つけたのは偶々だった。
なんせ、彼女がこの場に現れる事など予想もしていなかったのである。
最近下り坂だった運気が漸く回復してきたのだろうか、
なんてズレた事を思いながらも彼女は
この場を譲る為に意味ありげな視線を投げる。
それに気づいたソフィーリアは乱れた息を整えて、
いつも通り胸を張って歩き出した。
「――ねぇ、陛下?」
「ああ。ありがとう、セラ」
その呼びかけにソフィーリアは覚悟は出来たのか、と聞かれたような気がした。
強く頷きを返して、この場を作り上げてくれた
セラに心からの感謝を述べて彼女は驚き狼狽え、
何故かセラを睨みだした妹に向けて優しく微笑んだ。
「シャーリィ」
その言葉にはこれまで以上の気持ちを込めて。
大好きだと伝わる様に。
そしてちゃんと伝えるために彼女は腕を伸ばした。
”口にしなければ、伝わらない”
セラがシャーロットに言ったその言葉にソフィーリアもハッとさせられた。
彼女が丁度中庭に辿り着いた時の事だった。
咄嗟に傍にある柱に身を隠す。
その場には多くの人がいたが、中庭で交わされている会話に
気を取られていたのでソフィーリアに気づいた者はいなかった。
シャーロットの様子が気になってこっそりと柱から
顔を覗かせたタイミングでセラに気づかれるまでは。
「お、ねえさま?」
「シャーリィ、すまなかった」
「え?」
「ぐじぐじ悩む前に、ちゃんと言えばよかったんだな」
腕の中に大事にしまい込んだ妹がおずおずと声を上げる。
愛おし気にその小さな頭に頬を摺り寄せて、
ソフィーリアはセラに倣ってまず言いたい事を口にした。
疑問符を飛ばすシャーロットに彼女は苦笑いを浮かべ、
そっと体を離す。戸惑いを浮かべたライムグリーンと
目が合うと不安げにパチパチと瞬く。
ほんの少し垂れたその大きな瞳に彼女は優しく微笑んだ。
「大好きだよ、シャーリィ」
短いが、その言葉には真心が籠っていた。
それは嘘偽りのない、本心だと分かる声だった。
小さく息を飲んだシャーロットが目を見開き、姉を見つめる。
白い手のひらが幼い妹のふっくらとした頬を愛おし気に撫でる。
「私はシャーリィとの時間が欲しい。
話がしたいし、シャーリィの話を聞きたいよ」
「…でも、お仕事が、」
「ああ、忙しいな」
間近で告げられる姉の思いにシャーロットの胸には
暖かな感情が広がったがそれでもまだ、
それを素直に受け入れる事は出来ないでいた。
だからつい、建前が口をついて出てしまった。
戸惑いながらも紡がれたシャーロットの言葉に素直に頷いた
ソフィーリアはここで漸く「大丈夫だから」と
距離を置かれた理由に思い当たった。
途端に込み上げてくる感情に
じわりと素直に涙腺が緩むのだから溜まらない。
これ以上情けない姿は見せられないと、
ぐっと耐えて彼女はもう一度小さな体を抱きしめた。
「…ずっと、そうやって気遣ってくれていたんだな。
気付かずに、嫌われたのではないか、だなんて
勝手に怖気づいて、一人にさせてしまって、本当にすまなかった」
「そんなっ、お姉様が謝ることじゃ…!」
ソフィーリアの心からの謝罪はきちんと妹に届いた。
慌てたようにシャーロットが声を張り上げ、否定する。
一人を望んだのは自分自身だと、彼女はわかっているからだ。
ほんの少し緩んだ腕の中、こつんと合わさった額の温もり。
間近で見る互いの瞳は恐らくこの世のどの宝石よりも、尊いもので。
「いいや、謝る事だ。私は姉なのだから。
シャーリィ、もっと我儘を言ってくれていいんだ。
遠慮なんていらない。私たちは、姉妹なんだから」
「…お姉様…」
「勿論、フェリも含めて、お前たちは私の一番の宝物だよ」
”いい子”でいる事、それは幼いシャーロットにとって
彼女が唯一、忙しい姉や兄の為に出来る事だった。
だから彼女は寂しいと駄々をこねる心を必死に押し殺してきた。
大好きな二人の邪魔にならないように、迷惑にならないようにと。
それは亡くなった母との約束でもあった。
ずっと信じていた。
二人の手を煩わせる事無く
”いい子”でいる事が二人の為になるのだと。
だけど、それは間違いだったのだと、
姉の言葉を聞いてシャーロットは漸く気が付いた。
そろり、と視線を泳せてソフィーリアの後ろに控えている
セラを見れば、それに気づいた彼女は笑顔でしっかりと頷いた。
その事にシャーロットは小さいけれど、
確かな勇気をもらったような気がして。
「…お姉様、そんな事を言い出したら、
私、”いい子”じゃなくなってしまうわよ?」
「望むところさ」
「…嫌いになったりしない?」
「ありえないな」
恐る恐る紡がれたシャーロットの言葉にソフィーリアは満面の笑みで頷いた。
その力強い笑みに、シャーロットもつられて口の端に
小さな笑みを乗せながら念を押す様に続ける。
それにも即答したソフィーリアに彼女は、
「…お姉様、」
「ん?」
ずっと、思ってはいたけれど、ずっと言えなかった言葉を。
「大好きよ。
…本当は、ずっと寂しかった」
「!…私もだ」
シャーロットの言葉を一瞬理解出来なくて固まったソフィーリアだが、
自分からぎゅうっとしがみ付いてきた温もりにハッと我に返る。
そして力一杯抱きしめた。
もう二度と、同じ過ちは繰り返さないと心に決めて。
ぐすぐすと鼻を啜りながらぎゅうぎゅうと抱きしめ合う
姉妹の後ろで、セラはすっかり忘れ去られている
四葉のクローバーをひょいと拾い上げた。
ふすんと鼻を鳴らし、まるで「一件落着だな」とでも
言いたげに見上げてくるシロに彼女はニヤリとした笑みを返して。
手に持ったクローバーをクルリと回した。
それは幸福のシンボル。
四つの葉、その一枚一枚にすら意味がある。
希望・誠実・勇気・愛情。
4つ合わせて”幸せ”
他にもいくつかの説があるけれど、セラはこの説が一番好きだ。
不器用な彼らの幸せを願って。
そっと紡ぐ旋律は、優しく穏やかに。
徐々に大きく、テンポを上げて。
「!わ、ぁ…!凄い…綺麗…!」
「昨日も見たが、本当に見事だな…」
中庭中に現れた四葉のクローバーにシャーロットが感嘆の声を上げる。
「凄い凄い!」と喜ぶシャーロットに続き、
ソフィーリアもその海色の瞳を輝かせた。
これまで固唾を飲んで見守っていた周りのメイドや
騎士たちも幻想的な光景にほぉ…とため息を漏らし、
この場を作り上げた少女に感服する。
笑顔の中でキラキラと輝く2対の宝石に見つめられて、
セラはパチン!と一つウインクを飛ばした。
思わずぽかんとした二人の頭上に魔法で出来たシロツメクサの冠が現れる。
彼女たちは揃って驚きの声を上げ、顔を見合わせると笑顔を浮かべた。
それはまるで蕾が花開き、大輪の花が咲いたような笑顔だった。
二人の笑顔を見て満足そうに大きく頷いたセラがくるりと回ると、
その大きな動きに合わせてポニーテールがふわりと揺れた。
一回転した彼女は恭しく左胸に手を当て、優雅にお辞儀をする。
パチンと弾けてキラキラした光の欠片が中庭に降り注いだ。
一拍を置いて、その光景を見ていた
全員から割れんばかりの拍手が送られる。
顔を上げたセラがその拍手の大きさや、
時折混じる歓声に少し照れたようにへにゃりと笑った。
そして二人の前で跪き右手に持ったままの
四葉のクローバをシャーロットに向けて差し出す。
それはまるで、古い絵本の1ページの様な光景だった。
「”幸せはいつも笑顔の傍に”」
「…ありがとう」
すまし顔でそんなくさい台詞を言ってのけたセラに
シャーロットは照れたようにはにかみながら四葉のクローバーを受け取った。
そしてにこにこしているセラに向けてニヤリと笑みを浮かべて見せる。
途端パチリと瞬いたアメジストに、ふふんと得意げに彼女は笑って。
「…でも、まだあなたに”祝福”はあげないわ」
「ふはっ、…それは、残念」
シャーロットの絵本を引用した切り返しに
セラは思わず噴き出して、ひょいと肩をすぼめてみせた。
絵本の中では騎士が姫から祝福を受けて旅立つシーンだったのだが、
残念ながらセラはまだ旅立てないらしい。
「こらからよろしくね、セラ。精々振り回してあげるわ」
「望むところです」
可愛くない言葉と共に差し出された小さな手を握り返す。
その口元には楽し気な笑みが浮かび、その瞳には悪戯な光が宿っていた。