3 騎士様の目的
リュグナードは古いドアを背に冷や汗をかいていた。
”どうしてこなった”と予定では
ありえなかった事態に彼は混乱の境地に立たされている。
今朝からこの宿に着くまでは天が味方してくれているのだと思えるほどに
彼にとって都合よく物事が進んでいただけに
突き付けられた現状がどうしても飲み込めないでいた。
しかも笑い皺の目立つ人のよさそうなご婦人には
二人とも黒髪だからか兄妹だと誤解されたままなので
傍目から見て全く問題ないというのも何だか妙に居心地が悪い。
誤解されたままの方がよくない噂が立ったりせず都合がいいのは確かだが、
如何せん彼女とは初対面の赤の他人なのである。
なので、やはりどう考えてもこの現状は可笑しいと判断し、
困惑と動揺から部屋の天井あたりを
彷徨っていたダークブルーの瞳がそろりと細い背中を見やる。
するとまるで目が後ろについているのかと
疑いたくなるタイミングで少女から声がかかった。
「いつまでそうしているつもりです?」
「あ、ああ…いや、その…やはりもう一度頼んでみよう」
タイミングの良さに情けなくも肩を揺らし、
きつめの声色に少々怯んでしまったが、幸いにも少女はこちらに
背を向けたままなので如何にか面子を潰すことは免れた騎士隊長だった。
騎士隊長を務める男がこんな小娘に何をビビっているのかと
思われるかもしれないが、今までリュグナード相手に
あんな全力で逃げようとする(しかも顔に蹴りまで入れて!)
女性はいなかったのだからしょうがないだろう、
あと別に怖いわけじゃない。ただどう接したらいいのか
戸惑っているだけだ、と彼は誰にともなく心の中で言い訳をした。
彼の脳裏には自分を指さし腹を抱えて笑う友人たちの様子が浮かんでいた。
「何言ってるんですか。
他の部屋は埋まっててここしか空いてないから、ここにいるんでしょう」
「だが…」
「迷惑になるんでやめてください」
ドアの前で立ち尽くしたまま
一向に動かないリュグナードの今更な言葉を聞いて少女が振り返った。
目を引く黒く長いポニーテールを揺らし、
振り向いた顔にはありありと呆れの色が浮かんでいる。
それに気づきながらも更に言いつのろうとするリュグナードに
またもやピシャリと言葉を放った少女に彼はドアに背を預け、
ごもっともだと項垂れた。
しかし、それにしたってこの状況は頂けないだろう、
というかなんで自分ばかりが動揺しなきゃいけないんだ、
普通はもっとこう、女性である彼女の方が危機感を持つべきではないのか。
そう思ったリュグナードが落としていた視線を上げると、丁度少女と目が合った。
涼し気なダークブルーの瞳に不満げな色を見つけた少女の、
ついうっかり見惚れてしまいそうになる程美しい
アメジストがスッと細められ、にっこりとほほ笑みを模った。
妙な力強さを感じる笑みに思わずリュグナードの背筋が伸びる。
「…何か言いたげですね?
まあ私としても現状を快く思ってるわけではありません。
貴方が言いたい事もわかります。
見ず知らずの殿方と一晩同じ部屋で過ごすなんて普段はしませんよ。
これでも一応、女としての自覚はあるつもりなので。
でも私には大変心強い相棒がいますし、今日会ったばかりだとしても
騎士隊長様の”騎士道”と噂に聞く”人柄”を信じて今ここにいるわけです。
都合よく、女将さんが兄妹だと勘違いしてくださった
お陰で外聞を気にする必要もなくなりましたし、
正直現状ではこれが最善だと判断したので、
仕方なくこの現状を受け入れているわけですが、
――何か異論がございまして?」
「いや…君の言う通りだ。グダグダ言ってすまなかった」
「いえ、お分かりいただけたならそれで」
ぐうの音も出ないとはこのことか。
普段表情に出ないと言われているリュグナードだが、
今ばかりは自分の顔が引きつっている事だろうと思った。
それほどまでに少女が放つ言葉は正しく、棘が含まれているからだ。
正直母にだってこんな厳しい言葉を掛けられたことはない。
今まで生きてきた中で初めて出会うタイプの女性だなぁと思いながら
リュグナードもいい加減諦め、彼女に倣って外套を脱いだ。
「…ところで、いい加減君の名前を伺ってもいいだろうか」
荷物を床に下ろし、彼女の向かいにある
チェアに腰掛けながらリュグナードがそう尋ねると
少女は驚いたよう目を瞬かせ、一拍置いてにこりと笑みを浮かべた。
その笑みにああ忘れてんだなとリュグナードは勘付いたが、
あえて口にすることはなかった。ソファに座る少女の太ももに顎を置き、
撫でられてうっとりしている子犬の様な狼になんとなしに視線をやると
彼はすぐさまリュグナードの視線に気づき、
その金目を鋭くさせぐるるっと子犬らしくない唸り声を上げる。
真正面から敵意を向けられ
確かに優秀なボディーガードだなとリュグナードは思った。
万が一を起こす気はさらさらないが、少しでも妙な気を起こせば
すぐさまその鋭い牙の餌食になるだろうことは考えずともわかることだった。
「失礼しました、私はセラと言います。この子はシロガネ」
「セラ殿とシロガネだな」
「どうか気軽にセラと呼んでくださいませ”お兄様”」
「…そうだった」
唸るシロを宥めてぺこりと頭を下げた少女改め、
セラにリュグナードはやっと聞けたと満足そうに頷き、確認するように繰り返す。
すぐさま嫌味を返され彼はやり辛いなと頬をかいた。
「だがそれならその妙に堅苦しい喋り方も可笑しいだろう?
あと”お兄様”も旅人が呼ぶには違和感が…」
「わかってますよ、人前では気を付けます。”リュー兄さん”でいい?」
「ああ。…どうも、むずがゆいが」
「貴方一人っ子ですもんね」
「そんなことまで知っているのか?」
「とんでもない有名人なのにその自覚はないのですか?」
「…随分と嫌われているな…」
「そりゃあこんなことをしておいて、好かれるわけないでしょう」
「手荒な手段を取っている事は気が済むまで詫びる」
そう言って左腕を上げて見せるセラの細い手首に見覚えのある
ブレスレットを見つけてリュグナードは気まずそうに視線を逸らした。
だが、それも一瞬のことですぐさま視線を戻し
誠意ある対応を示そうと頭を下げる。それを見てセラは目を瞬かせた。
かの有名な隊長様がこうも容易く頭を下げるものなのか、と。
リュグナードからすれば頭を下げる理由は2つあった。
一つは素直に一度逃げられそうになったとはいえ、
強引な手段を取った事への罪悪感から。
もう一つは彼女には頭を下げる”価値”がある。
なんせ彼はこのつんけんした少女に
これからとあるお願いをしなければいけないのだ。
まあ”お願い”というか実質決定事項なので
いくら少女が拒否しようが自分がとる行動はかわりないのだが。
それでもやはり少しでも良好な状態に持っていきたいと思うのが人の性である。
要するに少しでも機嫌を取りたいのだ。
「だが、こうでもしないと君は逃げるだろう」
「当たり前でしょう。何で騎士様に捕まらなきゃいけないのよ」
「君を女王陛下がご所望だからだ」
「え?」
頭を上げたリュグナードの何処となく苦い顔をを見てセラはシレっと答え頷く。
そんなセラの現状に納得いかないという主張にリュグナードもシレっと答えた。
先ほどの会話の延長戦の様なトーンで告げられた本題にセラが驚き、固まる。
そんなセラの様子を見てリュグナードは大人げなくも満足していた。
今までこの年の離れた少女に振り回されっぱなしだったのが、
実はちょっと悔しかったのだ。
丸く見開きパチリと瞬きする少女は先ほどまでの妙に大人びた雰囲気ではなく、
年相応の愛らしさを纏っていて彼は少しほっとした。
今、何かとんでもない言葉を聞いたような…とセラはフリーズした頭で
先ほどリュグナードが告げた言葉を反復する。
…女王陛下が、なんだって?
「…すみませんが、もう一度言ってもらえます?」
「我が女王陛下が君をご所望だ」
どうか聞き間違いであってほしいと願いながらセラが恐る恐る口を開くが、
無情にもまた先ほどと同じトーンで返ってきた返事により
願いは打ち砕かれてしまった。嫌な予感と胸騒ぎはこれだったか…と
的中してしまった面倒事にセラは痛みだしそうな頭を抱えたくなった。
そんなセラの心情をくみ取ってか太ももの上のシロが「くぅん」と
気遣う様な声を上げた。
心優しい相棒に癒され「…大丈夫、ありがと」とその背を優しく撫でながら
少し考える仕草を見せたセラの視線がリュグナードへと戻る。
「…陛下が興味を持たれるようなことはしてないと思うのですけれど?」
「”白い狼を連れた女の旅人が立ち寄った町ではみんなが笑顔になる”
…悪事等は少々手荒な方法で暴いていたみたいだが、まあ今回は関係ない。
この噂を聞いた陛下が興味を示されたんでね…
休暇を利用して君を探していたんだ」
「そんな噂になってただなんて…
私はただ、ちょっと困ってる人の手助けをしただけなのに…」
リュグナードの言葉を聞いて
自身の噂を知らなかったセラはため息を付き額に手を当て項垂れた。
女王陛下の耳に届くほどの噂って…これじゃ人のこと言えないわ…
というかちょっとその噂盛りすぎじゃない?
本当に悪事を働いてた奴を軽~く懲らしめたりしただけなのに。
こんなことならお節介な事しなきゃよかった。
…いや、でもそれじゃ寝覚めが悪いのよね…
そういうのが嫌で、お節介してきたわけだし。
と、セラの脳内では後悔と言い訳が渦巻き浮かんでは消えていった。
「俺は運がよかった。いくらうちの領土にいるという情報が入ったと言っても、
なんせその探し人は神出鬼没で更には逃げ足がとても速いと聞いていたからな」
「旅人ですもの。好きな時に好きな場所へ行くのは当然でしょう?」
「…ほんと、運がよかったよ」
項垂れるセラを前にここ数日の自分や他の騎士たちを思い返し、
思わず嫌味を混ぜれば悪びれもなく
シレっとした返事が返ってきてリュグナードは口を引きつらせた。
全くもって、可愛いのは顔だけな少女である。
この少女の捜索に一体どれほどの騎士が駆けまわっていると思っているんだ。
まあリュグナードも含め、他の騎士たちも命令を下されたわけでもなく
自主的に行っている者ばかりなので文句の行き場はないが。
だが、そんな少女に不思議とマイナスな感情は浮かばなかった。
これほどまでに素っ気なく、更には警戒心丸出しで嫌われているにも関わらず。
浮かんでくるのは驚きと苦笑いばかりなのだ。
何故だろうと彼は考えたが答えは出なかった。
「…それで、私はこれから一体どうなるのですか?」
「どうもしないさ。
ただ俺と一緒に王都へ行って、陛下とお会いし話をするだけだ」
「話とは?」
「それは俺もわからない。だが悪い話じゃないはずだ」
「貴方にとって悪くなくても、私にとってはそうじゃないかもしれないじゃない」
何よりこっちにも事情ってものがあるのよ!と口をついて出ようとした言葉は
コンコンと響いた音のせいで飲み込むしかなかった。
もやっとした思いを胸にしまいながら
ドアを開けるために席を立ったリュグナードを見送って、
セラは見られてしまっているのだからと
そのままにしていた目を隠すように長い前髪を整える。
女王陛下からのご指名ならば逃げるわけにはいかない。
正直に言えば今すぐ国外逃亡したいくらいだが、
逃げてしまえば罪になるからそれも出来ない。
指名手配されて逃げながら一生を過ごすだなんてまっぴらごめんだ。
なのでどれだけ嫌でも従うしかないのだ。
ふと見やった小さな窓からはどしゃぶりの雨しか見えなくて
セラはまるで自身の心の様だと思いながら、
夕食の準備が整ったと告げに来た女将さんに
引っ込み思案な妹を演じに行くために席を立った。
ソファに下ろしたシロに「ちょっと待っててね」と声をかけて。