26 9日目の奇行
曇天続きだった空に漸く太陽が顔を見せたこの日、セラは中庭で俯いていた。
彼女のすぐ傍には見慣れた白い狼が主人と同じように俯いていて
傍目から見る彼らの様子はとても奇妙なものになっていた。
そんな一人と一匹をある者は心配し、またある者は嘲笑する。
けれど周りの目など気にしていない彼女自身はしゃがみ込み、
ただ只管にじっと足元を眺め”あるもの”を探していた。
「中々見つからないねぇ…昔、クローバーの上を踏み歩いたら
負けじと頑張るクローバーがもう一枚葉を付けるとか聞いた事あるけど…
そういうんじゃ駄目かなぁ…駄目だろうなぁ…」
ずっと下を向いているせいで首が痛い。ついでに腰も。
遠い目をしながらセラがぽつりと呟けば「くぅうん」とシロから返事が返ってきた。
同意なのか励ましなのかはわからないが、こういうことまで
付き合ってくれる賢く優しい相棒に彼女はとても励まされている。
「手伝ってくれてありがとうねシロ。ちょっと休憩しよっか」
お座りをしているシロの頭を撫でると気持ちよさそうに細まる金色に
少し離れた場所にある木陰を見ながらそう提案する。
途端に「わふ!」と元気のいい返事と勢いよく
振られる尻尾にセラもそっと微笑みを浮かべ立ち上がった。
降り注ぐ日差しの強さにうんざりしつつ木陰に入り、
太い木の幹に背中を預けて座り込む。
元々用意してあった水筒を手に取りシロ用の皿に水を入れてから口を付ける。
魔法で冷たさを保っているため喉を通る水がとても美味しく感じた。
水筒を手に持ったままぼーっと枝や葉の間から
見え隠れする空を眺めつつ、セラはこうなった経緯を思い返していた。
*
事の始まりは一昨日にまで遡る。
それはセラが超人気店のマカロンを3時間並んで手に入れ城に戻った後の事。
睨みつけてきたり、薄ら笑いを浮かべてくる騎士たちが守る門を潜り、
一度部屋に戻って騎士服に着替え、
シャーロットの部屋に戻るまではいつも通りだった。
勿論、扉の前で深呼吸をして意識的に3割増しの笑顔を浮かべる事も。
ただ一つ違ったのは、ポケットに”あるもの”を忍ばせていた事だろう。
「姫様お待たせしました!
王都で一番人気のマカロンを手に入れて参りましたよ!」
ノックをして扉を開けてもらい、笑顔と共に部屋に入る。
この際扉を開けてくれたユリウスの気の毒そうな視線には
最早慣れっこなのでセラは完璧なスルーを決め込んだ。
広い部屋でシャーロットを探すと彼女はソファで優雅に紅茶を飲んでいた。
テーブルの上には空になったお皿とフォークが置かれていて、
本日の”おやつ”が終了したことを物語っている。
「遅かったわね。もう他のおやつを食べたから、いらないわ」
「そのようですね」
振り向きもせずにそう言ったシャーロットにセラは笑顔のまま頷いた。
シャーロット越しに目が合ったセラと歳の近いメイドに
申し訳なさそうな視線を送られ、彼女は笑顔のままほんの少し肩を竦める。
いつもならこのまま一度退出し、休憩室にマカロンを差し入れに行くのだが、
この日のセラはマカロンが入った箱を近くの棚に置いた。
そしてポケットに忍ばせていた”あるもの”を両手に
はめてこっそりと小さな背中に近づいて行った。
忍び足で歩く彼女の背中に胡乱げなユリウスの視線が突き刺さる。
向かいにいるメイドは、やめておいた方がいいと
目で語りながら小さく首を横に振っていた。
けれどもセラにはやめる気はない。
いい加減このお姫さまを爆発させないと
彼女のストレスの方が爆発してしまいそうで。
「”じゃあ今度はボクと一緒に遊んでくれないかな?”」
そう言葉を乗せた声はいつもより高く愛らしさを意識して。
音を付けるなら”ひょこっ”とした動きで後ろから
シャーロットの前に差し出したのは、茶色く可愛らしい”何か”
「っ!?」
突然視界に入ってきたそれにシャーロットが目を見開き、振り返る。
驚きの表情を浮かべるその顔はいつものすまし顔よりもずっと幼く、
愛らしい。凝視してくるライムグリーンを見つめて微笑みながら
セラは両手を自分の顔の横に持ってきて指を動かした。
すると人形の口がパクパクと愛らしく動く。
前世ではパペットと呼ぶこれは、
なんとセラの手作りである。
「”はじめまして。ボクはジャイアント=テディのルド!
こっちはヴァイゼ=ルナールのジェイだよ!”」
声に合わせて口や腕を動かし”ルド”が”ジェイ”を紹介する。
ちなみに右手の茶色い熊がルド、左手の黄色いふわふわの狐がジェイだ。
見つめてくる3対の視線に「”よろしくね!”」と二匹が
ぺこりと頭を下げると、何とも言えない微妙な沈黙が訪れた。
メイドはそっぽを向きぎゅっと唇を噛んで震えているし
背後からは冷たい視線が飛んできた。正直居た堪れない。
肝心のシャーロットはというと、俯き、わなわなと肩を震わせている。
あー、こりゃ失敗したな、とセラが思うと同時に
怒りを宿したライムグリーンがキッと睨みつけてきた。
「子ども扱いしないで!
気分が悪いわ!!今すぐ、部屋から出て行って!!」
思わずへらりと笑みを返したセラに彼女はビシっと扉を指さして叫ぶ。
ふーふーと肩で息をするシャーロットの怒りっぷりにセラはしゅんと
肩を落として「すみません…」と謝りすごすごと部屋を後にした。
ぱたん、と背後で扉が閉まったのを聞き届けて両手を顔の前に持ってくる。
「いつもは大人気なのになぁ、ルド&ジェイ」
いつだって子供たちが喜んでくれた力作たちを見つめながら
ぱくぱくと口を動かすと彼らはより愛らしさを増すが、
怒らせてしまった後では空しいだけだ。
まあ分かっていた事だし、寧ろそう仕向けているので彼女の思惑通りなのだが。
もう一押しかな、と次なる一手を考えながら休憩室に向かっていたセラを
落ち込ませたのは追いかけてきたユリウスが持ってきた
すっかり存在を忘れていたマカロンとシャーロットからの伝言だった。
曰く四葉のクローバーが見つかるまで顔を見せるな、との事。
この世界でも幸せの象徴である四葉のクローバーは
前世と同じように見つけるのが難しい。
運頼りになるのだが、悲しいかなセラの運勢はこの城にやってきてから
降下の一途をたどっている事を彼女が一番良く知っていた。
こうして文頭に至るわけである。
ちなみに今日で2日目となり、近しい周囲から向けられる視線が
より同情的なものに変わり、遠くから寄こされる視線には嘲りの色が濃くなっていく。
そう言えば、かの有名なナポレオンに
四葉のクローバーのエピソードがあったな、とセラの脳裏に前世の記憶が蘇る。
確か戦場で馬に乗っている時に偶然四葉のクローバーを
見つけて体を伏せた所、銃弾がすれ違って命を救われたとかなんとか。
いや、すごいラッキーだけど四葉のクローバーとか見つけてる場合か。
戦場だろ集中しろよと当時は若干呆れたが、今ではいっその事
そういう状況にでもならなければ見つけられない気すらしてきた。
お願いだから、運よ戻ってきて。
髪を揺らす風が心地よく目を細めたセラの太ももにシロの顎が置かれた。
笑みを零しながらセラが頭を撫でてやるとうっとりとその金色の目が閉じられる。
それを見届けて彼女はそっと口を開いた。
「~♪」
紡ぐメロディに希望を乗せて、魔力を込めると彼女の周りには光が漂い始めた。
ふよふよと動くそれらはやがて集まり形を成していく。
手元では変わらずシロの美しい毛並みを撫で、その唇が紡ぐ歌により
光はやがて彼女の探し物である四葉のクローバーへと変化した。
実際のそれよりもはるかに大きなクローバーが次々と出来上がり
輝きながらメロディに合わせて踊り出す。
自身が作り出した幻想的な光景に、セラは人知れずうっとりと目尻を下げた。
目撃した人々が目を見開いている事にすら何の興味も持たないまま、
彼女は歌を紡ぎ続ける。それは大事な相棒に向けての子守歌だった。
「!」
そんなセラの歌に、不意に違う声が割り込んできた。
同時にクローバーやシロツメクサだらけの光景に水色の花が加わる。
驚いて声がする方を振り返ったセラはただでさえ
丸くなっていたそのアメジストを限界まで見開いた。
驚きから旋律が途切れる。
――”4人目”
脳裏ではそんな言葉が浮かび上がる。
彼女の視線の先にはこれまでに3度見た、
光り輝く薔薇を背負った美少年(儚い系)がじっとこちらを見つめていた。
全体的に”薄い”印象を受ける彼は肩まであるプラチナブロンドを
風に遊ばせ、ゆっくりとした足取りでセラの直ぐ傍にやってきた。
すとんと隣に座った彼を信じられない気持ちで
彼を凝視するセラに気だるげなアイスブルーが向けられる。
くいっと顎をしゃくられ、彼女は戸惑いつつ首を傾げた。
「え、っと…」
思わず漏らした声に彼は右手を胸の前に持ち上げ
そこに薄っすらと光を放つ氷で出来た薔薇を出現させる。
「綺麗…」思わず呟いたセラに、彼は変わらずじっと視線を投げかけてくる。
見つめてくるアイスブルーが何を言いたいのか
セラにはよくわからなかったが、彼の薄い唇が絶えずに
歌を紡いでいるのでもしかして、と彼女は止めていた歌を再開した。
すると正解だったのだろう、彼は小さく頷き幻想度を増した中庭に視線を向ける。
小さな横顔と睫毛の長さに本当に男だろうかと疑いたくなった。
視線が逸れた事でほっと胸を撫で下ろしたセラは
ばっくんばっくんと大暴れしている心臓を落ち着けようと必死だった。
勿論脳内では盛大にパニックが起こっている。
何だこの状況!?
っていうか誰この美少年!?
ぶっちゃけ今までで一番好みだけど、
4人目とか嬉しくない!
クローバーやシロツメクサ、薔薇、チューリップ、ガーベラ等
いつの間にか色取り取りな花に囲まれセラは背中を伝う冷や汗に
頬を引きつらせた。チラリと隣を見るとバチリと目が合う。
思わず肩を揺らせば気だるげに半分近く閉じた
アイスブルーが更に細められ、硬直する。
これ以上の負荷は心臓が死ぬ。
そう判断したセラはすぐさま前を向き視界から彼を外す事で落ち着こうとした。
けれどそれはふわりと目の前に現れた、薄紫色に輝く蝶々に阻止される。
どくん。
今までで一番、心臓が大きく脈を打った。
ドッドッドッド駆け足になる心音が耳の直ぐ傍で聞こえる。
じわりと滲みそうになる視界を必死に耐えて
戯れてくる蝶々にそっと微笑みかけた。