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23 ヴェールヴァルド

一日降り続いていた小雨がやみ、雲の合間から月が見え隠れする深夜。

王都オズファルドの東区に存在するヴェールヴァルド邸は静まり返っていた。

4人の子供たちはすでにベッドに入り、夢の世界へと旅立っている。

その部屋を一つ一つ回り愛する我が子の頬を撫で額へキスを落とした

この屋敷の女主人、フィフィーリア=ヴェールヴァルドは

自室で窓辺に置かれた鉢植えを眺めていた。

青々とした葉を撫でながら思い出すのは濃淡のついた紫の花。

10年前の記憶では薄紫の儚げで可憐な花だったと言うのに、

昨日見た花からは随分と凛々しくそれでいて何処か強かな印象を受けた。

ただ繊細な硝子細工の様に輝いていたのだけは変わっていなかったけれど。

丸一日、美しく咲き誇ったその花は

時計の針が0時を示した途端に花びらを散らせた。

ひらひらと舞いテーブルに落ちる頃にはその柔らかさを捨て

カランカランと軽い音を立てる。7枚あった花びらは小さいが

膨大な魔力に耐えれるとても貴重な魔法石へと姿を変えていた。

そのうちの1つは今フィフィーリアの

ペンダントとしてその白く華奢な首を飾っている。



「…エリー…」



無意識に零れ落ちたのは”あの子”が

産まれた日にこの花に付けられた”あの子”の名前。

愛おし気に細められた美しいサファイアの瞳が徐々に悲しみの色を

蓄積させていき、ついにぽろりと透明な雫が零れ落ちた。


”祝福の花”

そう言い伝えられてきたこの花は17年前彼女の夫であるエリオルが

書庫に眠る膨大な数の古い文献たちから復元させたものだ。

古では子供が生まれる度にその子供の名前を付け大事に育てる習慣が

あったのだが、長い時を経て徐々に廃れてしまっていた。

理由は定かではないが、エリオル曰く”魔法花”にする際に膨大な魔力を

必要とする事、更に言えばそれに伴う”歌”も高度である事が

大きな要因であるという。


なんせ種はとても簡単に手に入るのだ。森に足を運ぶまでもなく

多くの家の庭で育てられている極一般的な花の種なのだから。

土に植えて水をまけば春と秋に可憐な白い花を咲かせるその花の種に

特別な魔法を掛けると美しくとてつもない貴重な”魔法花”へと姿を変える。

後は同じく土に植え、子供が生まれた日にその子供と同じ名前を

付けてやり水の代わりに毎日魔力を注ぎ続ければいい。

そうすれば誕生日がくる毎に世界中どこを探しても一つとして

同じ物は存在しないという、その子だけの花を咲かせる。


今、フィフィーリアが触れていた”エリューセラ”と名付けられた花が

凡そ500年という長い歳月を経て再びこの国で咲いた一番最初の魔法花だった。

エリオルが激務の合間を縫って、妻と生まれてくる子供への

愛情と祝福を形にしたその花は国中で話題になった。

腕に覚えのある魔導士たちがこぞってエリオルに続こうとしたが、

残念ながらその歌の難しさに多くの者が膝を折る結果となった。

ヴェールヴァルド家では子供が生まれる度に一つ、

また一つと数を増し現在では5つもの”魔法花”が存在し

子供たちの誕生日が来る毎に優美な花を咲かせている。


けれど”エリューセラ”と名付けたこの花だけは

”あの子”が行方不明になってからは蕾を付ける事すらなかった。

勿論毎日欠かさずに祈りを込めて魔力を注ぎ続けているのに。

そして今年。10年目を迎えるこの年に、蕾を付けた。

”あの子”の誕生日が近づくにつれて膨らみを増してく

その蕾に期待するなという方が無理だった。


”あの子”が私たちのもとに帰ってくるのでは。

そんな期待が蕾と共に膨らんでいたのだが、

残念ながら今も”あの子”の行方は分からないまま。

思えば昨日は可笑しな事ばかりが起こっていたわね、と

フィフィーリアは小さくため息をついた。

昨日は”あの子”が生まれた日と同じく

この雨季にしては大変珍しい晴天だった。

行方不明になってからは毎年豪雨が続き

”ヴェールヴァルド家が悲しみのあまり雨を降らせている”

だなんて、馬鹿げた噂が立つ程だったというのに。


こんなにも”あの子”を連想させる事ばかりが続けば

数日前にエリオルが起こした”事故”よりも期待が勝ってしまう。

太陽の降り注ぐ中庭で美しく咲き誇る”エリューセラ”と共に

家族揃ってそわそわしながら待っていた。

けれど日が暮れ花が石へと姿を変えても愛娘の姿を見る事は叶わなかった。


ふと耳が聞きなれた音を拾い、フィフィーリアは

そっと涙をぬぐって夫を出迎えるために部屋を後にした。



ガラガラと音を立てて進む馬車の中で物思いに耽っていた

エリオルは不意にガタンと大きな揺れに襲われ思わず眉を寄せた。

が、小窓から見えた”揺れの理由”に彼は低く唸るしかなかった。

なんせ、揺れの原因であるそのむき出しの地面は自分が拵えたものだからだ。

その場は数日前にはヴェールヴァルド家自慢の門があった場所だ。

だが今は窓の外を見たくないと思う程悲惨な状態が広がっていた。


事の発端は久々にエリューセラを謀る愚か者がいた事。

この10年で何度かあった出来事だが

今年は”魔法花”が蕾を付けていた事もあり例年よりも期待があった。

だから送り付けられてきた”エリューセラ嬢を保護した”

というこれまでに何度か見た内容の手紙に舞い上がってしまった。

けれど実際に連れてこられたのは偽物だった。

紫の瞳を持つ少女で”張り紙”にすら似ている

今までで一番高いクオリティではあったが。

門の魔法を潜り抜けた事で案内してきた騎士もその娘を

本物のエリューセラだと思っていたようだが、家族の目は誤魔化せない。

期待していた分、落胆と怒りがこれまでの比ではなかった。

特にその怒りの激しさは子供の頃ですら魔力を暴走させた事がなく天才と

持てはやされたエリオルが大爆発を起こしてしまったほど。


ガタンガタンと揺れる馬車の中でエリオルは妻と子供たちを思う。

また泣いてやしないだろうか、と。

やがて馬車は止まり、ドアが開けられる。

慣れた仕草で優雅に馬車を降りたエリオルはいつもより足早に玄関へ向かった。



「お帰りなさいませ」

「ああ、今帰った」



玄関ホールでズラリと整列した使用人たちに出迎えられ

エリオルは頷きながらぐるりと彼らを見渡した。

目が回る程に忙しい合間を縫って手紙で重要な話があると伝えておいたので

執事長を筆頭にこのヴェールヴァルド家を支える主軸たちが全て揃っていた。



「エリオル様、お帰りなさい」

「ただいま、フィフィ」



そこへ二階から降りてきた妻フィフィーリアが合流する。

微笑みを交わしながらそっと寄り添う二人は

”ファルファドス王国一美しい夫婦”と言われるだけあって

普段から見慣れている使用人たちでも気を抜けばぼーっと見惚れてしまいそうなほど。

昔、御長女様がお気に入りの絵本の影響かお二人をエルフだと

信じていたのも無理はないとあれから10年が経った今でも

衰えない二人の美貌に、今では使用人たちの間で”やっぱり実はエルフ説”が囁かれている。



「子供たちは?」

「もうぐっすり夢の中よ」



広間へと移動しながらエリオルは今日の子供たちの様子を聞く。

暖炉の傍のソファに二人が腰を下ろすと沈黙が横たわった。

エリオル以外の者たちはじっと固唾をのんで彼の言葉を待っている。

彼もそれが分かるからこそ、言葉を選んでいた。

思い返すのはリュグナードに話を聞くためにむかった彼の執務室。

扉の向こうにいたエリオル同様多忙なはずの

同期たちから向けられる心配を隠そうともしない視線。

リュグナードから提示された情報を脳裏で整理しながら悩んでいると、

そっとフィフィーリアの手がエリオルの手に触れた。

細いその手を取り優しく握りしめながら「フィフィ」エリオルは彼女に向き直った。



「…あの子が、エリーが見つかった」



静かな部屋にエリオルの落ち着いた声が響く。

誰もが一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。

けれど誰かの息を飲む音を皮切りに、理解しだした者たちは

次々に叫び出しそうな口を必死に手で抑え込んだ。

中には口を両手で覆い、ボロボロと涙をこぼしている者もいる。

フィフィーリアは目の前の美しいアメジストを見つめながら、固まっていた。

最愛の夫が何を言ったのか、わからない。

けれど鼻の奥がツンと痛み、じわりと視界が滲んでいく。



「っ、あの子は、」

「今は城にいる。…フィフィ!あの子は今シャーリィ様の騎士なんだ」

「なんでっ、どうして…!?」



競り上げてくる感情に呼吸を乱されながらも

娘の居場所を聞いたフィフィーリアはすぐさま腰を浮かせた。

今にも駆け出して行きそうな妻の細い腕をすぐさまエリオルが捕まえる。

この10年嫌と言う程見てきた涙に濡れたサファイアが

今までとは違う輝きと強い意志を持ってエリオルを振り返った。

落ち着きなさい、と言いたげに言葉を繋げ言い聞かすエリオルに

フィフィーリアは感情が追い付かない。



意味がわからなかった。

あの子が、エリーが見つかったというのなら、何で今ここにいないのか。

何故、一緒に連れて帰ってきてくれなかったの?

貴方が連れて帰ってこれないなら私が今から迎えに行くわ!



非難の色が浮かぶサファイアからはそんな意志が汲み取れた。

暴れるフィフィーリアの肩を掴んでソファに押しとどめつつ

エリオルは「フィフィ!」と取り乱している妻の名前を呼ぶ。

普段怒っていても声を荒げる事滅多にないエリオルの強い声に

ハッとした様子でサファイアが彼を見た。

エリオルも心を落ち着かせる様に、一つ息を吸って

彼はじっと困惑を浮かべてこちらを見るサファイアに目を合わせる。

主人のただならぬ様子にハラハラと見守っていた使用人たちも

息を潜めて見守っている。



「落ち着いてきいてくれ、フィフィ。

 …あの子は、エリューセラは、記憶がないんだ」



眉を寄せ、辛そうに口を開いたエリオルの言葉は

ゆっくりと紡がれたものだというのに、誰も理解出来ずにいた。

今度は驚きすぎて感情が追い付かないだとかそう言うのではなく

脳が理解を拒んでいた。



「き、おく、が…?」

「ああ。前に陛下が気にしているという旅人の話は覚えているか?」



ぽつり、とフィフィーリアの口から零れ落ちた言葉にエリオルが頷いた。

細い肩から手を放しだらりと力をなくしてしまった細い両手を握りしめる。

ぽろぽろと涙がこぼれるサファイアを見つめながら

言葉を繋げれば、彼女は小さく頷きを返した。



「その旅人が、エリーだったんだ。

 一昨日、リュグナードが見つけて連れてきたらしい。

 会って驚いたよ。あの銀髪が漆黒へと変わっていたからな…

 …道理で見つからないはずだ」



苦い顔で呟いたエリオルの手を今度はフィフィーリアが握り返した。

それに小さく頷きを返しエリオルは震える声を叱咤して話しを続ける。



「髪の色も、名前も違う。だがリュグナードは

 彼女の瞳が紫だという事がどうしても気になったらしい。

 私に確認させるために陛下に彼女を騎士にと提案したそうだ。

 王都までの道中で見た人柄や考え方にあの子なら

 姫様や陛下の力になってくれるのでないかと思った、と言っていた」



自分たちの知らぬ場所であのリュグナードが

そう評価するほどの人間に育っていた娘をエリオルは誇りに思う。

恐らく、多くの人に助けられそして有難い事に

大事に育ててもらったのだろうと彼はリュグナードに聞いた

”拾ってくれた行商の一行””幼馴染のヒューズ””用心棒の師匠”

”ルドガーとジェイルという旅人仲間”に心から感謝した。

叶うならば会って直接お礼を言いたい。



「…ほんとうに、私たちの事、覚えてないの…?」

「…あぁ。初めまして、と言われたよ…

 エリーは、今はセラという名前らしい」

「っそんな、」



縋るようなサファイアにエリオルはゆっくりと頷いた。

そして思い出すのは真っ直ぐ見上げてくる明るいアメジストとあの衝撃。

一生忘れないだろうな、と人生で最も衝撃を受けた出来事ランキングの

2位に食い込んだあの”初めまして”と紡いだ愛娘の様子は

くっきりと脳裏に焼き付いている。

恐らく、暫くは夢に見るだろうなぁと思う程に。

ちなみに第1位はエリューセラが誘拐されたあの日で、

”初めまして”が2位に入った事で3位へと落ちた出来事は

彼が門を吹き飛ばした事である。


余りの残酷な現実を前にフィフィーリアがその美しい顔をくしゃりと歪める。

漸く、家族が全員揃い幸せな毎日が戻ってきたのだと思って喜んだのに、と。

それでも繋いだままの手に落ちた視線は一瞬だった。

ぎゅっと目を瞑った彼女の目尻からぽろりと最後の涙が落ちる。



「でも、――それでも、」

「――ああ、あの子は私たちの娘だ」



ゆっくりと瞼が持ち上がり、再び目が合った

サファイアには悲しみを押しのけた強い意志が宿っていた。

言いたい事を酌んで頷きながら続けた

エリオルの言葉に彼女はゆっくりと微笑んだ。



「ええ。無事でいてくれただけで、十分だわ。

 記憶なんて、思い出なんてこれからいくらでも作れるもの」

「君ならそう言うと思ったよ。私も、全くもって同意見だ」



額を寄せてくしゃりと笑う。

震える喉をそのままに、引きつる唇をどうにか吊り上げて。

嬉しい、悲しい、でもやっぱり、嬉しい。

ぐるぐる回る感情に心をかき乱されながらも、未来を見据えて二人は笑う。



幸せな未来を諦めはしない。

家族全員の笑顔をいつだって願っている。

心配ばかりかけてくれる、困った娘を

この腕で力いっぱい抱きしめるその瞬間を夢見て。



彼らは出来損ないの笑顔のまま頷いた。

使用人たちもそれぞれが涙を拭いて、背筋を伸ばす。



「さて、重要な”これから”の話に移ろうか――」



夜はとっぷりと更け、月はまた雲に隠れ多くの者が夢の中にいる深夜。

けれどヴェールヴァルド家の夜はまだまだこれから。

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