21 お父様 は 混乱 している !
※エリオル=ヴェールヴァルド視点です。
脳裏を様々言葉が飛び交い、考えが纏まらない。
気を抜くと倒れてしまうんじゃないかと思う程、感情に振り回されている。
今、私の思考の中に存在するのはただ一人の少女だった。
遠目からその姿を一目見ただけで気が付いた。
――ずっと、探していた私の娘だと。
それは直感、と呼べるものだったのかもしれない。
夢見心地でふらふらと近づいたその少女の髪は艶やかな漆黒で。
近づくにつれてやはり違うのではないかと、私の娘は銀髪なのだからと、
いや、でもちらりと見えた横顔は”あの子”で間違いないと、様々な思いが
浮かび上がったがそれでも競り上がる期待を抑え込むことは不可能だった。
「…エリー…?」
目的の少女から少し離れた場所でぽつりと不意に口を付いて漏れ出た声は
見っともないほど小さく掠れていたが、それでも確かに”あの子”に届いた。
高い位置で結ばれた長いポニーテールを翻し、
振り向いた瞳は私よりも明るい紫。
目が合うと驚いたようにパチリと瞬くその美しいアメジストは
私が、この10年ずっと恋焦がれていたもので。
髪が黒くなっていようが関係ない。
この子は、
――私の娘だ。
込み上げる感情に視界が滲み口元が歪む。
歓喜に震える両手で抱きしめようと足を踏み出そうとした瞬間、
”あの子”の発した「初めまして」の言葉に凍り付いた。
そんな私に気づかず”あの子”はあの頃よりもずっと大人びた声と
仕草で私を他人行儀にヴェールヴァルド卿と呼び、自信を”セラ”と名乗った。
それは頭を鈍器で殴れらたような衝撃だった。
あの沸き立つような喜びが一転し、
まるで冷水でも浴びているかの様に体が冷えていく。
先ほど持ち上げようとした腕など自分の体の一部だというのに、
指先すら上手く動かせないほどの混乱が襲い掛かった。
視界がぐるぐると周り、気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
意味がわからなかった。
言われた言葉を理解出来ないなどいう経験は
あの忌まわしい事件の一度きりで十分だというのに。
「…はじめ、まして…?」
それでも如何にか言葉を返さねばと、震える唇をどうにか開く事が
出来たのは目の前の”あの子”が私の瞳を見つめたまま、
何の反応もかえって来ない事に小首をかしげたからだ。
少し早いリズムで瞬く長い睫毛が不思議そうにも
不安そうにも見えて、私は彼女の言葉を繰り返した。
それは決して挨拶を返したという意味ではない。
元々頭のいい子だそれを察する事はそう難しい事ではなかったのだろう、
その瞳に困惑の色を乗せ隣に立つ男に助けを求める様に視線を向ける。
”あの子”にばかり気を取られていて気にしていなかったがその男は
私もよく知る男で、私と”あの子”の間に存在する違和感の答えを
知っているのかと私も彼・アルフェリアに視線を向けた。
「彼女は以前からソフィ様が気にされていた”例の旅人”ですよ」
へらり、と笑みを見せながら語られる言葉は私の求める”答え”ではなく、
だがそれでも確かに大事な情報として私の脳裏に書き込まれていく。
彼が口を閉じたタイミングで口を開こうとしたが、タイミング悪く
背後から聞こえた「エリオル様!」と私を呼ぶ大声に遮られてしまった。
思わず舌を打ちそうになったが、”あの子”の前でそんな真似など出来るはずがない。
「…どうした」
「お話し中お邪魔してすみません。
ですが、会議のお時間が迫っておりますので…」
「わかった。すぐに行く…」
ぐっと飲み込んですぐ傍までやってきた騎士に問いかける。
声がいつもより低くなったことには目を瞑ってほしい。
背筋を伸ばし申し訳なさそうに要件を述べた騎士には悪い事をした。
彼が悪いわけではないというのに。
騎士には了承の頷きを返し、
少しだけ冷静になった頭で”あの子”の瞳をもう一度見つめる。
見返してくる瞳には微かな困惑の色は見受けられるものの、
それ以上の感情を読み取る事は出来なかった。
だが逸らされることのない視線からは何か強い意志のようなものを感じる。
本当はどうせ進展のない会議など放り出してしまいたいが、
”あの子”の纏う王騎士の制服を見やりこの場は一度退く事に決めた。
混乱した頭で、考えが纏まらないまま口を開くと碌な事にならない。
ただでさえ10年という隔たりのある”あの子”との
距離をこれ以上あけてしまうわけにはいかないのだ。
だから、これは仕方がないことだと、
自身に言い聞かせゆっくりと声を乗せる。
「…セラ、殿と言ったか?
慣れない騎士の仕事は大変だろうが、頑張りたまえ」
「はい」
普段通りを意識しすぎて言葉はともかく、目を逸らすという
”ヴェールヴァルド卿”らしくない態度になってしまったが。
踵を返し歩きなれた廊下を早足で突き進み、
開始時刻を超えることなく会議室へと滑り込んだ。
私がこんなギリギリに姿を現す事などこれまでなかったせいか、
副官であるメルヴィスが私の姿を見た途端にほっとした様子を見せた。
彼は普段カリカリしているせいで分かりにくいのだが案外心配性な所があるのだ。
定位置に腰を下ろし、定時に会議が始まり現在に至る。
だが冒頭の言葉通り今私の脳裏を埋め尽くすのは
会議室に響く主張や論争などではなく一人の少女――”セラ”についてだ。
――疑問点は大まかに3つ。
いつどうやって戻ってきたのか。
何故銀髪が黒髪になっているのか。
そして何より、はじめましてとは、”セラ”とはどういうことなのか。
ふと思い出したのは”あの子”の隣にいた
普段よりもずっと大人しいアルフェリアだった。
私たちの様子を観察するように向けられた深緑を思い出し
やはり彼は何か答えを知っているのだろうと推測する。
会議が終わったらすぐに問い詰めてやる、と心に決めた。
そもそも”あの子”が”セラ”として私に初めましてと挨拶する、その理由は?
目的は?未だに混乱が抜けきらない頭で必死に考えを巡らせるが、
一向に納得できるそれらしい推測にすら辿り着かない。
だんだんと熱を上げ喧しさを増していく室内が更に追い打ちをかけるようで。
――ダァン…!
響いた音と、ピタリとやんだ喧騒、じんじんと痛みを訴えてくる右手に
自分が今、無意識に何をしたのかという事を理解した。
らしくないと自分でもそう思うが、これでいいと思う自分がいる事も確かだった。
集まる視線を端から端へと見渡して持て余す混乱を不機嫌へと転換させ口を開く。
「私は、同じ事を2度言う事も、聞かされる事も嫌いだ」
滑り出た声は自分でも驚くほどに冷え冷えとしていて
会議室が音を立てて凍り付いたかのような錯覚を覚えるほどだった。
誰かが唾を飲み込んだような小さな音すら無駄に響く。
「当然、時間を無駄にするなど言語道断。
――以上を踏まえて、今日、この会議を続ける理由は?」
目が合ったのはこの事案について遥々異議申し立てにやってきた地方の貴族だった。
薄い頭に小太りの彼は私と目が合うなり、失礼な程にその身を揺らし
私の問いかけに「御座いません」と小さく答えた。
その声量が普段煩い程声の大きな彼の何十分の一だろうが、
静まり替えった室内ではそれでも良く聞こえた。
「よろしい」彼の答えに満足し頷けば彼はほっとその引きつった顔に
安堵の色を乗せる。
「では明日、実りのある会議になるよう
各自もう一度じっくり検討してきてくれたまえ。――解散」
最後の言葉を言い放つと同時に席を立つ。
戸惑う視線など興味の欠片もありはしない。
誰もいない廊下を突き進んでいると駆け寄ってきた足音を耳が拾った。
今の状態の私に近づいてくる人物など一人しかいない。
ふと彼は何か知っているだろうかと歩みを止め、振り返った。
「あの、エリオル様?」
「唐突ですまないが、メルヴィス。
”セラ”という少女について何か知ってる事はないか?」
「…昨日、陛下が姫様付きの騎士にしたという少女ですね。
生憎私はその場に居合わしませんでしたが、何でも瞳の色、が…」
困惑と心配が隠しきれないブラウンの瞳を見つめながら問いかけると、
彼は少し驚いたような顔をしてから知っている情報を語り出した。
途中、ふと自分自身の言葉で驚きの色を濃くしたブラウンが私に向けられる。
「…まさか」
「…あぁ。だが、はじめましてと言われた」
「いや、でも、彼女は黒髪だと聞きましたが、」
普段吊り上がっている事の多い目が驚愕に見開かれるのを
見つめながら頷くと彼はしどろもどろになりながらも
自分が知っている情報を提示する。
その言葉は混乱からくるもので彼に悪気がないと分かっている、が
それでもこの件に関しては私の沸点はすこぶる低い。
「――私が自分の娘を見間違えるとでも?」
「…いいえ。失言でした、不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
思わず、凄めば彼はすぐさま自身の失言に頭を下げた。
頭を上げ再び向けられたブラウンにこちらを気遣う色が見て取れて、
カッと頭に上った血がすぐさま熱を冷ましていく。
「いや、いい。すまない、私も突然の事で混乱している。
――情けない事に、喜ばしいのは確かなのに、
今、どうしたらいいのか、わからないんだ」
慌ただしい感情を落ち着つかせるために大きく深呼吸をする。
すると徐々に冷静になり始めた頭が情けない自身を見つけ、項垂れる。
思わず漏らしてしまった弱音は、紛う事ない本心だった。
「エリオル様…あの、私ではこれ以上の事はわかりませんし、
兎に角リュグナード殿に会いに行かれてみてはいかかですか?」
「リュグナードに?」
「ええ。彼が彼女を見つけて連れてきたそうなので…」
普段吐かない弱音を漏らしたせいか、
メルヴィスから気遣わしげな視線と共にそんな提案が寄こされた。
アルフェリアを問い詰める気満々だった所に
意外な名前を出され思わず問い返せば、新たな情報が提示される。
そういえばリュグナードは働きすぎだと陛下から無理やり休みを
取らされていたな…結局、大人しく休んでいなかったようだが、
私としてはとても有難い結果を出してくれたのだから
感謝も告げに行かねばなるまい。
「仕事の方は私が何とかしますので、ご心配なさ、」
「らないでください」と続く予定だったのだろう、私を気遣ってくれる
優秀な部下の言葉はこの場に似つかわしくない爆発音で遮られた。
心配に垂れた眉が瞬時に跳ね上がり、目尻が徐々に吊り上がっていく。
私はというと物凄い勢いで冷静さが舞い戻ってきたのを感じていた。
それと同時に途方もない呆れと疲労感がどっと襲い掛かってくる。
「大丈夫です、私がなんとかします」
吊り上がる目尻をどうにか堪え、無理やり笑みを浮かべて見せる
メルヴィスの言葉はとても有難いのだが正直、素直に受け取るには
戸惑いが残る。悲しい事に私や彼にとっては爆発音など聞きなれたもので
その後処理がどれだけ面倒で手間がかかるかという事を
嫌と言う程知っているからだ。
「悪いが、頼んだ」
「はい」
それでも大丈夫だと告げてくるブラウンに甘えようと頷き、
彼が強く頷き返したその時。2度目の爆発音が轟いた。
それも先ほどよりも大きいそれに思わず真顔で顔を見合わせる。
「…なるべく早く戻る」
「…すみませんが、よろしくお願いします」
私の言葉にわなわなと肩を震わせた
メルヴィスが申し訳なさそうに頷き「失礼します」と背を向ける。
長いローブを翻し駆けていく彼の「クロフォードォォオ!!」という
怒声を聞きながら私もリュグナードの執務室へと足早に向かった。
二重の意味で一刻も早く、現状を解決せねば。